第076話:凱旋のステージと、残された飢餓感
九月。二学期が始まり、朝晩の風が少しだけ涼しさを帯びてきた週末。
土壁の蔵で、俺は一人、ハンダごてを握ってエフェクターの基盤をいじっていた。
引き戸が開き、山高の制服を着た薫たちがぞろぞろと入ってくる。手にはそれぞれ、楽器のケースや鞄を提げていた。
「よお、アキラ。熱心だな」
薫がパイプ椅子にどかりと座り、ギターケースの留め金を外した。
「福岡からの帰りの貸切バス、えらい騒ぎだったらしいぜ」
勝がアンプの電源を入れながら、笑い混じりに言った。
「相良の『ブルースカイ』が表舞台から消えてから、山口の音楽界隈はずっとお通夜みたいな空気だったからな。そこにうちの高校からグランプリと二位が出たもんだから、同乗してた好楽楽器店の店長が興奮して大泣きしてたってよ」
「おまけに尾田の野郎、そのどさくさに紛れて店長に取り入って、グランプリを獲った井川先輩たちの東京大会へ、公式カメラマンとして旅費を出してもらう約束を取りつけてやがった」
博士が呆れたように肩をすくめる。
俺はハンダごてを置き、小さく息を吐いた。あの青白い映画部の男も、完全にこの熱量の渦の中で自分の立ち位置を確立しているらしい。
「で、始業式はどうでしたか」
俺が尋ねると、薫は少しだけ顔をしかめた。
「……生徒会の奴らが、始業式の後に先輩たちの凱旋コンサートを組んでくれたんだ。山高ってのは意外と自主性を重んじるっつーか、話のわかる学校でよ」
「全校生徒が大盛り上がりだったよ」
智ちゃんが、ベースのチューニングをしながらぽつりと言った。
「でも……なんだか、微妙な気分だったな」
「ああ。あいつらが鳴らしてるのは、結局俺たちが土日で教え込んだ音だ。それを客席からただ黙って見てるってのは……フラストレーションが溜まるぜ」
勝が忌々しそうに吐き捨てる。
俺たちの作り上げた音が、何百人もの生徒を熱狂させている。だが、彼ら自身はまだそのステージに立つことが許されない。
その飢餓感が、彼らの内部で鋭い刃のように研ぎ澄まされつつあった。
その時、蔵の引き戸が遠慮がちにノックされた。
「入るよ」
顔を出したのは、私服姿の富田康夫と井川京子だった。
「先輩たち。どうしたんですか」
薫が立ち上がると、富田は少し照れくさそうに頭を掻き、まっすぐに薫の目を見た。
「始業式が終わってから、ちゃんと礼を言ってなかったと思ってね」
富田は深く頭を下げた。
「薫くんたちのおかげだよ。僕たちみたいな大人しい連中が、全校生徒の前で歓声を浴びる日が来るなんて思わなかった。……本当に、最高の思い出ができたよ。僕たちは二位で東京には届かなかったけど、もう半年後は三年生だ。これからは、受験勉強の方で頑張るつもりだ」
井川も隣で、静かに頭を下げる。
「富田くんたちの分も、私たち、東京の全国大会で絶対に暴れてくるから。……本当にありがとう」
彼らの顔には、やり切った者だけが持つ清々しい表情が浮かんでいた。
グランプリというたった一枚の切符を巡り明暗は分かれたが、彼らの胸の奥には、決して消えない熱が刻み込まれている。
富田は俺の方に向き直り、もう一度頭を下げた。
「アキラくんも。君が曲をくれて、背中を押してくれたから、僕たちはここまで来れた。本当にありがとう」
俺は基盤から目を離し、立ち上がって短く会釈を返した。
「……お疲れ様でした。富田先輩たちも最高のステージでしたよ。井川先輩は、東京でも派手にやってきてください」
俺が淡々と告げると、富田と井川は満足そうに微笑み、蔵を後にした。
引き戸が閉まり、再び薄暗くなった蔵の中。
「……行っちまったな」
薫が、閉まった戸を見つめながら呟いた。
「俺たちの出番は、来年の春からです」
俺は再びエフェクターの基盤に向き直り、冷たい声で告げた。
「それまでは、その飢えを限界まで溜め込んでおいてください。……さあ、音を出しますよ」
ジャキッ、と。
薫がストラトキャスターの弦を乱暴に弾き、勝と博士も獰猛な笑みを浮かべて楽器を構えた。
先輩たちの背中を見送った彼らの手から放たれるノイズは、今まで以上に鋭く、重い熱を帯びて土壁を震わせていた。




