第066話:偽装デートと、罪悪感のスパイス
週末。俺は土壁の蔵には向かわず、私服姿で山口駅前のロータリーに立っていた。
待ち合わせの少し前、小走りで現れた智ちゃんは、白いブラウスに淡いブルーのスカートという、どこからどう見ても育ちの良い中学生の休日の装いだった。
「ごめんなさい、アキラくん。……その、急に呼び出されてびっくりしたんだけど」
「俺の方こそすみません。緊急事態です」
俺は声を潜め、木曜日に学校で立ち聞きした「妹たちの尾行計画」について手短に説明した。
「えっ……智美と、アキラくんの妹さんが?」
「ええ。俺たちが土日に『蔵で良からぬことをしている』と疑っています。もし親バレすれば、活動は一発で停止です。だから今日は、今後のロケの候補地探しという名目で……二人で『健全に付き合っているフリ』をします」
「つ、付き合ってるフリ!?」
智ちゃんの顔が一瞬で林檎のように赤く染まった。
「背後から、すでに二匹の小動物の気配がしています。……行きますよ」
俺たちは並んで歩き出した。
後ろを振り返る必要はない。ショーウィンドウの反射越しに、電柱や看板の影に隠れながらついてくる、さやと智美の不器用な尾行が丸見えだったからだ。
「まずは、ザビエル記念聖堂に行きましょう。あのステンドグラスの光は、アコースティックな曲の映像に使えるかもしれない」
「う、うん。そうだね……」
俺はわざと、肩が触れ合うほどの距離まで智ちゃんに近づいた。周囲から見れば、少し緊張気味な初々しい中学生のカップルにしか見えないはずだ。
亀山公園の坂を登り、再建されたばかりのザビエル記念聖堂の荘厳な空間を歩く。そこから麓の山口県立美術館の静謐なエントランスを抜け、足を伸ばして瑠璃光寺の五重塔の周りを散策した。
「……アキラくん。なんだか、本当にデートしてるみたいだね」
最初はガチガチだった智ちゃんも、ロケハンを口実に音楽の話をしながら歩くうちに、自然な笑顔を見せるようになっていた。
「俺も、久しぶりに息抜きができて楽しいですよ」
それは嘘ではなかった。
薄暗い蔵にこもってノイズと格闘する日々の中で、こうして陽の光を浴びながら彼女と歩く時間は、鍵盤と弦の振動にひたすら削られてきた神経を心地よく解きほぐしてくれた。
やがて俺たちは、風情ある柳の並木が続く一の坂川沿いへと下った。
川のせせらぎを聴きながら歩幅を合わせていると、背後の植え込みから、諦めたようなため息とヒソヒソ声が漏れ聞こえてきた。
『……なんだぁ。不良と付き合ってるんじゃなくて、ただのデートじゃん』
『お姉ちゃん、アキラ先輩と付き合ってたんだ……。よかったぁ、悪いことしてるんじゃなくて』
『あほらし。帰ろっか、智美ちゃん』
足音が、駅の方へと遠ざかっていく。
「……ミッション・コンプリートです。尾行は消えましたよ」
俺が言うと、智ちゃんは「よかったぁ」と胸を撫で下ろしつつも、どこか名残惜しそうに微笑んだ。
「お腹、空きませんか。商店街で何か食べて帰りましょう」
「うん!」
アーケード街に入り、俺が目に入った古びたラーメン屋の暖簾をくぐろうとすると、智ちゃんは少しだけ躊躇したが、すぐに嬉しそうに後を追ってきた。
カウンター席に座り、豚骨の匂いが立ち込める濃厚なラーメンをすする。
「おいしい……! 私、こういうラーメン屋さんって初めてかも」
「本当ですか?」
「うん。ラーメン屋って、女の子同士じゃ入りにくいんだよね。お父さんも連れてきてくれないし」
智ちゃんは目を輝かせ、フーフーと息を吹きかけながら不器用に麺を口に運んでいる。
その顔は、週末の蔵で分厚いベースラインを弾き狂う時の顔ではない。どこにでもいる、年相応の高校一年生の少女の、ひどく無防備で愛らしい笑顔だった。
ドクン、と。
俺の心臓が、微かに、だが確かにリズムを狂わせた。
(……おいおい)
俺はレンゲを置き、冷水の入ったグラスを一気に呷った。
相手はただの高校生だ。大人たちを言葉巧みに誘導し、盤面を支配してきたこの俺が、いったい何を動揺している。
脳裏に、昨年のクリスマスの惨劇がフラッシュバックする。
アルコールに理性を奪われ、昔の女の名前を泣き叫び、築き上げた威厳を自ら粉々に叩き割ったあの失態。その後に智ちゃんの瞳の奥に燻っていた、俺に対する疑念の眼差し。
(……ここで彼女を意識してしまえば、俺は冗談抜きで底なしの泥沼に足を踏み入れることになる)
必死に湧き上がる熱を殺し、冷徹な戦略家としての仮面を被り直そうとする。
だが、隣で「スープも飲んじゃおっと」と無邪気に笑う彼女の姿は、この退屈な世界で俺が仕掛けたどんな不協和音よりも強烈に、俺の理性をグラグラと揺さぶり続けていた。
明日から TMFに向けて動き始めます。




