第044話:正体不明のリクエスト
三月
寒さの底を打つ夜の自室で、俺は机に広げた数学の参考書から目を離し、傍らの古いラジカセに耳を傾けていた。
チューニングのダイヤルは、FM福岡の深夜番組に合っている。九州から山口にかけて、音楽好きの十代がこぞって聴いているローカルな音楽番組だ。
スピーカーの向こう側で、パーソナリティの男性が、どこか困惑したような、それでいて隠しきれない興奮を含んだ声でマイクに語りかけていた。
『えー……最近、この番組宛てに妙なリクエストの葉書やメールが殺到してるんですよね』
俺は手元のシャーペンを置き、ラジカセのボリュームを少しだけ上げた。
『アーティスト名も、正式な曲名も書いてないんです。ただ、「センコー、いい加減にしろって叫んでる曲をかけてくれ」とか、「誰も聴いたことがない切ない“イエスタデイ”をお願いします」とか。最初はごく一部のリスナーの悪戯かと思ってたんですが……そのうち、無視できないくらいの数になってきまして』
パーソナリティが息を吸い込む音が、微かにマイクに乗る。
『で、先週の放送で「これ、誰の曲か知っている人いる?」って呼びかけてみたんです。そしたら……翌日、局宛てに郵便が何枚も届きまして。中に入っていたのは全部、盤面がマジックで真っ黒に塗りつぶされたCD-Rでした』
俺は静かに息を吐いた。
親や教師の目を盗んで増殖したあのアルバムは、同世代のリスナーたちの手によって、ついにラジオの電波という表舞台の入り口まで到達したようだ。
『……送ってくれたリスナーの皆さん、ありがとう。ディレクターと一緒に、中身を聴かせてもらいました』
パーソナリティの声が、一段低くなる。深夜のラジオ特有の、リスナーと内緒話をするような親密なトーンだ。
『正直言って……ぶっ飛びました。めちゃくちゃ荒削りだし、音も歪んでる。だけど、とんでもない熱量を持ってる。今、街のどこかで、こんな凄い音を鳴らしてる連中がいるのかって、ちょっと震えました』
だが、とパーソナリティはひどくもどかしそうに言葉を続けた。
『このままじゃ、番組では流せないんだよね。ラジオっていうのは、どこの誰が作詞作曲して、誰が演奏しているのかわからない出所不明の音源を、勝手に電波に乗せるわけにはいかないルールがあるんです。……だから、もしこれを作った本人が聴いていたら、番組まで連絡をくれないかな』
俺はラジカセの電源ボタンを押し、部屋を静寂に戻した。
出所不明の音源は流せない。著作権や放送コードという、メディアのルールだ。
だが、パーソナリティのあの声色からは、どうにかしてあの音をリスナーに届けたいという、音楽番組の作り手としての純粋な熱が漏れ出していた。
現場の大人たちも、俺たちの作った音源の熱量に巻き込まれ始めている。
(……焦る必要はない。現場が本当にその音を欲しがれば、ルールの方からいずれ何らかの歩み寄りを見せるはずだ)
俺は窓の外、冷たい冬の星空を見上げた。
正体を明かす時は近い。だが、ただラジオ局に名乗り出て「俺たちが作りました」と、お行儀良く自己紹介するつもりはなかった。
プロデューサーとしては、正体を明かすタイミングと見せ方は、最大の効果を生む場所を選びたい。
口コミを利用した手作りのプロモーションは、いよいよ最終段階へと差し掛かろうとしていた。




