第091話:市民会館の解放区と、完璧な盾
8月1日 8月2日 午前午後 2話ずつ投稿します。
八月一日。蝉の声がやかましく響く土壁の蔵で、薫が不機嫌そうに携帯電話をポケットに突っ込んだ。
「……実行委員会からだ。安全上の理由で、俺たちのメインステージでの演奏を中止にしてほしいだとよ」
普段の薫なら、電話口で怒鳴り散らしていただろう。だが、彼は珍しく感情を抑え、俺たちの方を見て短く息を吐いた。
「電話でキレても仕方ねえからな。一旦持ち帰って、メンバーと相談するって切ってやったぜ」
「いまさらだよね。もう一週間切ってるのに」
智ちゃんが眉を下げた。勝や博士も顔を見合わせる。
「でもよ、いくらパークロードが広いっていっても、野外の仮設ステージに何千人も一気に殺到したら完全に暴動だ。車道に人が溢れて事故でも起きたら、寝覚めが悪いぜ」
「ええ。ですが、この熱狂はもう止められません。明日、市役所へ出向きますよ」
俺は冷たい麦茶を飲み干し、立ち上がった。
* * *
翌日の午前。山口市役所・観光課の会議室。
長いテーブルを挟み、観光課長と商工会議所の主任が腕を組んで座っていた。
「……単刀直入に言うが、君たちを野外のメインステージに立たせるわけにはいかなくなった」
観光課長が、手元の資料を指先で叩きながら冷徹な声で告げた。
「湯田や駅前のホテルの予約客の半数が、君たちの演奏を目当てに来ていることが判明した。パークロードの野外会場に数千人が殺到して、もし将棋倒しのような事故が起きれば、我々行政の管理責任が問われる。これは絶対に避けねばならん」
「おっしゃる通りです」
俺は制服の膝の上で両手を揃え、丁寧な口調で同意した。
「ですが、いまさら完全な中止を発表すれば、すでに交通手段と宿を手配した数千人の客が納得しません。湯田温泉街で暴動騒ぎになりかねない。そうなれば、やはり市と商工会議所の責任問題になるのではないでしょうか」
課長と主任は、押し黙った。
彼らはパニックになっていたわけではない。プロの行政官として、「野外での事故リスク」と「中止による暴動リスク」の板挟みになり、いかに自分たちが無傷で責任を逃れるかという抜け道を、必死に探っていたのだ。
「……僕から、一つ提案させていただいてもよろしいですか」
俺は切り出した。
「市民会館の大ホール。当日、あそこは空いていますよね。あそこを僕たちにお借りできませんか」
「市民会館だと?」主任が眉をひそめる。「あそこは最大でも千五百人収容だ。数千人の群衆をどう押し込む気だ」
「持ち時間の十五分を、入れ替え制で回します」
俺は説明を重ねた。
「観客を屋内のホールに誘導し、時間を区切って少しずつ商店街へ吐き出す。外のパニックを防ぎつつ、溢れた人を商店街での消費に向かわせることができるはずです」
主任の顔色が変わった。
観客を安全に誘導し、なおかつ商店街に確実に金を落とさせる。それが、商工会議所にとって最もメリットが大きい提案だと気づいたのだ。
「……だが、数千人を入れ替える誘導スタッフの予算など、市には組まれていないぞ。我々の人員を割くわけにもいかん」
課長が、あえて難色を示すように言った。
「誘導のスタッフは、地元の高校生のボランティアを集めます」
俺は間髪入れずに答えた。
「大人の警備員が制圧するよりも、地元の学生が誘導する方が、県外の客も身構えずに指示に従いやすいはずです。人員の確保と配置は、すべて僕たちで行います」
課長の目が動いた。
ボランティアという言葉が出た瞬間、彼の頭の中で「万が一トラブルが起きても、市の責任を『学生の自主的な活動への施設貸与』にとどめられる」という計算が立ったのが見えた。
「……学生の自主的な解決策というわけか。それならば、市としても協力する大義名分が立つな」
課長は頷き、主任と視線を交わした。互いの保身と実務的なメリットが合致し、大人たちは俺たちの提案に乗ることを決めた。
「ありがとうございます」
俺は頭を下げ、言葉を続けた。
「その代わり……ボランティアをしてくれた学生たちへの礼として、祭りの後片付けが落ち着いた後日、もう一度だけ市民会館を使わせていただけませんか」
「……抜け目のないことだ。まあ、それくらいは考慮しよう」
課長が短く息を吐き、苦笑した。
大人の事情とこちらの要望を擦り合わせた、ギリギリの合意。
だが、これを現場で形にするには、もう一人重要な人員が必要だった。
* * *
同日の午後。ちょうちんまつり当日まであと四日に迫った、山口市民会館の第一会議室。
観光課長や財団の管理職たちが、難しそうな顔で書類を睨みつけていた。長いテーブルを挟んだ向かい側には、俺と薫たち『beat less』の五人が並んで座っている。
