閑話 シャハブ vs ブラヒム
ディルガームを出立して十日、獅子獣人軍を含む一団は二万人近くにまで膨れ上がっていた。ディルガーム正規軍は約一万、半数近くが軍属でない事になる。
こうなった原因の一番は獅子人の狩人。
パーティー単位で行動するより安全だからと行軍に混じった者達がいた。その後立ち寄ったのは象人、山荒人、獺人の三国、これだけの軍勢が動くなら自分達もと腕に自信のある者達が加わった。
特に象人と合流できた点が大きい。獣人化した状態の彼等なら、多くの者達を背に乗せて運べた。
食糧の心配は必要ない。
シャハブが鉱化スライム片を預かっているので、立ち寄った国々で十分な量を揃えられた。加えて、狩人協会経由で肉も野菜も支援物資として大量に届く。ディルガームに留まっているより食糧事情は潤っているくらいだった。
更に、獅子獣人の一部が竜の鱗を使った装備を身に着けていたのも人目を引いた。エルフ戦に参加したなら自分達もあんな特級品を支給してもらえるのではないか、欲に目の眩んだ者も多かった。
こうした参加はスカーレットの想定にないもので、知れば自分のせいで死地へ追い込んだと頭を痛めたに違いない。
けれど現場はそういった懸念を知らず、エルフに一矢報いる機会だと参加者を増やしていく。災害現場でのスカーレットの活躍を知る獅子人達の称賛も、軍勢を増やす後押しとなった。
シャハブの活躍も大きい。竜殺しの勇名に加えて、大軍勢を狙う魔物を近付けさせない。軍が討伐部隊を組む前、一般的な索敵可能範囲へ接近する前に焼き払われる。大軍の安全は彼一人で守られていた。
当然、その存在感に引かれて参戦を決める者もいる。
生き死には自己責任だと忠告は受けても、どの程度真剣に想定できるかはそれぞれとなった。
そんな軍勢を離れたところから冷めた目で見つめる者がいた。
黒髪のエルフ、天子ブラヒムである。
彼の目論見では、街を半壊させられた獅子人達は派兵を見送る筈だった。復興に手を取られ、エルフに立ち向かおうとする心を折られ、ディルガームに引き篭もっている筈だった。
しかし、現実は初期に想定した以上の軍勢がユーシアメイルを目指している。
エルフを許すなと奮起し、新しい時代を自分達で築くのだと意気を新たにしている。
それが、ブラヒムは面白くない。
こんな筈ではなかった。
獣人共はエルフの脅威に尻尾を巻き、我々を怒らせたならそれが冷めるまで媚びへつらっていなければならない。群れてユーシアメイル打倒を目指すなどあってはいけない。
反抗心を削ぐべくブラヒムが手を下したのに、再び奮い立つなどあっていい事態ではなかった。
連合国を継ぐことが約束されたブラヒムにとって、初めての予想に反した事態だった。天帝の無茶ぶりを除けば、であるが。
だから、連中には思い知らせなければならない。
二度と自分の思惑が外れる事などあってはならない。
面倒事を引き起こしそうなハイサムに対して別行動を伏せていただけで、進軍への助力を隠していないためシャハブの存在は伝わっている。それでも、ブラヒムに考慮する気はなかった。
多少魔法が得意なだけの獅子獣人、どうとでも料理できる。
赤の狩人がいないなら問題とならない。
マルフットへ向かう軍勢に邪な悪意が迫る。
不意を突く方法に工夫はない。索敵を専門とする軍人が紛れていたところで、遥か上空へ警戒は届かない。魔法を仕掛けられる懸念はあっても対策を立てようはないと有利を確信する。
弱い。
それだけで理不尽を飲み込む他ないのだとブラヒムはほくそ笑む。
「ククク、ヒヒヒヒヒ……、死ね」
無慈悲に魔法を投下させる。今度はどんな悲鳴を上げてくれるのかと考えると楽しくて仕方ない。
しかし、ブラヒムが思い描いていた未来は訪れなかった。
降り注ぐ光弾、無慈悲に獣人達の命を奪う筈の魔法は彼等の数メートル上空で炎に飲まれた。数百メートルに亘って延びた長い隊列全てを炎が守る。
「は?」
訳が分からなかった。
魔道具などで防壁を展開したなら分かる。魔力消費を考えればそれほど広域を守れる筈もないから十分な被害が出せる筈だった。
しかし現実として、ブラヒムの魔法は全て掻き消えた。
全て自分が設置した魔法なので、着弾したかどうかは感覚で伝わる。間違いなく、炎に飲まれて全てが消えた。数時間かけて設置した光墜魔法は何の被害も出さずに防がれた。
馬鹿な⁉
あり得ない!
