第071話:潜伏のロジックと、最後の夏
七月下旬。山高の軽音部室で先輩たちの特訓を終え、週末の土壁の蔵に戻ってきた俺たちを待っていたのは、薫の不機嫌なギターのノイズだった。
「……おいアキラ。やっぱり納得がいかねえ。なんで俺たちは今年のTMFに出ねえんだよ」
薫がアコースティックギターの弦を乱暴に弾き、俺を睨みつけた。
「平日、先輩たちが本気でステージの準備をしてるのを見てたら、俺だってウズウズしてきやがった。一昨年の福岡で失格になった借りを返すなら、今しかねえだろ」
勝と博士も、黙って薫の言葉に同意しているようだった。他人の曲の面倒ばかり見ている現状に、彼らの中のフラストレーションが限界まで溜まりつつある。
「出ません」
俺はエレクトーンの前に座り、淡々と告げた。
「俺たちの顔出し解禁は来年、俺が山高の制服という『絶対の防波堤』を手に入れた時と決めています。今ここで中途半端に表舞台に出れば、親や教師に目をつけられて自由が奪われる。……それに、正体を明かさないまま『白いディスク』の熱狂だけを蔓延させておく方が、連中の飢餓感は極限まで高まります。バネは限界まで縮めておいて、来年、一気に解放するんです」
俺が論理で道を塞ぐと、薫はチッと舌打ちをし、パイプ椅子を乱暴に蹴り飛ばした。
その時、蔵の重い引き戸がギイと音を立てて開いた。
「あ、あの……邪魔するよ」
顔を出したのは、青白い顔をした映画部の尾田だった。彼はいつものように大きなカメラバッグを抱えている。
「噂で聞いたんだけど……井川さんたちが、TMFの予選に出るって本当かい?」
尾田は息を荒くし、眼鏡の奥の目をギラギラと光らせていた。
「だったら僕に、彼女たちのステージに至るまでのドキュメンタリー映画を撮らせてほしい! あの五重塔の映像の時みたいに、絶対に最高の作品にしてみせるから!」
俺は少し考え、頷いた。
「いいですよ。ただし、楽器店やヤマハ側の撮影許可は自分で取ること。それと、俺たちの顔は絶対に映さないこと。あくまで裏方に徹します」
「もちろん! ありがとう、アキラくん!」
尾田は歓喜の声を上げ、さっそくカメラのセッティングを確認し始めた。
目前に迫ったTMF地区予選へ向けた、二組の猛練習が続いている。
ただし、井川京子率いる『クィーン・オブ・ハーツ』が鳴らす重厚なディストーションと情念のシャウトは、「さすがに進学校の部室で鳴らすにはハードすぎる」と顧問の北村から苦笑いされ、お茶屋の土壁の蔵へ移動して薫たちの監視下で練習することになった。
一方、俺は山高の部室に残り、富田たち『ザ・サーフ・ボーイズ』のコーラスワークとエイトビートの調整にかかりきりになっていた。
「富田先輩。ピッチは合っていますが、リズムが後ろに引っ張られています。もっと前のめりに!」
俺の指示に、富田が汗だくになりながらギターを掻き鳴らす。
休憩に入り、富田が首にかけたタオルで汗を拭いながら、機材のセッティングを直している俺に声をかけてきた。
「……アキラくん。きみ、今年中三だろ。受験は大丈夫なのか?」
「まあ、なんとかなっていますよ」
俺がエフェクターのつまみから目を離さずに答えると、富田は少しだけ眩しそうな顔をして、自分のストラトキャスターを見つめた。
「君たちと音楽ができて、本当によかったよ。僕たちがTMFの予選に出るなんて、夢みたいだ」
富田は少し目を伏せ、ポツリとこぼした。
「……まあ、思い切りできるのは、今年だけだろうけど」
進学校である山高において、三年生になれば息の詰まるような受験体制が待っている。彼らが本気でギターを掻き鳴らせるのは、この夏が最後なのだ。
「だからこそです」
俺は手を止め、富田の目を見た。
「一ミリも妥協するつもりはありませんよ。……さあ、通しでもう一回いきます」
富田は小さく笑い、力強く頷いてピックを握り直した。
窓の外では、本格的な夏の訪れを告げる蝉時雨が響いていた。




