第050話:土壁のアジトと、隠れ蓑の軽音部
翌朝。春の柔らかな日差しが差し込む中、俺たちは博士の実家であるお茶屋の裏手に集まっていた。
木造の古い母屋の奥にひっそりと佇む、年季の入った土蔵。
南京錠を外し、重い引き戸を開けると、ひんやりとした空気と共に、長年積もった埃の匂いが鼻をついた。
「うわ、すっげえ埃……ゲホッ」
勝が手で顔を扇ぎながら咳き込む。
「言ったろ。ずっと使ってないんだ。奥にある木箱は親父が大事にしてる茶器が入ってるらしいから、絶対に触るなよ」
博士が頭に手ぬぐいを巻きながら指示を出す。
薫はすでに腕まくりをして、部屋の隅に転がっていた古い茶筒や木箱を端へと寄せ始めていた。
「さっさと片付けるぞ。ここを俺たちの新しい城にするんだ」
五人で埃まみれになりながら、半日かけて蔵の中を整理した。
床を掃き清め、リアカーで運んできた機材を運び込む。
博士のドラムセットを奥に据え、勝と薫のアンプを壁際に配置する。俺と智ちゃんの定位置となるキーボードとベース用のアンプも並べると、ただの古い蔵が、紛れもないライブハウスのステージへと変貌した。
「……よし、電源を入れてみてください」
俺の合図で、薫がアンプのスイッチを入れる。
真空管が温まり、低いハムノイズが土壁に反響した。
「軽く鳴らしてみてください。外に漏れるか確認しますから」
俺は蔵の外に出ると、重い引き戸をしっかりと閉めた。
数秒後、内側からディストーションを効かせた凶悪なギターリフが響き始めた。
だが、分厚い土壁と木造の構造が音圧を見事に吸収し、外に漏れてくるのは、通りを走る車の音に紛れる程度のくぐもった重低音だけだった。
(……完璧だ)
これなら、昼間であれば親や近所に怪しまれることなく、フルテンの爆音を鳴らすことができる。俺は引き戸を開け、演奏を止めた三人に頷いた。
「問題ありません。最高の防音室です」
「よっしゃ!」と、博士がドラムスティックを突き上げた。
「これで、土日の拠点は確保できました」
俺は持参した水筒の茶を飲みながら、四人を見回した。
「次は平日の活動です。先輩たちは春から山高の軽音部に入部するわけですが、そこでも徹底して『行儀の良いバンド』を演じてもらいますよ」
「またかよ」薫が顔をしかめる。
「ええ。山高の軽音部で悪目立ちして目をつけられれば、この土日の活動にも支障が出ますから。平日は俺が渡したスコア通りに、無害なポップスやバラードを練習して、優等生として潜伏してください。……そして溜め込んだフラストレーションを、土日にこの蔵で爆発させるんです」
勝がニヤリと笑って、ギターの弦を弾いた。
「高校の部室はただの隠れ蓑で、本番はこの埃っぽい蔵ってわけか。悪くねえな」
「ええ。反撃の準備は、ここから再スタートです」
俺はカバンから、一台の家庭用ビデオカメラを取り出した。
「アキラ、なんだよそれ」
薫が怪訝な顔をする。
「この蔵の初仕事です。大人の目を欺く隠れ蓑が完成した記念に、世界に向けて挨拶を済ませておきましょう」
俺は三脚を立て、カメラをセットする。
そして、蔵の天井からぶら下がっている一つの裸電球以外の照明をすべて落とした。
薄暗い蔵の中に、電球の光を背にして立つ四人のシルエットが浮かび上がる。
「顔は映しません。必要なのは、あなたたちが鳴らす圧倒的な音の圧力と、このシルエットの熱量だけです。……言葉の壁を越えるため、歌はすべて英語詞のままでいきます」
俺は録画ボタンを押し、カメラの横で静かに顎を引いた。
「カウントなしで。……ぶっ放してください」
薫が獰猛な笑みを浮かべ、マイクスタンドを引き寄せる。
分厚い土壁の中で、『Twist and Shout』の絶叫が爆発した。
俺はファインダー越しに、顔のない偶像たちが生み出す理屈抜きの熱狂を、冷徹に記録媒体へと焼き付けていく。
大人の監視を逃れた完全な秘密基地。
高校という新たな秩序の内側で息を潜めながら、次の巨大な爆発へ向けた準備が、ここから始まろうとしていた。