ブラヒムの顔色が驚愕で染まる。
複数を同時展開する関係上、一発一発の威力が低めなのは仕方がない。けれどその分、大量に仕掛けた。一部は防御できても全てを防ぐ事はできないよう念入りに。
多少防御魔法に秀でた者がいても、広域へ防壁を展開するなら強度が犠牲になる。それでブラヒムの攻撃を耐え切るなどできない筈だった。だと言うのに、誰一人として斃れた気配がない。
ブラヒムが知る筈もない事ではあったけれど、シャハブも無策で護衛についた訳ではなかった。
防壁の瞬時展開はエルフが使った魔法の応用で、あらかじめ魔力を広域散布しておいた。本来は攻撃魔法を炸裂させるものだったけれど、防護魔法でも技術的な差はない。射線の推測が難しいから実戦に向かないだけで、戦法が二番煎じであるなら対応は容易い。
しかも真っ直ぐ落ちてくるだけだから、展開範囲をあまり上へ広げられないシャハブの探知魔法で察知してからでも間に合った。
更に、散開させた防御魔法は誘爆式だった。攻撃を受ける事で燃え広がる。無数の点でしかなかった守りが炎壁へと変わる。あえて軍列全体を覆わない事で魔力消費を抑えた。
実戦経験の乏しいシャハブは、多くの事態を想定して魔法を構築する事はできない。
それでも防御が成功した原因は、ブラヒムの怠慢である。
狙うなら上空から、それも隊列の後方が危ないと読んで重点的に魔法の散布を厚くした。その想定が当たって無被害を実現できた。
一方でブラヒムは、その敗因に辿り着けるほど冷静に己を顧みられない。
本来であれば、作戦が失敗した時点でブラヒムは撤退を選択するべきであった。実力を把握しきれていないと証明されたばかりのシャハブと対峙するには分が悪い。
ブラヒムが得意とするのは潜伏と不意打ち。
竜の討伐経験がないのはそんな奥地へ足を運ぶ機会がなかっただけ。得意戦術に専念するなら十分に討伐可能だと思っているのでシャハブに対する恐れはない。
だから、また選択を間違えた。
逃げるより様子見を選んでしまった。
そのせいでシャハブと目が合う。
皮肉な話ではあるけれど、先日までのシャハブの探知魔法に、これほどの広域展開を可能とするだけのする制御力はなかった。急成長したのはディルガームでの生存者捜索が切っ掛けで、その後の数日でブラヒムの想定を上回っていた。
「見、つ、け、た」
シャハブの口は間違いなくそう動いた。視線の交差は気のせいではない。
それでも、まだ距離がある。
細かい動きまで捕捉できているのはブラヒムの光魔法を使ってで遠視しているだけで、実際の距離は二キロ以上離れている。
まだ一方的に攻撃できる距離だと光線を放つ。上空へ設置した光墜魔法とは違う。ブラヒム本人が魔力を集束させて撃った魔法は先ほどのような咄嗟の防壁では防げない。
そもそも察知してからの魔法展開では間に合わない。
何しろ、魔法は光速で獣人達を襲う。
「ぎゃっ!」
「うぎっ……!」
「痛ぇ!」
獣人達の縦列から悲鳴が上がる。その威力と射程に驚愕する。
けれどそれだけ、混乱はなかった。
シャハブからあらかじめ言い含められている。何があろうと恐れる必要はないと。
その言葉を証明するように、隊列全体を炎が包む。それで驚きはあっても、熱は感じなかった。守られているのだと実感だけがある。
しかも、炎の効果はそれだけで終わらない。
「熱……って、傷が⁉」
「痛ぁ…………くねぇ?」
炎属性の回復魔法。
傷を焼き消し、身体を元の状態へと戻す。
本来であればあり得ない現象。焼き滅ぼすしかできない筈の火属性が、獣人達を癒している。痛みまで消せないので悲鳴こそ上がるものの、損傷は燃えて残らない。
シャハブの異常成長がスカーレットの範囲回復まで模倣した。
それを可能した根底には、彼の強い怒りと決意がある。
ディルガームで悲劇に立ち会った。
どれほど願おうと避けられない死、何度眠ろうと耳に残った断末魔、冷たくなった遺体を運ぶしかできなかった無力感。
悲惨な現場と初めて向き合い、具体的な死を目の当たりにして強く願った。
こんな悲劇を繰り返してはいけない。
こんな事態を引き起こす外道を許してはいけない。
こんな惨状で無力な自分でいてはいけない――
強い決意がシャハブを成長させる。スカーレットの与えた切っ掛けが限界を超えた発育を可能とした。
「何、だと……⁉」
光線をまともに受けた筈の獣人が不思議そうに立ち上がる。
その光景を見て、驚愕で思考が止まったのはブラヒムの方だった。目の前の現象が理解できない。確かに生じた超常が受け入れ難い。
――!
その一瞬の思考停止が、彼を窮地へ追い込んだ。
射手は遥か先。けれどシャハブの放った熱線がブラヒムの潜む森を焼き払う。
しかも、シャハブは既にこちらへ駆けだしている。炎を纏ったシャハブは超速で飛ぶ。
「くっ!」
接近を察したブラヒムは慌てて影へと潜った。潜影竜同様に、自身の影の下に独自の逃走経路を作る。
今のシャハブと戦いたいとは思えなかった。
負ける筈はない――それだけの矜持はある。
けれど、あの未知が恐ろしい。魔力で劣っていたとしても、意表を突くだけの可能性があるのではないかと直接対決は避けた。
もとよりブラヒムの戦術は暗殺と謀殺。
正面から向き合うつもりはないし、潜伏も逃走も戦術の一環、恥じ入るような神経は持ち合わせていない。最終的に殺せるなら過程はどうでもいい。
彼の上には常に天帝と言う絶対者が君臨していたこともあり、思い通りにいかない事態にも慣れていた。天帝もいつかは死んでその椅子は自分に回ってくる。待つ事に躊躇いはない。未来予知なんて面倒な魔法が使えるせいでこれまで機会に恵まれなかったが、隙があったなら逃がすつもりはない。
それだけ彼は執念深い。
「赤の狩人に火炎獅子、お前達は絶対にボクが殺す。常に付け狙われ、僅かな隙も見せられない状況でせいぜい精神をすり減らしておけ」
逃げた事に後悔はないが、殺せなかった事について苛立ちはあった。
エルフの障害は要らない。僅かにでも脅威となりうる存在は消しておかなければならない。
「疲弊して警戒が緩む瞬間、状況に慣れて油断した瞬間、必ず血祭りにあげてやる。最後に笑うのはボクだと思い知るがいい。フフフ、ヒヒヒ、ヒーッヒッヒッヒッヒッ……!」
仄暗い執着だけ残して、ブラヒムは去っていった。その殺意を確かなものとして。
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