第057話:白日の当て振りと、可憐な囮(ルアー)
六月。梅雨入り前の蒸し暑い日差しの中、俺たちは瑠璃光寺の境内にいた。
背後には、青空にそっと突き刺さるような国宝の五重塔。
まばらに観光客が行き交う中、映画部の尾田が汗だくになりながら三脚を立ててカメラの調整をしている。
俺は一瞬、カメラのフレームの背景に収まるその巨大な木造建築を見上げた。
室町中期、西の京と呼ばれた山口の全盛期を築いた大内氏の最高傑作。
奈良の法隆寺、京都の醍醐寺と並び、『日本三名塔』の一つに数えられる国宝だ。
上層へ向かうにつれて屋根の大きさを絶妙な比率で小さくしていく『逓減』の技法。
檜皮葺の屋根が描く緩やかな曲線と、それを支える繊細な組み物。
視覚的な安定感と、計算し尽くされた数学的な美。
この世界の人間が信奉し、がんじがらめに縛られている『完璧な調和』が、そのまま何百年もの時を超えて形を成したような、秩序の象徴。
その絶対的な調和の前に、俺たちはこれから劇薬を仕掛けようとしていた。
「おいアキラ。京子の衣装、本当にこれでいいのかよ」
薫が、カメラの前で所在なげに立っている井川京子を指差して言った。
彼女が着ているのは、何の変哲もない山高の夏服だ。
「演劇部のツテがあるんだ。頼めば、なんか派手なドレスとか、舞台用の衣装くらい借りられるぞ」
俺は首を振った。
「派手な衣装なんて着せたら、ただのお遊戯会になりますよ。この、大内文化が遺した数百年変わらない伝統と秩序の前に立つのは、どこにでもいる真面目な進学校の、普通の可愛い生徒じゃなきゃいけないんです。その退屈で日常的な風景から、突然あの爆音が流れてくる……その強烈な違和感が必要なんです」
ファインダーを覗き込んでいる尾田は、鼻息を荒くしながら井川に指示を出している。
「井川さん、もう少し顎を引いて。そう、目線は塔の先端を見る感じで! スタイリッシュで最高に可愛いよ!」
尾田の熱意は、この場合むしろ好都合だった。
彼がオタク特特の執念で井川京子を可愛く、美しく撮れば撮るほど、この映像は山高の男子生徒たちの目を釘付けにする強烈な「囮」として機能する。
「尾田さん」
俺は尾田に声をかけた。
「映像のメインはあくまで井川さんです。俺の顔は絶対にフレームに入れないで、首から下だけを映してください。……ただし、薫先輩たち三人の顔は、曲の激しい部分で一瞬だけ、差し込んでください」
「わ、わかった。井川さんメインなら僕に異論はないよ」
尾田が早口で頷き、カメラのピントを井川に合わせた。
「先輩たち。準備はいいですか」
俺が振り返ると、薫と勝はアコースティックギターを構え、博士は俺が自作した茶箱の上にどっかりと跨っていた。
博士は手のひらでカホンの打面をポン、ポンと軽く叩き、裏側に仕込まれたギター弦がジリッと細かく震える手応えに、嬉しそうに目を細めた。
「なぁアキラ、これマジで凄いな。軽く叩いただけで、木箱の奥でスネアのジャラジャラした残響が綺麗に響くぜ。ただの茶箱なのに、本物のドラム叩いてるみたいに手が乗るわ」
「当て振りですから、あまり本気で叩きすぎないでくださいね。音が響いて観光客に不審がられますから」
「おうよ、脳内はアンプもドラムもフルテンだ。……弦を、叩き斬るつもりでいくぜ」
薫が獰猛な笑みを浮かべ、ピックを握る手に力を込める。
「……アクション!」
尾田の声と共に、静寂の境内で俺たちの「無音の狂乱」が始まった。
薫と勝が、アコースティックギターの弦を引きちぎるような勢いでストロークを振り抜く。
博士は茶箱の打面を、手のひらと指先で力任せに殴りつけた。
俺が数日前に数ミリだけ浮かせたネジの隙間が、博士のストロークに合わせて激しくひしゃげ、木箱の裏の古弦とぶつかり合って「バシッ!」「ジリジリッ!」という鋭い乾いた破裂音を白日の境内に撒き散らす。
俺は安いシンセサイザーの鍵盤を指で叩き潰すように弾き狂った。
実際にはギターのペチペチという情けない生音と、カホンを叩く乾いたバズ音だけが虚しく響いているだけだ。
観光客たちが怪訝な顔で振り返るが、そんなものは知ったことではない。
俺たちの脳内には、あの蔵で鳴らした『Revolution』の凶悪なディストーションノイズが、完璧な爆音として再生されていた。
ファインダーの向こう側では、尾田の指示でポーズをとる可愛い井川京子。
その後ろで、顔のないシルエットたちが、奇妙な木箱のビートに合わせて狂ったように楽器を掻き鳴らしている。
視覚と聴覚の決定的な矛盾を引き起こし、退屈な世界の秩序を打ち壊すための映像のピースが、確実に記録媒体へと刻み込まれていた。




