第054話:撮影の条件と、映像の取引
次の週の土曜日。
分厚い土壁の蔵に、薫たちは一人の男を連れてきた。
青白く、ひょろりと背の高い男だった。落ち着きなく視線を泳がせ、おどおどとしている。
その隣には、少し背が高くスタイルの良い美人系の女子が、退屈そうに立っていた。
「京子、ありがとな」
薫が気安く声をかけると、女子は小さく手を振った。
「いいよ。薫くんの頼みだもん」
俺は眉間を揉み、背の高い男を観察した。
女子に声をかけられてホイホイついてきた、いとも簡単に釣り上げられる典型的なタイプだ。
(……薫先輩。本当にお手本のような美人局をやらせたつもりですか)
視線で問いかけると、薫は「ははっ、いや、本当についてくるとはな」と悪びれずに笑った。
「まあ、いいでしょう」
俺は傍らに置いていたベースを下ろし、男に向き直った。
「尾田さん、でしたね。映画部だと伺いましたが、カメラは扱えますか」
「えっ、何のこと? 僕は井川さんから、ちょっと面白いところがあるからついてきて、とだけ言われたんだけど」
尾田が隣の女子――井川をちらりと見て、戸惑った声を出す。
「ええ。単刀直入に聞きます。DivXはご存じですか」
その単語を出した瞬間、尾田の目の色が変わった。
「もちろんだ。Winnyで使ってるやつだろ。高画質で圧縮できる」
「話が早いです。僕たちは音楽をやっているんですが、動画を撮って、そのDivX形式で外に配りたいんです」
「音楽なら、普通にCDに焼けばいいじゃないか」
「いや、演奏している姿や、ちょっとした物語に音楽を乗せて、映像作品にしたいんです」
俺の言葉に、尾田は少し考える素振りを見せた。
「……ミュージカルやオペラみたいに、ってこと?」
「そうです」
この世界には「ミュージックビデオ」という概念が存在しない。彼がそう解釈するのも無理はなかった。
「で?」
尾田は突然、値踏みするような視線を俺に向けてきた。
自分の得意分野の話になった途端、急に強気な態度に出る。
「“で”とは?」
「手伝うことで、僕に何かメリットがあるのかな」
俺は小さく息を吐いた。交渉の基本だ。相手が何を一番欲しているかを突きつける。
「もちろんありますよ」
俺は井川と、少し離れたキーボードの前に座る智ちゃんを交互に指し示した。
「井川さんみたいな美人や、うちの智子先輩みたいな可愛い子をモデルにして、自由にカメラが回せるんですよ。……ですよね、井川さん」
話を振られた井川は、一瞬戸惑って薫を見た。
薫が「頼む」というようにコクコクと頷くと、彼女は少し頬を染めて口を開いた。
「……そうよ。モデルになってあげる」
俺はそのまま視線を智ちゃんに向ける。
いきなり話を振られた智ちゃんは、目をまん丸にして驚いていたが、すぐに状況を察して、慌ててコクコクと力強く頷いた。
「……いかがですか」
俺が静かに問うと、尾田は一つ咳払いをして、必死に平静を装いながら答えた。
「もちろん、テープとメディアは君たち持ちだよね」
「ええ。用意しますよ」
「エンコードはとてつもなくPCのパワーと時間がかかるから僕はしない。データにするのは君たちがやってくれ。……撮影と、編集までは僕がやろう」
交渉成立だ。
映像作品を完成させるための、最後の条件が揃った。
俺はアンプのスイッチを入れると、無言で薫たちに視線を送った。
「まずは、曲を聴いてください。これを映像に乗せます」
カウントなし。
薫がストラトキャスターの弦を力強く掻き鳴らした。
――ジャ、ガガッ、ギャァァァァァァン!!
分厚い土壁の蔵に、『Revolution』の強烈なディストーションと、大音量のバンドサウンドが響き渡る。
防音の効いた狭い空間に充満する、腹の底まで響くような重いビート。
尾田は目を剥いて硬直している。
退屈そうに立っていた井川も、圧倒的な音の大きさに耐えかねたように、両手で耳を塞ぎながらへたり込んだ。
演奏が終わり、アンプのハウリングだけが残る。
「……どうですか」
俺が問うと、尾田は顔面を蒼白にしながら、震える声で絞り出した。
「な、なんだこれ……。耳がおかしくなる。……撮影は、ここで撮るのか?」
「いえ、どこで撮ってもいいですよ。ただ、外ではこれだけの爆音は出せないので、カメラの前では『当て振り』だけをしてもらいます。後で編集の時に、この音を突っ込んでください」
「当て振り……ああ、なるほど。映像に音を被せるのか」
尾田はブツブツと呟きながら、少しずつ持ち前の早口を取り戻していった。
そして、俺たち四人を一瞥し、隣で耳を押さえている井川を見つめる。
「……いや、だったらさ。お前たちを映さなくていいよな? 井川さんだけをメインに撮って、後でお前たちのこの音楽をBGMとして突っ込めば、一つの『作品』になると思うんだけど」
「お前なぁ……!」
勝がギターを下ろし、キレ気味に一歩前に出た。
無理もない。バンドの映像を撮ると言っておきながら「お前らはいらないから女子だけ撮らせろ」と宣うのだ。図々しいにも程がある。
だが、俺は勝を片手で制止し、平然と頷いた。
「……いいですよ。俺たちの顔を売る気はありませんから」
「アキラ!?」
薫が目を丸くする。
俺の目的はアイドルになることではなく、世間に俺たちの音楽を見せつけることだ。
映像は、より多くの人の関心を惹くための「餌」に過ぎない。
「ただし」
俺は尾田を真っ直ぐに見据えた。
「曲の最初の部分だけは、僕らを入れてください。……ロケ地は山口の名所。たとえば、瑠璃光寺の五重塔の前で演奏したり、ね」
国宝であり、この街の伝統の象徴である五重塔。
その厳かな風景の前に、異質な存在である俺たちが立つ。
その映像がもたらす「強烈な違和感」こそが、人々の目を惹きつける最高の武器になる。
俺が静かに笑うと、薫と勝も俺の意図を察したのか、不敵な笑みを浮かべた。




