第051話:国境なき送信塔と、四つの爆弾
四月中旬。家族が寝静まった深夜のリビングで、共有のデスクトップパソコンのモニターが、青白い光を放っていた。
画面の中央には、処理の完了を知らせる小さなダイアログボックスが表示されている。春休みの間、あの土壁の蔵が完成した直後に撮影した四曲分のライブ映像。親の目を盗み、旧型のXP機に悲鳴を上げさせながら二週間近く続いた地獄のようなエンコード作業が、ようやく終わったのだ。
「……信じられないほど遅いな」
俺は小さく息を吐き、マウスをクリックした。当時の限界であるPCスペックでは、たった数分の動画を圧縮するだけでもフリーズと隣り合わせの時間が要求される。当時の動画投稿は、今のようなスマホ一つで完結する手軽な作業とは対極にある、いわば「職人芸」に近い苦行だった。
だが、苦労に見合うだけの「兵器」は完成していた。
モニターに再生された映像には、薄暗い蔵の中で、裸電球の逆光を浴びて演奏する四人のシルエットが映し出されている。
顔は一切見えない。だが、そこから放たれる音圧は強烈だ。
言語の壁を越えるため、今回俺が彼らに歌わせたのは『センコー』のような日本語のロックではない。純粋な英語詞のままの『Twist and Shout』『Helter Skelter』『Come Together』『I Saw Her Standing There』の四曲。
理屈抜きのバックビートと、アンプの回路を焼き切るようなディストーション。そして、薫の獣のようなシャウト。粗い画質と圧縮された音質が、かえってその生々しい暴力性を際立たせていた。
俺はブラウザを立ち上げ、ある海外のURLを打ち込んだ。
画面に表示されたのは、立ち上がったばかりの簡素なデザインのウェブサイトだ。すべて英語で書かれたそのページには、まだほとんどコンテンツが存在しない。
『YouTube』。
2006年現在のこのサイトは、著作権侵害の温床としていつ閉鎖されてもおかしくないと噂される、アングラで無法地帯な「空箱」に過ぎない。しかし俺は知っている。Googleがこの箱を買い取り、やがて世界中の音楽史を塗り替えるインフラへと変貌させることを。
(……高校の軽音部という新しい環境で、すっかり浮かれている先輩たち)
俺は、先日の土曜日に蔵へ集まった時の、薫たちの緩んだ顔を思い出して皮肉な笑みを浮かべた。
(あなたたちが小さな箱庭で新生活を謳歌している間に、俺はこの音を、未来のインフラとなる場所へ一足先に投下しておきますよ)
俺はアップロードのボタンを押し、四つの動画ファイルを選択した。
タイトルはシンプルに曲名だけを英語で打ち込み、バンド名の『beat less』というクレジットだけを添える。どこの国の誰が鳴らしているかなど、余計な情報は一切いらない。必要なのは、この音が放つ熱量だけだ。
細い回線を伝って、データがゆっくりと海の向こうのサーバーへと送られていく。当時のインターネット環境では、アップロード完了を待つ間にも「接続が切れる」という恐怖が常につきまとった。
進行状況を示すバーがじりじりと右へ進むのを眺めながら、俺は冷めたコーヒーを一口飲んだ。
大人が敷いたレールはもう必要ない。
日本の地方都市の、埃っぽい土蔵の中で産声を上げた真っ黒なシルエットたちが、退屈に沈む世界の音楽史に向けて、取り返しのつかない火種を放った瞬間だった。
今日の夜は 閑話含めて 2話投稿です。




