第007話:原始の叫び
俺の鳴らした未知のビートの余韻が消えると、空き教室に重苦しい静寂が落ちた。
だが、彼らはただ従順に頭を下げるような連中ではない。
年下の一年生に圧倒されたという事実が、不良としての薄っぺらいプライドを刺激したのだろう。
「ふざけんな。俺たちは俺たちのやり方でやる。お前なんかの指図は受けねえよ」
薫が俺の手から乱暴にギターを奪い返した。
勝と博士もそれに同調し、それぞれ楽器を構え直す。
自分たちだけでもあの音は出せると言わんばかりに、彼らは勝手にアンプのボリュームを上げ、力任せに楽器を鳴らし始めた。
だが、部屋に響き渡ったのは、ただリズムがズレた耳障りな騒音だった。
力任せに弦を弾き、ドラムを乱打しても、先ほどの腹の底を揺らすような熱狂はまったく生まれない。
ただうるさいだけの無秩序な音の塊に、三人は次第に苛立ちを募らせ、やがて不満げに演奏を止めてしまった。
俺は無言のまま歩み寄り、薫の手からギターをそっと受け取った。
アンプのつまみをわずかに調整し、ピックを振り下ろす。
長年の現場経験で培われた、一ミリの狂いもない強靭なバックビート。
ピッキングの角度一つで、単なるノイズを明確な殺意を持った「音楽」へと変換する、圧倒的な表現力。
彼らが束になっても到底敵わない、格の違う重厚な音の圧力が、空き教室の空気を完全に支配した。
その圧倒的な実力差を前に、薫たちは手も足も出ず、ただ唖然として立ち尽くしていた。
やがて、俺はギターの音をミュートし、振り返った。
顔には彼らを見下すような傲慢さは出さない。
ただ、年相応の中学生の顔を作り、静かにギターのネックを差し出す。
「頭の中には、この曲の続きがあります」
俺は淡々と告げた。
「……あの。もしこの音を自分たちで鳴らしてみたいなら、とりあえず、僕の言うようにやってみませんか」
薫はギリッと奥歯を噛み締めた。
目の前の一年生に完全にねじ伏せられた屈辱。
だが、それ以上に「あの音を自分の手で鳴らしたい」という強烈な渇望が、不良としての薄っぺらいプライドを完全に上回っていた。
薫は無言のまま、俺の手からギターを奪い取るように受け取った。
「じゃあ、次は何を弾けばいい」
「その前に。薫先輩、あなたのその腹の底の苛立ちを、全部外に吐き出してもらいます」
俺はマイクスタンドを部屋の中央へ引き寄せ、薫をその前へと押し出した。
「俺が歌うのか? さっきみたいな英語を」
「ええ。ただし、ルールが一つあります」
俺は静かに言い放った。
「綺麗に歌おうとしたら、その時点で音を止めます。喉が潰れても構いません。腹の底から怒鳴り散らしてください」
「怒鳴る……? 歌なのによ」
薫が顔をしかめる。
徹底して「上品な調和」を押し付けられてきたこの世界の人間にとって、それは音楽への冒涜に近い要求だろう。
だが、俺は構わず別のアンプにシールドを繋ぎ、ベースを構えた。
「博士先輩。スネアとバスドラムだけでいい。全力で裏拍を叩いてください」
ジャッ、ジャッ、ジャーン!
俺の鳴らす重低音に合わせて、博士のドラムがドタバタと不器用なリズムを刻み始める。
俺はマイクに近づき、手本としてサビのフレーズを叩きつけた。
身体を揺らせ、狂ったように叫べと煽るフレーズ。
音程すら無視した、暴力的な音の塊だ。
「さあ、先輩の番です」
俺の視線に急かされ、薫は戸惑いながらマイクを握りしめ、俺の歌った響きをなぞろうとした。
「……カモン、カモン」
「声が小さい。そんなお行儀のいい歌い方じゃ、この音圧に全部食われますよ」
俺は意図的にベースの歪みを強め、薫の声を完全に掻き消す重低音を出した。
うるさい。苛立つ。どうして思い通りに声が出せない。
薫の目に、明らかな怒りと熱が宿っていくのがわかった。
彼は息を深く吸い込み、細い身体を二つに折り曲げるようにして、マイクに噛み付いた。
そして、身をよじって叫べという意味のあの短いフレーズを絶叫した。
ビリビリと、空き教室の窓ガラスが震えた。
それは「歌」などという生易しいものではなかった。
腹の底から絞り出された、獣の咆哮のようなシャウト。
だが、単なる雑音ではない。
薫のその濁った叫び声には、聴く者の心を理屈抜きで鷲掴みにする、圧倒的なカリスマ性が宿っていた。
リミッターを外した瞬間に空間を制圧する、理屈抜きのエネルギー。
俺の背筋に、本物の悪寒が走った。
一度タガが外れた薫は、もう誰にも止められなかった。
意味も分からぬままフレーズを次々と噛み砕き、俺のリズムに叩きつけてくる。
喉が張り裂けんばかりのシャウトを連発し、マイクスタンドを蹴り上げながらリズムに乗る。
そのあまりにも野蛮で、圧倒的な生命力の爆発にあてられ、勝と博士の顔色が変わった。
「あ、Ah……」
「Ahーー!」
俺が指示したわけでもないのに、勝と博士が本能のままにコーラスを被せてくる。
和音の美しさなど関係ない。
ただ、音が重なり合い、上昇していくことの根源的な快感に、彼らは完全に支配されていた。
「Ahーーー! Ahーーーーー!! ワァアアアッ!!!」
四人の叫び声と、極限まで歪んだ不協和音、乱暴なドラムがひとつになり、狭い教室の中で爆発した。
この世界の「綺麗で退屈な正解」が、根底から粉砕された瞬間だった。
最後の一音が消え、息も絶え絶えになりながら、薫が肩で息をしている。
その顔には、今まで見せたことのない、凶暴で純粋な笑顔が張り付いていた。
「……アキラ」
汗だくの薫が、俺を見た。
「これ、最高だな。最高にイカれてる」
「ええ。僕たちは、もっとイカれた音が鳴らせますよ」
俺は手にしたベースの弦をミュートしながら、静かに笑った。
彼らの未完成な才能が、完全に俺の盤面に乗った。
この退屈な世界を根底から塗り替えるための作業が、今、確かな熱を持って動き始めていた。




