第090話:顔出しの招待状と、パンクする温泉街
七月中旬。梅雨明けの容赦ない日差しが照りつける土壁の蔵で、俺は持ち込んだノートPCの画面から顔を上げ、メンバーたちに告げた。
「来月の『山口七夕ちょうちんまつり』ですが、メインステージでの演奏が決まりました。持ち時間は三十分、五曲やります」
その言葉に、薫や勝、博士たちが一斉に目を丸くした。一昨年、俺たちがゲリラ的に演奏したのは、アーケードの端にある銀行前の狭いスペースだったからだ。
「なんでまた、いきなりメインなんだよ。俺たち、大人から見りゃただの素人だぞ」
「京子先輩たち『クィーン・オブ・ハーツ』が、引退前に実行委員会へ強力に推してくれたそうです。それに、中高生たちの間で『あのbeat lessがメインステージに出るらしい』と騒ぎになりすぎて、実行委員たちも、その集客力だけは無視できなかったんでしょう」
「へっ、京子たちには頭が上がらねえな」
薫が嬉しそうにギターの弦を弾く。智ちゃんも「五曲もできるんだね!」と顔を輝かせた。
「そこで、事前の告知を行います。……動画を撮りますよ」
俺は部屋の隅から三脚とビデオカメラを引っ張り出し、彼らの正面に据えた。
「今回はシルエットでも、無表情のプラカードでもありません。宣伝用の動画として、俺たちの顔と声を出して、直接語りかけます」
録画の赤いランプが点灯する。
薫がカメラのレンズを真っ直ぐに見据え、口を開いた。
『俺たちはbeat less。八月六日と七日、山口の赤い提灯の下で待ってる』
その後ろから、俺が流暢な英語で言葉を被せる。
『We are beat less. We'll be playing at the Yamaguchi Lantern Festival on August 6th and 7th. Come and see us.(俺たちはbeat less。八月六日と七日、山口ちょうちんまつりでプレイする。見に来てくれ)』
俺はたった十秒のその映像データをノートPCに取り込み、YouTubeへとアップロードした。
数日後。
山口市役所・観光課のフロアは、かつてない事態に直面し、混乱に陥っていた。
「課長! 湯田温泉の旅館組合から、また電話が! 来月六日と七日の予約枠が、昨日から一気に埋まったそうです!」
「埋まった!? 団体客か何かか?」
「それが……個人客ばかりで、しかも全国各地、さらには海外からの英語での問い合わせメールまで殺到しているらしく、現場のスタッフが対応しきれずに泣きついてきています!」
観光課長は頭を抱えた。
「一体何が起きているんだ。我が市で海外向けに大々的なプロモーションなど打っていないぞ。それに、全国から人が押し寄せるような理由が……」
「どうやら、七夕ちょうちんまつりに出演する『ビートレス』というバンドを目当てに集まってきているようです」
「びーとれす……? なんだそれは。東京の大手事務所のアーティストか? なぜそんな大物がうちの祭りに来るんだ」
「それが、誰も知らないんです! 実行委員会に問い合わせても、『地元の中高生に人気があるみたいだから、メインステージの穴埋めに入れただけだ』と……」
既存の芸能界のルートも、テレビの宣伝も一切使っていない正体不明のバンドが、地方都市の宿泊施設をまたたく間に埋め尽くす。既存の常識では説明のつかない事態に、市役所のインフラが悲鳴を上げていた。
一方。俺は自室の古いPCの前で、俺たちが公開した十秒の告知動画のコメント欄を眺めていた。
動画の再生数は急激に伸び、画面の下には多言語のコメントが次々と流れている。
『Yamaguchiに行くフライトを取った。彼らの生の音を聴くためなら何でもする』
『日本のLantern Festivalか。西海岸から駆けつけるぜ』
別のタブで開いている国内の掲示板でも、『青春18きっぷで山口に遠征する』『野宿してでもbeat lessを見る』という書き込みが乱立し、スレッドを消費し続けている。
(……十分な効果だ)
大人の権力も、テレビの宣伝も一切使っていない。ただネット上に置いた短い動画一つで、音楽を求める人間たちが、この地方都市に向かって移動を開始している。
市内のホテルや交通機関は、今頃対応に追われていることだろう。歴史的な観光地であるこの街に、想定外の数の人間が押し寄せようとしているのだ。
「さあ……最高のステージの準備を進めましょうか」
俺は冷めたコーヒーを飲み干し、静かにPCの画面を閉じた。
「※本作品は山口市をモデルとしたフィクションです。作中に登場する実在の施設(YCAM、山口市民会館など)や団体、およびその運営方針等は、すべて物語上の架空の設定であり、現実のものとは一切関係ありません。」




