第095話:怠慢な大人と、すれ違う音響
8月1日 8月2日 午前午後 2話ずつ投稿します。
八月六日。ちょうちんまつり当日の午後。
薫、勝、博士の三人は、静まり返った山口市民会館の大ホールに立っていた。
千五百人を収容する広大な客席と、クラシックコンサートを前提とした上品なステージ。
この日のために、木村なおが手配した派遣の音響(PA)スタッフには、事前に『ブラック・アルバム』と『ホワイト・アルバム』の音源、そしてアキラが書き殴った「機材の限界を突破するための緻密な調整メモ」を渡してあった。質問があれば連絡をくれと言ってあったが、結局、当日まで音沙汰はなかった。
「……遅えな」
薫が苛立たしげに足で床を叩く。
初顔合わせのために立ち会うはずだった木村なおも、予定の時間を二十分過ぎても姿を見せない。
やがて、ホールの重い扉が開き、木村が小走りで駆け込んできた。
「ごめんなさい、遅くなって! 実行委員会との話が長引いちゃって……あれ?」
木村は息を切らしながらステージを見渡し、眼鏡の奥の目を瞬かせた。
「音響の佐村くんたちは?」
「まだ俺たちだけですよ」
勝がギターケースを下ろしながら答える。
「どうしたのかしら……」
木村が顔をしかめ、携帯電話を取り出して番号を打ち込もうとした時だった。
ホールの後方扉がだるそうに開き、二十代後半くらいの男たちが数人、ぞろぞろと入ってきた。
「佐村さん! 遅いじゃないですか」
木村が声を張り上げると、先頭を歩いていた茶髪の男――佐村が、悪びれる様子もなく肩をすくめた。
「まあ怒んなよ。木村ちゃんのお願いだから、わざわざ来てやったんだぜ? だいたい、高校生バンドが大ホールでライブなんて、お遊戯会にも程があるだろ」
その言葉に、ホールの空気が一瞬で氷点下まで凍りついた。
「……なんだと?」
薫の喉の奥から、低く掠れた声が漏れる。胸ぐらを掴みかからんとする薫の気迫に、博士が慌てて間に割って入った。
「まあまあ、薫! 抑えて!」
薫は無言のまま舌打ちをし、壁際のパイプ椅子を乱暴に蹴り飛ばした。ガシャンという硬質な金属音が、広いホールに虚しく反響する。
その殺気に佐村たちが僅かに顔を引きつらせる中、職人気質の勝が一歩前に出た。
「……まあいい。俺たちの音楽を出すための調整、ちゃんとやってもらえるんですよね」
「まあな。一応プロだからな」
佐村が鼻で笑いながらPA卓の方へ向かおうとする。勝は食い下がるように問い詰めた。
「あの音、ここの機材でどうやって出すんです? 俺たち、ここのお上品な機材は触ったことがないんで、どう設定するのか分からないんですが」
アンプの回路が焼き切れる寸前のディストーションと、強烈なバックビート。それをこの「クラシック用のスピーカー」で出力すれば、一瞬でハウリングを起こすか、最悪スピーカーが飛ぶ。だからこそアキラが、極端なイコライジングを指定したメモを渡していたはずだ。
だが、勝の具体的な問いに、佐村は面倒くさそうに首を傾げた。
「はあ? どうやってって……ふつうにしてりゃいいだろ。アンプにマイク立てて、卓のフェーダー上げるだけじゃねえか」
「……は?」
勝が絶句した。
「あの……俺たちが事前に送ったCDとアキラのメモ、聴いてくれましたよね?」
「いや? ここしばらく本業が忙しくて、聴いてないよ。どうせ高校生のお遊びだろ? 現場で適当に合わせりゃなんとかなるって」
あっけらかんと言い放ち、あくびをしながら機材ケースを開け始める佐村。
勝と博士は、完全に言葉を失っていた。薫の瞳の奥では、決定的な殺意に近い炎が揺れている。
三人は、無言のままゆっくりと木村なおの方を振り返った。
圧倒的な事務処理能力で行政をハックしてきたはずの彼女が手配した大人の音響部隊は、俺たちの音の殺傷能力を微塵も理解していない、致命的なまでの『素人』だった。
