夢の中で 5
――………………様。
――…………ット様。
――ス……レッ…様。
声が聞こえる。
意識がまどろんで身体がポカポカと幸せな温もりに包まれる中、どこかで私を呼ぶ声が聞こえた。
鼻腔をくすぐるのは硫黄の香り。
少し汗ばむくらいの熱は温泉に浸かっているからだと分かる。身体を支える背もたれは硬く、ゴツゴツとして心地よくはない。それでも、独特の香りと湯船に浮かんで身体が軽くなった感覚に包まれていたなら不快だとまでは思わなかった。
――スカー………様。
ぼんやり目を開ければ、視界に入るのは見事な紅葉。その先には山が連なっている筈だけれど、赤と黄色が壁となって空間を隔てていた。岩造りの浴槽だけが世間から切り離されて、余計なものが目に入らないから自分だけの世界のように思える。
ああ、夢だなと確信する。
この景色には覚えがあった。また私の記憶から景観を掘り起こしてきたのだと思う。この光景に懐かしさこそ覚えるものの、また何者かの都合で呼び出されたかと思うと憂鬱な気分になった。
できるなら心ゆくまで堪能したいと思えるこの光景が、見せかけだと知ってしまったから特に。
――………レット様。
今のところ、私の羞恥を刺激された以上の害はない。夢に出てきたのは芙蓉舞衣で、性的な企みはなさそうだったから過度な警戒は必要ないのかもしれない。
けれど、目的が読めない相手から一方的に干渉されるのは問題だった。
相手の底も知れないので、もしも悪意を向けられた際にはどの程度対処できるかも分からない。私は夢だと認識しているけれど、最悪魂だけ聖地へ引っ張られている可能性すらあり得る。
ここでどの程度魔法が使えるか、検証しておいた方がいいのかな?
これまではそこまでの危機感を持てなかった。ただの夢だと思っていて、碌に記憶に残らなかったせいで。
けれど、芙蓉舞衣の振りをしている何者かは私をここへ呼ぶだけの意図がある筈だし、一方的に魔力を枯渇させられた経験もあった。
これまでは完全な転移魔法の実在が不透明だった点も、南大陸への召喚で否定できなくなってしまった。寝ている私、或いはその一部を聖地デルヌーベンへ喚び出す事もあり得ない話ではないと思う。不気味である以上に警戒が必要だと思い知っている。
得体の知れない何者かだからと言って、いつまでもいいようにされるつもりはない。
――……ーレット様!
幸い、魔力を失った様子はない。今の私がどういう状態なのか、精神へ干渉を受けた状態で眠っているのか、魂だけを引き出されているのか、或いは思念体のようなものなのか、詳細は分からないけれどおそらく魔法の使用に問題はない。
ただし、モヤモヤさんは見えない。
ここが私の夢の中に作り出した仮想空間なら十分にあり得る。どのような形でかデルヌーベンへ連れ去られたのだとしても、やはりあそこにモヤモヤさんはなかった。魔力の補給はできないと思った方がいい。
そうなると、魔王種クラスは荷が重い。
しかも、現象の不可解さを思えばもっと厄介そうな存在だと想像できる。私が転生して以来初めて出会った脅威だとも言える。
どうにもならないかもしれない。
そう思わせるだけの底知れなさがあった。
それでも、悪意は感じていない。
太刀打ちできないかもしれないのに必要以上の危機感を抱かずに済んでいるのは、芙蓉舞衣の姿をした何かから邪気を向けられていないから。
私を害したいならいつでもできた。
それだけ無防備な状態を私は晒してしまっている。
これまで無事でいられたからってこれからも同じである保証はどこにもないものの、いきなり襲われる心配はない気もしている。
私がそう思いたいだけかな?
少なくとも、ここで会う対象が芙蓉舞衣でないと気付いた時点で、態度を翻す切っ掛けになる事態は十分にあり得た。
召喚されて以降、この夢を見る気配がなかったから気が緩んでいたけれど、芙蓉舞衣でないと発覚したからと接触を断った訳じゃなかったのは明らかになった。
こちらから干渉を避ける方法もない。
それなら、本格的に敵対した時の事も考えないと……
――スカーレット様!
わ、吃驚した……。
いきなりの大声に思わず飛び上がって、岩肌に背中をこすってしまった。
と言うか、前世の温泉地にいるのは私の認識だけで実際は聖地デルヌーベンで魔漿液に浸かっている筈なのに、岩の感触はリアルにあるんだね。
おかげで背中が痛い……。
場所の誤認は前回だけだった?
そうとは考えにくいから、痛覚まで再現する幻影と考えた方がいいのかな。人間は思い込みだけで火傷できると聞いた事があるし、想像妊娠なんて現象もある。暗示が強力なら、目を覚ました後にも痛みは残ると考えられた。
鉱化スライム片を使って記憶を記録するまで疑いさえ抱いていなかった事を思えば、十分にあり得る。
誰も見当たらないから今回登場するのは私一人かと思っていたけれど、そうではなかったらしい。
芙蓉舞衣じゃないと判明したからアプローチを変えた?
仮の姿は必要なくなった?
改めて声の主を探してみると、湯船の中央に明らかに不自然なものがあった。
紅葉で彩られた温泉の真ん中に白い東屋がポツリと浮かんでいる。
比喩でもなんでもなく、水面に触れるギリギリの位置で高さを保っていた。建材自体があまりに白いのもあって、この世のものではないのだと違和感なく受け入れてしまう。
あれ、聖地の中心にあったヤツだよね?
前回同様に私が聖地の魔漿液に浸かっているのだとすると、あれがある事に不自然はない。むしろ、今の瞬間まで存在に気付かなかったことが異常だった。
そもそも日本の温泉風景に大理石より白い洋風建築物が鎮座しているのだから存在感が凄い。
おまけに、東屋が存在していても不自然がないくらいに湯舟が広がって見える。
これが夢だから?
それとも、これも幻影の一環?
いくつもの疑問が頭の中を巡る。当然、それに対する回答はどこにもない。
しかも、状況は私が平静に戻るのを待ってはくれなかった。
――よかった、スカーレット様。ご無事なのですわよね?
聞こえてきた声は芙蓉舞衣と違った。
けれど、間違いなく聞き覚えはある。声は喜びに満ちていて、少しかすれた様子から涙ぐんでいるものと察せられた。感極まるほどに今この瞬間が嬉しいらしい。
――南大陸にいらっしゃったのですね。北側のどこからも目撃情報が集まらなくてもしかしてとは思っていましたが、現実に留まられているようで本当に良かったです。皆絶対に喜んでくれますわ!
単なる呼びかけではなく相手が会話を求めた事で、朧気だった聞き覚えが徐々に形を成していく。
芙蓉舞衣の振りした誰かじゃないの?
これも幻影って事はないよね?
どうして彼女が?
どうやって私の夢に?
事情を話す前から状況を把握しているのは何故?
疑問は尽きない。むしろ、ますます謎は積みあがっていく。
それでも声の正体は確信に変わった。
もしかして、ノーラ⁉
――はい! 無茶だとは分かっていましたが、こうしてスカーレット様と繋げられて安心いたしました。
微妙に何を言っているのか分からない。
そもそも何が起きているかも、まるで見当がつかない。
それでも、友人の声が聞けた事は涙が出るくらいに嬉しかった……
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