第075話:留守番のハッカーと、侵食のラジオ
八月下旬。いよいよTMF九州・沖縄エリア大会の日がやってきた。
だが、決戦の地である福岡・イムズホールへ、俺は行かない。
来年、薫たちと同じ山高の制服という「防波堤」を手に入れるためには、夏期講習と受験勉強という中学生としての現実的なコストを確実に支払う必要があった。
山口駅のホーム。新幹線に乗り継ぐ新山口への列車に向かう乗車口で、俺は高校一年生になった四人のメンバーを見送っていた。
「本当に来ねえのかよ。アキラが仕掛けた最高のステージだぜ?」
薫が不満そうに口を尖らせる。
「俺は山口で留守番です。先輩たちの晴れ舞台、しっかり見届けてきてください。……尾田さんは?」
「あいつなら、山高の公式随行カメラマンみたいな顔して、富田先輩たちと同じ貸切バスに乗り込んでいったぞ」
勝が笑いながら言う。
「アキラくん」
智ちゃんが、少し申し訳なさそうな顔で俺を見た。
「お土産、買って帰ってくるからね。何がいい?」
「やっぱ、博多通りもん、かな」
俺が即答すると、智ちゃんは少し拍子抜けしたように目を瞬かせ、やがてクスッと笑った。
「……まぁ、いいけど。もっとオシャレなもの頼むかと思った」
発車のベルが鳴り響く。俺は一歩下がり、ドアに乗り込む四人に向かって静かに頭を下げた。
「俺たちが作った最高傑作です。確実にGPを獲って、全国大会へ行けるよう応援してきてください」
「おう。土産話、楽しみにしてろよ!」
ドアが閉まり、特急が滑り出していく。俺はその姿を見送り、夏期講習のテキストが詰まった重いカバンを背負い直して、一人、駅の階段を下りた。
その日の夜。
自室の机に向かい、数学の問題集を広げながら、俺は枕元に置いたラジカセの電源を入れた。
流れてくるのは、FM福岡の生放送――TMF九州・沖縄エリア大会の特別番組だ。九州・山口の各県から選抜されたバンドたちの演奏ダイジェストが、ラジオの粗いスピーカー越しに響いてくる。
俺はペンを回しながら、その音を冷静に分析した。
出場しているバンドの多くが、不自然なほどアンプのゲインを上げ、無理やり四拍子の裏打ち(バックビート)を刻もうとしている。一昨年の夏、俺たち『beat less』がこのステージで引き起こした暴動と、その後にばら撒いた毒は、確実に九州全土の十代を侵食していた。
『――お聴きの通り、今年のステージは非常にアグレッシブですね』
番組のDJが、興奮冷めやらぬ声でマイクに向かっている。
『一昨年、伝説的な騒ぎを起こした「beat less」の影響を感じさせる、激しいビートのバンドが本当に増えました。……ですが、ただ音を歪ませただけのバンドは、やはり途中で息切れしてしまいます。その中で、本物の熱量で会場を完全に支配していたのが……今年の山口代表の二組でした』
俺はペンを置き、ラジカセのボリュームを少しだけ上げた。
ラジオから、富田たち『ザ・サーフ・ボーイズ』の狂騒的なエイトビートと、井川京子率いる『クィーン・オブ・ハーツ』の内臓を引っ掻くような情念のシャウトが流れ出す。
表面的なノイズをなぞっただけの有象無象とは次元が違う。俺と薫たちが、土壁の蔵でマンツーマンで泥臭く叩き込んだ生きた音の説得力が、電波越しにもはっきりと伝わってきた。
『それでは、今年の九州・沖縄エリア大会の結果を発表します。……見事グランプリに輝き、東京での全国大会への切符を手にしたのは――山口代表、クィーン・オブ・ハーツ! そして次点となる優秀賞には、同じく山口代表、ザ・サーフ・ボーイズが選ばれました!』
ラジオの向こうで、割れんばかりの歓声と悲鳴が響き渡る。
俺は小さく息を吐き、机の上の参考書を閉じた。
進学校の、おとなしい優等生たち。彼らが山口・九州の頂点に立ち、東京(全国)へと進む。
そしてこの街のどこかでは、俺が究極の歪み(ファズ)を託した相良が、来年の東京進学とデビューに向けて、一人で牙を研いでいるはずだ。
地方から放った二つの劇薬が、確実に中央のシステムを内側から食い破ろうとしている。
「……お見事です、先輩たち」
俺は誰もいない部屋で静かに呟いた。
来年の春、俺自身が山高の制服を手に入れた時、この退屈な世界をどうひっくり返してやるか。
窓の外の虫の音を聞きながら、俺は静かな高揚感とともに、次の設計図を脳内で組み上げ始めていた。
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