だが、ここにはもう、アキラという指揮官はいない。自分たちの手で、この大人たちを調教するしかなかった。
「……まず、俺達の音を聴いてからです」
沈黙を破ったのは博士だった。持っていたCD-R『ブラック・アルバム』を、茶髪の男――佐村の胸に突きつける。
「なに?」
佐村が眉をひそめると、木村が眼鏡の位置を直し、鋭い声を放った。
「佐村さん。今日、あなたは財団の仕事で来ているんです。プロだったら、プロらしく仕事をしてください」
彼女の冷たい語気に、佐村は大袈裟に肩をすくめた。
「何言っちゃってんの木村ちゃん。まあいい、聴けばいいんだろ。そこのタスカムに突っ込め」
「……はぁ?」
機材の名称を出されて戸惑う博士の手から、佐村は強引にディスクをひったくった。
「これのことだよ」
佐村はPA卓のラックに組み込まれたTASCAMの業務用CDプレイヤーにディスクを押し込み、卓のマスターフェーダーを適当に押し上げた。
数秒の静寂。
そして、一曲目『Twist and Shout』の再生が始まった。
アキラが最適化した限界の音圧。大ホールのクラシック用スピーカーから、薫の獣のようなシャウトが、想定外の爆音となって叩き出される。
「なんじゃこりゃ!!」
佐村たちPAスタッフが、物理的な音の圧力に耐えきれず一斉に耳を覆った。
「なんだこの曲は! こんなの騒音じゃねえか!」
佐村が慌ててフェーダーを引き下げようとした。
だが、それより早く薫がPA卓に割り込み、佐村の手を乱暴に払いのけて、フェーダーを元の爆発的な音量まで強引に押し上げた。
曲はそのまま二曲目へ切り替わる。
『Revolution』。アンプの回路が焼き切れる寸前の、強烈なディストーションのイントロが大ホールを劈いた。
「これが、俺達の音だ」
薫が佐村を冷酷に見下ろす。
「わからんならそれでいい。機材の説明だけして、さっさと帰れ」
「おい、そんなこと言って大丈夫かよ」
すかさず、勝が横から慌てて薫の袖を引いた。アキラの緻密なメモもない状況で、直感型の薫がプロ仕様のPA卓をまともに調整できるとは、勝には到底思えなかったのだ。
「ああ、大丈夫だ」
薫は勝に向かって、ニヤリと不敵に笑った。
「去年の秋、『クィーン・オブ・ハーツ』が日比谷公会堂の全国大会で暴れた時、俺がPA卓を乗っ取って調整したからな」
「……は? 日比谷公会堂?」
二人のやり取りを聞いていた佐村が、目を丸くする。彼は音楽関係者だ。その名前に聞き覚えがないはずがない。
「おい、お前ら……テレビで放送されて大騒ぎになった、あの『ハトクイ』と関係あるのか!?」
テレビで放送された、女子高生バンドによる放送事故寸前のライブ。その舞台裏で音を操っていたのが目の前の高校生だと知り、佐村たちスタッフの顔つきが一変した。
勝は薫の言葉に驚きつつも、すかさず佐村に向かってハッタリをかました。
「ああ。あいつらは俺達の弟子だぜ」
「まじかよ……!」
「お前ら、あの時の無圧縮の音源も持ってんの!?」
「そりゃ、持ってるけど」
勝は少し呆れたように息を吐き、PA卓を顎でしゃくった。
「まあ、俺達の言うことを聞いて、この機材でちゃんと俺たちの音を作ってくれたら、考えてやるぜ」
「やるやる! 絶対やる!」
佐村たちは、先ほどまでの気怠げな態度を完全に裏返し、目を輝かせて機材に向かい始めた。
(……なんかあっさりだな。こいつらなんなんだ)
博士と勝は顔を見合わせ、毒気を抜かれたように小さく息を吐いた。
アキラの不在。だが、彼らは自分たちの手で「テレビの威光」と「大人の好奇心」を見事にハックし、巨大なホールの音響を完全に掌握してみせたのだ。
「※本作品は山口市をモデルとしたフィクションです。作中に登場する実在の施設(YCAM、山口市民会館など)や団体、およびその運営方針等は、すべて物語上の架空の設定であり、現実のものとは一切関係ありません。」




