第070話:伝播する熱と、マンツーマンの特訓
それからの日々、山高の軽音部室は異様な熱気に包まれることになった。
「富田先輩! そこ、コードチェンジの時にリズムがもたついてる! もっと前のめりに突っ込んでください!」
勝が、富田の顔のすぐ横で容赦のないダメ出しを飛ばす。
「分かってる……っ、けど、指が追いつかないんだよ!」
汗だくになりながらギターを掻き鳴らす富田。彼らに与えたのは狂騒的なエイトビートと緻密なコーラスが同居するサーフ・ロックだ。博士が背後で怒涛のバックビートを刻み、無理やり彼らのリズム感を底上げしていく。進学校の生徒が持つ「正確に弾こうとする癖」を、物理的な音圧で強引に壊していく作業だった。
一方、部屋の反対側では、薫が井川京子と向かい合っていた。
「京子、声が綺麗すぎる。腹の底から、ムカつくことを全部吐き出すつもりで声を出せ!」
「ムカつくことって……そんなの、急に言われても……」
「なんでもいいんだよ! 補習がだるいとか、親がうるさいとか! それを全部喉に乗せてぶつけるんだよ!」
薫の言葉に、井川は目をギュッと瞑り、思い切り息を吸い込んだ。
「……あぁぁぁぁっ!」
ディストーションの効いた重厚なギターリフに乗って、彼女の可憐な喉から初めて、生々しいエゴを含んだシャウトが飛び出した。綺麗事だけでは決して出せない、剥き出しの声。それまで優等生として生きてきた彼女たちの殻が、確実にひび割れていく。
俺は部屋の隅から、その光景を静かに観察していた。
手駒として動かそうとした彼らだったが、もはやただの操り人形ではない。自分たちの手で音を掴み取り、本気でTMFのステージを奪いに行こうと汗を流している。
(……これで、仕込みは完了だ)
俺の頭の中には、すでに地区選考のステージで彼らが審査員たちを圧倒する光景が、鮮明に描かれていた。
相良率いる『スカイ・ハイ』をはじめとする、お行儀の良いバンドたち。彼らの前に、俺たちが鍛え上げたこの「異物」を解き放つ。
夏のTMF山口地区選考。この退屈な世界に確実な風穴を開けるための準備は、完璧な形で整いつつあった。




