第073話:提灯の共犯者たちと、迷える才能
八月上旬。『山口七夕ちょうちんまつり』。
数万個の紅い提灯が街を染め上げる中、中心部に設けられた巨大なメインステージの前には、身動きが取れないほどの大観衆が押し寄せていた。
俺はステージ裏のPA席で、ミキサーのフェーダーに指を添えながら、目前の光景を静かに見渡していた。
ここは一昨年の夏、相良率いる『スカイ・ハイ』が、寸分の狂いもない退屈なポップスを演奏し、大人たちの行儀の良い拍手を浴びていた場所だ。
だが今夜、その特等席を支配しているのは、俺が鍛え上げた二つのバンドだ。
ステージの最前列には、夏祭りを楽しむ一般客を押し退けるようにして、高校生たちの異常な人垣ができあがっていた。春からばら撒かれた『白いディスク』や、先日のTMF地区選考での圧倒的なパフォーマンスの噂を聞きつけた追っかけの連中だ。彼らは、まだ見ぬ熱狂の正体を求めて、飢えたような視線をステージへ送っている。
「まずは、山口高等学校、『ザ・サーフ・ボーイズ』の皆さんです!」
司会の声と共に、富田康夫たち男子五人組がステージに現れた。
富田がマイクに向かい、『Wouldn't It Be Nice』の美しいアカペラコーラスを響かせる。
だが、それはわずか数十秒の騙し討ちだ。
ダッ、ダッ、ダッ、ダッ!
イントロが終わった瞬間、原曲のテンポを完全に無視した暴走機関車のようなエイトビートが、PAから出力されてメインステージの空気を物理的に叩き割った。
さらに、彼らはただリズムに乗せられているだけではなかった。富田が掻き鳴らすギターは、進学校の生徒らしい几帳面なストロークを捨て去っている。手首のスナップを極限まで効かせ、弦を引きちぎるような鋭利なカッティング。俺が教え込んだピッキングの角度を彼らなりに解釈し、暴走するリズムにソリッドなエッジを刻み込む、確かなギターテクニックを見せつけていた。
直立不動で美しいハーモニーを重ねる彼らの背後で、荒れ狂うギターとビートが暴れ回る。その圧倒的な音の圧力に、追っかけの高校生たちが熱狂し、一斉に拳を突き上げた。
続いて登場した『クィーン・オブ・ハーツ』が、その隙を完全に突いた。
井川京子がセンターに立ち、『Alone』の重厚なディストーションリフが夜空に響く。
そして、彼女がマイクスタンドを両手で握りしめた。
普段の可憐でスタイリッシュな姿からは想像もつかない、孤独とエゴを剥き出しにしたシャウト。腹の底に溜まった苛立ちをそのまま声帯に乗せ、空気を切り裂くような絶叫がステージから放たれた。
「キャァァァッ!」
最前列に陣取っていた女子ネットワークの「共犯者」たちが悲鳴のような歓声を上げた。それに呼応するように、後方の男子高校生たちも、彼女の生々しい情念と圧倒的な熱量に完全に飲み込まれ、波打つように身体を揺らし始める。
ただの高校生たちが、かつて相良という絶対的な才能が君臨したメインステージを、数千の観客を巻き込んだ熱狂の渦へと完全に塗り替えていた。
すべての演奏が終わり、紅い提灯の明かりの下、割れんばかりの拍手と歓声が降り注いだ。
俺はPA卓の電源を落とし、機材の搬出を指示するためにステージ裏の暗がりへと歩き出した。
その時だった。
アーケードの柱の影に、一人の男が立ち尽くしていた。相良だ。
一昨年のTMFで県内最強と謳われながら、今年の春に高校を卒業し、東京の大学へ進学して表舞台から姿を消した男。夏休みで帰省していたのだろう。
ちょうどアンプを運びにきた薫が、男の姿を認めて足を止めた。
「久しぶりっすね、相良さん。東京から帰ってたんすか」
「おう」
相良は短く返し、まだ熱気の冷めやらないメインステージの方へ視線をやった。
「すげーでしょ。前で演奏してるの、俺の先輩たちですよ」
薫が胸を張って言うと、相良は少しだけ目を細めて薫を見た。
「……お前、山高入ったんだってな」
「奇跡っすよ」
「奇跡だな」
相良が鼻で笑う。
「東京の大学、どうっすか。新しいバンドは組んだんすか?」
薫が遠慮なく尋ねると、相良は自嘲気味に息を吐いた。
「……お前らの音を聴いたら、自分のやってきたことが無駄に思えてな。大学に入ってからも、ずっと考えてる」
「えっ、まだバンドやってないんすか? っていうか、相良さん、よくあの不良高校から大学にいけましたね。MARCHでしょ?」
薫が素っ頓狂な声を上げると、相良は不機嫌そうに顔をしかめた。
「馬鹿にすんな。俺は山高が嫌いだから行かなかっただけで、頭はお前らみたいな奇跡の馬鹿とは違うんだよ」
「音楽、やめるんですか」
俺が横から口を挟むと、相良は俺を見下ろした。ただの『気が強い生意気なガキ』を見るような視線だった。
「かもな」
短く答える彼に、俺は肩をすくめた。
「俺、相良さんのギター好きですよ。完璧ですし」
それは皮肉ではない。彼が何千時間もかけて磨き上げたあの狂いのない運指は、俺のいた世界のプロにも引けを取らない本物だ。
「……でも、何かが、足らない」
相良が、ギリッと奥歯を噛むように呟いた。
「相良さん」
俺は彼を真っ直ぐに見据えた。
「明日、俺たちの秘密基地に来てください」




