第084話:映像の設計図と、家庭用ビデオカメラ
二〇〇六年、春の終わり。
週末。博士の実家の裏手にある土壁の蔵で、俺は新調したノートPCの画面を無言で睨んでいた。
博士が母屋のルーターから三十メートル近いLANケーブルを地面に這わせて引っ張ってきてくれたおかげで、この埃っぽいアジトは、世界と直接繋がる前線基地として機能している。画面に表示されているのは、海外の粗いミュージックビデオのデータだ。
YouTubeでの顔出し解禁に向けた本格的な活動。俺の脳内には、楽曲のバックビートと視覚的なカット割りが完全に同期し、観る者の神経を直接揺さぶる「ミュージックビデオ」の明確な完成像がある。
それに近づけたいが、圧倒的に人的リソースが足りない。映画部の尾田の撮影技術は高校生の域を遥かに超えているが、彼のレンズはあくまで個人の芸術性――とりわけ井川京子という偶像への執着によって駆動している。俺の意図を忠実に映像化するための歯車としては、少々扱いづらいのだ。
どこかで俺の思い通りに動く人間を見つけるか、俺自身で緻密な絵コンテを切り、フレーム単位で指示を出して彼に撮らせる手もある。だが、高校のカリキュラムをこなしながら音源を作り、さらに映像監督まで兼任する時間はなかった。
「……アキラくん、なに悩んでるの?」
ふと、隣から声がした。予備のシールドを巻いていた智ちゃんが、俺のPCの画面を覗き込んでいる。
「YouTube用の映像をどう撮るかでね」
俺が画面から目を離さずに答えると、彼女は少し首を傾げた。
「尾田くんに任せていればいいんじゃない?」
「彼は京子さんを撮るために参加したようなものだからね。いくらかは協力してくれるだろうけど、彼はもう三年生だ。本格的に受験勉強に入らなきゃならない時期だろ」
「……あのねえ。私も二年生になったんだから、そろそろ受験のこと考えなきゃいけない時期なんだけど?」
智ちゃんが、少しジト目で突っ込みを入れた。
「そうだったな」
俺は軽く肩をすくめた。進学校の生徒にとって、三年生の尾田は言わずもがな、二年生であっても夏以降は本格的な受験体制への切り替え時期だ。それを差し引いても、どうやって映像を形にするか見当がつかない。
「アキラくん。……私がやってあげようか」
「えっ」
予想外の提案に、俺は思わず手を止めて彼女を見た。
「わたし、もともとアキラくんのパートのヘルプみたいな立場だし。アキラくんがエレクトーンを弾く時は私がベースを弾くけど、手が空いてる曲なら、必要なときだけカメラに入れば良いんじゃない?」
確かに、彼女はバンド内で遊撃的なポジションにいる。演奏に参加しないタイミングであれば、カメラを回す手は空いているのだ。
「でも、機材は扱えるの?」
「ビデオカメラなら家にあるよ。お父さんが中学校までは、ビデオ担いで私たちの運動会とか文化祭にやってきてたの。卒業式も途中までは撮ってたわ」
智ちゃんの家庭は、彼女が中一の時に母親が亡くなり、父親と妹の三人暮らしだ。男手一つで娘たちの記録を残そうと、不器用にカメラを回していた父親の姿が目に浮かぶ。
「智ちゃん自身は、撮ったことあるの?」
「あるよ」
「カメラのテープの規格は何か、わかる?」
「ええと……MiniDV、だと思う」
「尾田さんと同じだな」
俺は小さく口角を上げた。
「だったらソースの互換性がある。同じ編集ソフトを使えば、彼に教えを乞うこともできる。……でも、ビデオの編集作業は、恐ろしく時間がかかる作業だよ。PCの前に何時間も張り付くことになる」
「そうなの?」
智ちゃんは少し困ったように眉を下げた。
「わたし、家のこともしないといけないし……それは難しいかも」
「構いません。撮影だけ回してもらえるなら、それだけで十分助かる」
俺はノートPCを閉じ、彼女に向き直った。
「編集はまた別の手を考えよう。……頼みますよ、カメラマン」
「うんっ!」
智ちゃんがパッと顔を輝かせる。
完璧な映像を作るための新しい視点と機材は、思わぬところから俺の手の中に転がり込んできた。
今日の夜は2話投稿です。




