第096話:狂騒のアーケードと、便乗する大人たち
八月六日、朝。俺は一人、静かに山口市中心部のアーケード街を歩いていた。
時刻はまだ九時を回ったばかりだ。だが、アーケードの中にはすでに異様な熱気と人口密度が充満していた。視界の先、連なるシャッターの前に、いくつもの長い行列ができている。彼らのお目当ては一つ。今日この街で、俺たちのライブを見るために各店舗二十枚だけ配られる入場整理券だ。
「通路を塞がないでください! 十時オープンの開店準備の邪魔になりますから、壁側に寄って!」
行列を整理しているのは、野田学園や中央高校の指定ジャージを着た女子生徒たちだった。京子先輩や麻耶たちが組織した誘導部隊が、すでに完璧なインフラとして機能している。
「そこ、シャッターが閉まってるのは空き店舗です! 券は出ないので、向かいの列に並んでください!」
事情を知らない県外からの遠征客が、すでに閉店したままの店に並ぼうとするのを、地元の学生スタッフたちが的確に誘導し、空いている店へと流していく。
俺は歩きながら、大人の欲がむき出しになった街の光景を観察した。山口のアーケードは地方都市にしては稼働している店舗が多い方だが、それでも中にはシャッターを下ろしたままの空き店舗も混ざっている。
朝八時から営業している昔ながらの喫茶店のドアには、すでに『整理券は終了しました』という手書きの張り紙が虚しく揺れていた。二十枚の枠など、この狂騒の中では瞬殺だ。
アーケードの中ほどには、一年中「閉店セール」ののぼりを掲げている怪しげな紳士服店がある。そこは十時の開店を待たず、すでにシャッターを半分だけ開けてフライングで整理券目当ての客を押し込んでいた。店から出てきた客の苛立った会話から、えげつない実態が耳に入ってくる。
「あの店、安い小物を全部奥の倉庫に隠してやがったぞ。整理券をもらうには、最低でも数千円する謎の服を買わなきゃならない」
「マジかよ、完全に足元見てやがる」
整理券の配布条件である「千円以上の買い物」。そのルールを逆手に取り、安い商品を隠して客単価を強引に引き上げている店があるらしい。
(……まあ、それはどうかと思うが)
俺は内心で呆れながらも、冷たく割り切った。多少のトラブルが起きたところで、俺が口を挟むことではない。クレームの処理は、この莫大な利益の恩恵を受けている商工会議所や実行委員会の大人たちが、自分たちの責任でなんとかするだろう。
一方で、少し先にある古びた金物屋では、別の意味で異様な光景が広がっていた。
普段なら職人しか買わないような高額な大工道具や砥石を、県外から来た派手な格好の若者たちが、整理券目当てに次々とレジへ持っていく。店主は、見慣れない客層と飛ぶように売れる商品に、ただ戸惑いを隠せない様子だった。
さらに足を進めると、普段は夜しか開いていない薄暗いバーの前に、真新しい看板が出されているのを見つけた。
『11:00オープン・beat less ランチ 3000円(整理券付き)』
山口の物価からすれば、異常なほど強気な価格設定だ。だが、店の前にはすでにその「プレミア」に縋ろうとする連中が列を作っていた。
(……見事なものだな)
俺は冷めた目でその看板を見つめ、小さく口角を上げた。大人たちは俺たちの鳴らす音など微塵も理解していない。だが、「金になる」と理解した瞬間、彼らは喜んで自らの店舗を発券機へと変え、この狂騒を煽る歯車となった。
大人の欲と、群衆の飢餓感。それらが完璧に噛み合い、この退屈な地方都市の商店街は、今まさに俺たちの仕掛けた巨大なシステムとして完全に駆動し始めていた。
8月1日(本日) 8月2日 午前午後 2話ずつ投稿します。




