閑話:国境を越えたSOSと、バンリューの少女
フランス、パリ郊外。
移民たちが多く暮らすバンリュー(公営団地)の灰色の空の下、十四歳のアミーナは足早に通りを抜けた。
アルジェリア系の移民である彼女の家は、厳格なイスラムの規律に守られている。
礼拝の時間を重んじる父の前で、西洋の行儀の良い流行歌や、ましてや不良たちが鳴らすような粗野な騒音など絶対に持ち込めない。
だから彼女は放課後になるといつも、カトリック系である親友・マリーの家に入り浸っていた。
「ねえアミーナ、早く! 昨日見つけたこのサイト、すっごく変なの!」
マリーの部屋に入るなり、彼女はパソコンのモニターを指差した。
画面には『YouTube』という簡素なサイトが開かれている。
「極東の島国……JAPANのバンドらしいわ。名前は『beat less』」
再生ボタンが押される。
画面に映し出されたのは、奇妙な形をした古い塔(五重塔)を背景に、黒っぽい制服を着たアジア人の少年たちが一列に並んでいる、粗い白黒の映像だった。
「なにこれ。ただ突っ立ってるだけじゃない」
アミーナが呆れたように言った、その直後だった。
チープな備え付けスピーカーから、空気を物理的に引き裂くような、限界まで歪んだギターのディストーションノイズが叩き出された。
「えっ……!?」
アミーナの心臓が、激しく跳ねた。
四拍子の強烈な裏打ちに乗せて、画面の中の少年がマイクに向かって絶叫する。
喉が張り裂けんばかりの、怒りと情念を剥き出しにしたシャウト。
そして、無表情の少年が地面に落としたプラカードの太い黒文字に、アミーナは息を呑んだ。
『À l'aide! J'ai besoin de quelqu'un!(助けて! 誰か必要なんだ)』
それはまぎれもなく、彼女たちの母国語であるフランス語のメッセージだった。
「……なによ、これ。すごくうるさくて……でも」
アミーナの瞳は、完全に画面に釘付けになっていた。
厳格な親の教えと、息の詰まるような団地の日常。
その行き場のない閉塞感を、海の向こうの見知らぬ少年たちが、この暴力的なノイズと切実なSOSで完全に代弁してくれているように感じた。
「最高にイカれてるでしょう!?」
マリーが興奮で頬を真っ赤に染めながら言った。
「私、昨日からこの動画を何十回もリピートしてるの。これを聴いてると、なんか身体の奥が熱くなって、じっと座っていられなくなるのよ!」
◇
翌日の学校。
二人は興奮冷めやらぬまま、クラスメイトの女子たちを捕まえてはその動画の存在を熱っぽく語った。
「ねえ、マリー」
放課後、アミーナは真剣な目で親友を見た。
「あなたの家の物置に、お父さんが昔使ってた古いアコースティックギターがあるって言ってたよね」
「えっ、うん。弦は錆びてると思うけど」
「私、空き箱でもバケツでも何でも叩くわ。……私たちも、バンドをやりましょう! この『beat less』みたいに、大きな音を出して叫ぶの。絶対に面白いに決まってる!」
アミーナの提案に、マリーも弾かれたように強く頷いた。
「賛成! 私の家のガレージなら、パパも大目に見てくれるはずよ!」
二人の少女は、誰かに見つからないように、しかし抑えきれない興奮でキャアキャアと声を上げて抱き合った。
「ねえ、アミーナ。この人たち、次の動画はいつ出してくれるのかな」
「分からないわ。でも、毎日サイトをチェックしなきゃ! 次はどんなヤバい音を鳴らしてくれるのか、もう待ちきれない!」
◇
彼女たちは、極東の島国でこのノイズを設計した少年の存在など知る由もない。
だが、ただ画面越しに放たれた圧倒的な熱量と、計算し尽くされたフランス語のプラカードだけで、宗教も環境も違う異国の少女たちの退屈な日常は完全に塗り替えられ、新たな衝動へと駆り立てられていた。
大人が敷いた規律も、国境も関係ない。
日本の少年たちが鳴らす歪んだ不協和音は、こうして見えない電波に乗って海を越え、世界中の若者たちの本能を確実に狂わせ始めていた。




