第072話:蔓延するノイズと、代理戦争のステージ
七月下旬。山口市内のホールで行われたTMFの地区選考。
客席の最後列で、俺と薫たちは腕を組んでステージを見下ろしていた。傍らでは、映画部の尾田がファインダーに目を押し当て、無言でカメラを回し続けている。
「……おいおい、またかよ」
薫が呆れたように鼻を鳴らした。
ステージ上で演奏しているのは、見ず知らずの他校の高校生バンドだ。だが、彼らが鳴らしているのは、この世界にありがちなお行儀の良い合唱曲のアレンジではない。アンプのゲインを不自然なほど上げ、無理やり四拍子の裏打ち(バックビート)を刻もうとしている。
「今日だけで三組目だぞ。どいつもこいつも、俺たちの真似事ばっかりじゃねえか」
勝が苦笑する。
春から山高の女子ネットワークを通じてばら撒いた『白いディスク』の完全版は、今や山口中の十代の間に知れ渡る伝説の音源となっていた。その強烈な熱量にあてられた連中が、こぞって俺たちの音を模倣し始めているのだ。
だが、彼らの鳴らす音はただ耳障りなだけで、本物の「熱」には程遠い。表面的なノイズをなぞったところで、内側に抱える鬱憤の吐き出し方を知らなければ、音は決して肉体を持たない。
今年のTMFに、俺たち『beat less』はエントリーしていない。来年、山高の制服という絶対の防波堤を手に入れた後、俺たち自身がすべての頂点に立つための潜伏期間だからだ。だが、このステージには、俺たちの手で仕込んだ『音の分身』がいる。
「次は、山口高等学校、『ザ・サーフ・ボーイズ』の皆さんです」
司会のアナウンスと共に、富田康夫たち男子五人組がステージに現れた。
俺たちは客席を離れ、ステージ袖の暗がりへと移動した。
富田が一度だけこちらを振り返り、小さく頷く。その瞳から、進学校の生徒特有の怯えは完全に消え去っていた。
富田がマイクに向かい、静かに曲名を告げた。
「『Wouldn't It Be Nice(素敵じゃないか)』」
タイトルだけ聞けば、どこにでもある健全な青春の歌だ。澄んだ声によるアカペラのコーラスから曲が始まる。美しく重なるハーモニーに、会場の空気がふっと緩んだ。
だが、それは俺が仕掛けた騙し討ちだ。
美しいイントロが終わった瞬間。背後で、あの土壁の蔵で叩き込んだ暴走機関車のようなエイトビートが、突如として牙を剥いた。
ダッ、ダッ、ダッ、ダッ!
直立不動のまま、涼しい顔でコーラスを続ける五人。しかし、その後ろで鳴り響くリズムは、息が切れる寸前のスピードで荒れ狂っている。「こんな退屈なルールを壊せたら、素敵じゃないか」という隠されたエゴが、物理的な音圧となってホールを揺らした。
視覚と聴覚の強烈な矛盾に、保守的な審査員たちが唖然とし、会場の空気が一気に引き込まれていく。
続いて登場した女子バンド『クィーン・オブ・ハーツ』も、その熱を完全に引き継いだ。
井川京子が選んだ曲は『Alone』。
重厚なディストーションの効いたギターリフに乗り、彼女の可憐な口から、孤独と情念を剥き出しにしたシャウトが飛び出す。綺麗事だけでは決して出せない、内臓を引っ掻くような生々しい叫びに、観客の十代たちが息を呑む。
有象無象のコピーバンドたちとは次元が違う。薫や勝たちがマンツーマンで泥臭く鍛え上げた音の説得力が、そこに立ち上っていた。
尾田の回すレンズが、殻を破り、ただの進学校の生徒から本物のバンドマンへと変貌した彼らの姿を、一秒も逃さず克明に記録していく。
すべての演奏が終わり、結果発表の時が来た。
グランプリと優秀賞。見事に、山高の先輩バンド二組が、福岡(九州・沖縄エリア大会)への切符を手にした。
「アキラ! やったぞ!」
ステージを降りてきた富田たちが、歓喜の声を上げて俺の肩を叩く。井川も目に涙を浮かべて喜んでいた。
「おめでとうございます。……さあ、八月の福岡のイムズホールで、最高の思い出を作ってきてください」
俺が静かに微笑むと、薫たちも「先輩たち、派手に暴れてこいよ!」と祝福の声を上げた。
俺たちは出ない。だが、俺たちの作り上げた「異物」が確実にシステムの中枢を侵食し、代理戦争としてこの世界を塗り替え始めている。
熱気に包まれたホールを見渡しながら、俺は来年への完璧な土壌が仕上がりつつあることを確信していた。