「……君たち自身の力で誘導スタッフを集めるという熱意は素晴らしい。だが、相手は数千人の観客だ。万が一怪我人でも出れば困る。施設を貸し出す我々としても、大人の側から責任者を立てるのが筋というものだろう」
財団の理事が、もっともらしい声で言った。
「しかし理事、各部署ともまつり本番の対応で手が塞がっております。今から誰を……」
「そうだな。だが、彼らは若く情熱がある。ここは一つ、若手の柔軟な対応力に期待してみないかね」
もっともらしい建前だ。だが要するに、面倒な現場の責任を一番立場の弱い人間に押し付けようとしているだけだった。沈黙が続く中、大人たちの視線が、部屋の隅で議事録をとっていた若い女性職員へと向いた。
「……木村くん。君は今年着任したばかりで、まだ大きな案件を持っていなかったね。このライブのサポート、君に任せよう」
木村なお。二十二歳。
おとなしそうな眼鏡をかけた新入職員が「は、はい。承知いたしました」と頭を下げるのを見て、大人たちは安心したように部屋を出て行った。問題が起きれば彼女の経験不足のせいにできる、都合のいい配属だった。
部屋に取り残されたのは、俺たち五人と彼女だけになった。
「……貧乏くじを引かされましたね、木村さん。完全に押し付けられましたよ」
俺が言うと、木村は眼鏡の位置を直し、落ち着いた声で答えた。
「仕方ありません。新人ですから。……それよりも皆さん、時間がないので確認させてください」
彼女はバインダーから数枚の書類を取り出し、テーブルの上に広げた。
「まず、入場管理についてです。五千人が殺到するなら、入れ替えの際に必ず混乱が起きます。ですから今朝、連絡を受けた時点で、地元の印刷業者に時間帯ごとに色分けした整理券を六千枚、急ぎで発注しておきました。今日の夕方には届きます。当日はこれを事前配布し、券のない人は敷地内に入れないようにします」
「……六千枚」
俺は驚いて彼女を見た。薫や勝も顔を見合わせている。
市役所での協議内容を聞いただけで事態を把握し、大人たちが責任を押し付け合っている間に、すでに実務的な手配を終わらせていたのだ。
「次に、音響設備についてです」
彼女が続けると、薫が身を乗り出した。
「おい、あんた。俺たちの音は、市民会館の普通の機材じゃパンクするぞ」
「ええ。クラシックや講演会用の機材では耐えられない可能性があります。ですから、財団に出入りしている業者の中から、個人でライブハウスなどの音響をやっている方を五人、急遽手配しました。当日は彼らに現場に入ってもらいます」
薫と勝は、圧倒されたように口を閉ざした。
ただの押し付けられた担当者だと思っていたが、彼女は組織のルールの範囲内で、現場に必要な準備を的確に整えてみせたのだ。上司たちは、彼女の実務能力の高さに気づいていないようだった。
(……この人、ものすごく仕事が早い)
行政と俺たちの間をつなぐ、一番頼もしい担当者が現れた瞬間だった。
「……助かります、木村さん。音の調整は、薫さんたちとスタッフの方で詰めてもらいます」
俺が言うと、木村は小さく息を吐き、眼鏡の奥から俺をじっと見つめた。
「ねえ、二条くん。……あなた、本当に高校生?」
唐突な問いに、勝や博士が顔を上げる。俺は平静を保って問い返した。
「どういう意味ですか」
「一回千五百人の入れ替え制、周辺の交通混雑の回避、それから遠方から来た観客の不満を抑えるための追加公演。……普通、十五歳の高校生がここまで計算して提案できないわよ。大人は保身で必死だったから気づいてなかったみたいだけど、手慣れすぎているわ。あなた、本当に何者なの?」
実務を速攻で組み立てた彼女だからこそ、俺が提示した企画全体の「無駄のなさ」に気づいたのだ。
俺は苦笑いを浮かべて答えた。
「ただの山高の一年生ですよ。先輩たちが無茶ばかり言うので、必死で考えただけです」
木村は俺の顔を見つめ、やがて呆れたように、だがどこか安心したように笑った。
「……そう。なら、その知恵を使って、当日は最高のステージにしてちょうだい」
彼女の言葉に、薫は何も言わず、口元を緩めて首の骨を鳴らした。
当日、市民会館でトラブルを起こさずに乗り切るための準備は、これでようやくすべて揃った。
8月1日 8月2日 午前午後 2話ずつ投稿します。
「※本作品は山口市をモデルとしたフィクションです。作中に登場する実在の施設(YCAM、山口市民会館など)や団体、およびその運営方針等は、すべて物語上の架空の設定であり、現実のものとは一切関係ありません。」




