第092話:六千枚の整理券と、商店街の買収
8月1日(本日) 8月2日 午前午後 2話ずつ投稿します。
八月三日。ちょうちんまつり本番まであと三日と迫った、市民会館の第一会議室。
テーブルの上には、木村なおが地元の印刷業者に特急で発注した、時間帯ごとに色分けされた『入場整理券』の束が山のように積まれていた。
「……で、この六千枚をどうやって配るんだ。当日、駅前で手渡しなんかしたら一瞬で暴動になるぞ」
勝が腕を組んで凄むと、俺は手元のノートPCを開いた。
「俺たちが直接配る必要はありません。半分は、すでに安全な場所へ確保されています」
画面に表示させたのは、山口市内の宿泊施設の満室を知らせる予約サイトだ。
「湯田温泉の旅館街と新山口駅周辺のビジネスホテル。現在、そのおよそ二千五百室を俺たちの演奏を目当てに来た遠征組が占拠している。ですから、旅館組合を通じて『当日のパニックを避けるための安全措置』として、チェックイン時にこの整理券を渡させます」
俺は画面をスクロールさせ、言葉を続けた。
「宿を取れずにやって来た海外からの客には、駅前の観光案内所でパスポートの提示を条件に配らせる。言葉の通じない外国人がチケットを求めて街を徘徊すればトラブルになるから、『安全管理』という大義名分を与えれば行政側も喜んで専用窓口を用意してくれます」
大人のシステムを逆手に取った対応策だ。俺の淡々とした説明に、薫が呆れたように息を吐いた。
「……大人ってのは、そうやって転がすんだな。じゃあ、残りの半分はどうすんだ。県外からの日帰り組や、地元のガキどもが一番多いんだろ。そいつらにタダでばら撒いたら、それこそ収拾がつかなくなるぞ」
「その三千枚については、私に任せてちょうだい」
俺が口を開こうとした時、木村なおが眼鏡の位置を直し、手元の書類を一枚テーブルの真ん中に滑り込ませた。
そこには、山口中央商店街の店舗リストが印刷されていた。
「当日、山口中央商店街のデパートを除く個人店舗、約百五十店に、一律で二十枚ずつ整理券を配布するわ。合計で三千枚ね。そして、各店舗で『千円以上の買い物』をした人にだけ、レジで整理券を渡すシステムにするの」
「……千円?」
博士が素っ頓狂な声を上げると、隣で勝が小さく息を呑んだ。
「おい、百五十店に二十枚ずつってことは、三千枚だろ。……全員が千円使ったら、一日で三百万の現金が商店街に落ちるってことか!?」
「いいえ、現実にはもっと大きなお金が動くわ」
木村なおは、表情一つ変えずに冷徹な経済のロジックを提示した。
「千円ぴったりで買い物をするのは難しいから、客はついでに飲食をしたり、多めに買ったりする。さらに重要なのは、目当ての店の整理券がなくなれば、客は券が残っている店を探して、今まで入ったことのない店にまで足を踏み入れることよ。……この『回遊性』の創出こそが、商店街にとって一番大きいの」
俺は、無言で彼女の横顔を見つめた。
ただの穴埋めだったはずのこの女性は、行政の実務と地元の利権を知り尽くしている。だからこそ、大人の欲を的確にコントロールする解決策を瞬時に組み上げてみせたのだ。
「先日、君たちの演奏を中止にしろと騒いでいた商工会議所の大人たちも、この『平等な利益』を目の前にぶら下げられれば文句は言えない。むしろ、大喜びで君たちの発券スタッフへと寝返るはずよ」
「さらに、各店舗の大人たちには、整理券を渡す際にその客の『性別』と『年齢』を券に直接記入してもらい、店のゴム印を押させる。……そして、市民会館の入館時にそれをチェックするわ」
「なるほど」
俺は静かに頷いた。
「それなら、ダフ屋の偽造や転売も防げるし、会場の客層が偏ってトラブルが起きるリスクも物理的に排除できる。……見事な手際です。流石です」
俺の言葉に、木村なおは小さく肩をすくめた。
「どういたしまして。大人の欲求と行政のシステムを利用するのは、私の得意分野だから」
薫たち三人は、すっかり毒気を抜かれたように黙り込んでいた。
実務と交渉を知り尽くした大人の介入により、俺たちのライブを安全かつ確実に実行するための準備が、いよいよ最終段階に入っていた。
「※本作品は山口市をモデルとしたフィクションです。作中に登場する実在の施設(YCAM、山口市民会館など)や団体、およびその運営方針等は、すべて物語上の架空の設定であり、現実のものとは一切関係ありません。」




