第045話:沈黙の代償と、絶対的な通行証
深夜のFMラジオで起きた騒動の翌日。
旧校舎の備品倉庫に集まった薫たちは、隠しきれない興奮を見せていた。
「アキラ! 聴いたかよ、昨日のラジオ! 曲自体は流せねえって言ってたが、とうとう俺たちのCDが番組で取り上げられたぜ!」
「パーソナリティの野郎、作った奴は連絡をくれって言ってたな。いよいよ俺たちの正体を明かす時が来たんじゃないか?」
勝や博士が身を乗り出してくる。
智ちゃんも期待に満ちた目で俺を見ていた。
メディアのルールを飛び越えた熱狂。
今すぐラジオ局に名乗り出れば、ちょっとした騒ぎになるのは間違いないだろう。
だが、俺は傍らに置いたベースを一瞥もせず、冷たい声で彼らの熱に水を浴びせた。
「……今日から一年間、俺たちのバンド活動を完全に休止します」
「はあ!?」
薫がマイクスタンドを蹴り倒さんばかりの勢いで立ち上がった。
「ふざけんな! 一番面白えところじゃねえか。なんで今、楽器を置かなきゃなんねえんだよ!」
「ラジオ局に今名乗り出ても、一時的な話題として消費されて終わります」
俺は立ち上がり、彼らを冷静に見据えた。
「俺たちが正体を明かすのは、大人が用意した枠組みの中じゃありません。自分たちにとって一番効果的なタイミングと場所を選ぶべきです。……そのためには、親や教師を完全に黙らせる『絶対的な通行証』が必要になります」
「通行証……?」
「ええ。親も教師も、俺たちの活動に一切文句を言えなくなる条件。……県内トップの進学校、山口高等学校への合格通知です。先輩たち全員、来年の春にあの学校へ入ってもらいます」
俺の宣言に、四人は絶句した。
県内トップの進学校。
成績が底辺スレスレだった彼らにとって、それはメジャーデビューよりも非現実的な響きを持っていた。
「誰にも文句を言われず、自由に音楽を続けるためのコストです。今日から来年の春まで、バンド活動は禁じます」
薫はギリッと奥歯を鳴らした。
今すぐ俺の胸ぐらを掴みたい衝動と戦っているのがわかる。
「……一年間、ギターに触るなだと? 冗談じゃねえ、指が動かなくなるぞ!」
「先輩たちの指先は、その程度で鈍るほどヤワですか?」
俺が冷たく返すと、薫は言葉に詰まった。
反発したい。だが、俺の目から一切の妥協が消え、プロデューサーとしての冷徹な計算しかないことを見て取ると、薫は苛立たしげに自身の髪を掻きむしり、パイプ椅子にドカリと座り込んだ。
「……クソッ。絶対後悔させてやるからな。その代わり、一年後に合格した暁には、溜め込んだイライラを全部特大の音でてめえにぶつけてやる」
それからの一年間、俺たちは完全に音を消した。
備品倉庫の機材にはシートが被せられ、代わりに俺が叩き込む「英語の旋律」や徹底的に効率化された暗記戦術のノートが机に積まれた。
最高学年となった薫、勝、博士の三人は、音を鳴らせないフラストレーションのすべてを、机の上の数式や英単語にぶつけた。
放課後の教室で一心不乱に参考書を睨みつけ、シャープペンシルを走らせ続ける彼らの姿には、近寄りがたい気迫があった。
「あんな底辺の奴らが、山高なんて受かるわけがない」
「どうせすぐに投げ出すさ」
初めのうち、一般の生徒たちは遠巻きに彼らを嘲笑していた。
だが、俺の与える無駄を削ぎ落とした論理と、ビートに乗せた暗記術は、彼らの脳に確実に定着していった。
春から夏、そして秋へと季節が巡るたび、定期考査や模試の成績上位者の掲示板に、異変が起き始めた。
少しずつ、だが確実に順位を上げてくる不良たちの名前。
最初は六十番台だった彼らが、三十番台になり、やがて十番台へと食い込んでくる。
「……嘘だろ、あいつらに抜かれたのかよ」
彼らを見下していた優等生たちが、信じられないものを見るような目で掲示板を見上げ、青ざめる。
いつの間にか自分たちがごぼう抜きにされている事実に気づいたときには、薫たちの成績は山高の合格圏内へ完全に達していた。
親や教師たちは、手のつけられなかった不良たちが突然真面目に受験勉強に打ち込み、驚異的な結果を出し始めたことに驚喜し、彼らへの干渉をすっかり止めてしまった。
俺たちが沈黙している間にも、外の世界では『ブラック・アルバム』が勝手に一人歩きを続けていた。
名乗る者のいない真っ黒なディスクは、高校生たちの間で手から手へとダビングされ続け、いつしか「出所不明のヤバい音源」として噂が広まっていった。
ネットの掲示板では正体を巡る憶測が飛び交い、リスナーの熱量はじわじわと高まっていく。
だが、俺たちは決して名乗り出なかった。
プロモーションの仕掛けとしては、これ以上ないほど熟成が進んでいた。
*
一年後。二〇〇五年、三月。
春の冷たい風が吹き抜ける、山口高等学校の掲示板前。
合格者の受験番号が張り出された掲示板を、俺たち五人は無言で見上げていた。
「……あったぜ」
薫が、自分の番号を指差して短く息を吐いた。
その隣には、勝、博士、そして智ちゃんの番号も並んでいる。誰も信じなかった奇跡を、彼らは一年間の沈黙と引き換えに現実のものとしたのだ。
「お疲れ様でした。これで、大人の口を塞ぐ条件はクリアです」
俺が静かに告げると、薫はポケットに両手を突っ込んだまま、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「長かったぜ。一年間、ずっと息を止めて、窮屈な思いをしてたからな」
「ええ。もう誰にも、俺たちの音を止めることはできません」
明日は、彼らの中学校の卒業式だ。
型通りの送辞や答辞が交わされ、教師たちが涙を流す、学校という場所を象徴するような式典。
「……明日の卒業式。一年間溜め込んだフラストレーションを、全部吐き出してもいいですよ」
俺の言葉に、四人は示し合わせたように深く頷いた。
一年間の沈黙が、いよいよ終わろうとしていた。




