第041話:完全版の録音と、生み出されたアルバム
一月。
冬休みの冷気が骨まで染み込んでくる旧校舎の備品倉庫で、俺は幸楽楽器で調達してきた機材のセッティングを進めていた。
ギターアンプのスピーカーコーンのエッジを狙ってダイナミックマイクを立て、ドラムにはキック(バスドラム)とトップの最低限のマイキングを施す。
息を吐くたびに白い靄が広がる中、薫、勝、博士、そして智ちゃんは、それぞれの楽器を抱えて持ち込んだ石油ストーブの前に陣取っていた。
「おい、セッティングは終わったのかよ」
薫がギターのネックを握りしめながら、ニヤリと笑う。
「ええ。いつでもいけます」
「クリスマスの夜にあんなに泣き崩れてた奴が、いっちょ前にプロデューサー気取りかよ」
博士がからかうように言うと、勝も智ちゃんもクスクスと笑い声を漏らした。
あの聖夜のハプニング以来、俺のプロデューサーとしての威厳はすっかり剥がれ落ちていたが、不思議と居心地の悪さはなかった。
「……雑談はそこまでです」
俺は冷たい声で空気を切り替えた。
「今日から数日かけて録るのは、俺が夏に配ったデモ音源の曲たちと新曲をまとめ、一つの『アルバム』として上書きするためのものです。パソコンで綺麗に整えた音じゃない、先輩たち自身の生きた音をテープに残します」
四人の顔から笑みが消え、レコーディング前の特有の緊張感が走る。
「ルールは一つ。全曲、基本は一発録りです。ミスをしても絶対に演奏を止めないでください。テンポの揺らぎも、ピッキングの引っ掛かりも、アンプのハウリングも全てそのまま録ります。メトロノームに合わせただけの均等なビートじゃなく、全員の呼吸がズレて、また合わさる瞬間の生々しいグルーヴこそが欲しいんです」
「上等だ」
薫が立ち上がり、マイクスタンドの前に立った。
「ぶっ放してやるよ。俺たちだけの音をな」
*
それからの数日間、備品倉庫は外の寒さが嘘のような熱気に包まれた。
指の皮が擦り切れ、声が嗄れるまで、俺たちは何曲もマイクに向かって音を叩きつけ続けた。
そして、冬休みも終わりに近づいたレコーディング最終日。アルバムのラストを飾るリードトラックの録音が始まろうとしていた。
俺がMTRマルチトラックレコーダーの録音ボタンを押し、親指を立てて合図を送る。
博士のスティックが、静寂の空き教室を鋭く叩き割った。
ワン、ツー、スリー、フォー。
勝のギターが鳴り響く。アンプのゲインを限界まで上げ、ピックが弦を擦るスクラッチ音ごと歪ませた荒々しいカッティング。
そこに智ちゃんのベースが、あえて少しだけ後ろにモタるような重いタイム感で絡みつく。バスドラムの低音とベースのルート音がうねりを生み出し、床を直接振動させた。
演奏するのは、俺たちの不満を叩きつけた『センコー』の完全版だ。
かつてビートルズが放った、カオスと狂気が混ざり合う『Helter Skelter』。その歪みと暴力性を骨格に、俺たちは自分たちの咆哮を上書きしていく。
デモ音源のときは、俺がパソコンのシーケンサーですべての音符をジャストのタイミングに配置した。ピッチも波形も、計算通りに整頓された「正しい音」だ。
だが、今鳴っているのは違う。
博士がスネアを叩く位置が数ミリずれるだけでスナッピーの響きが変わり、勝がコードチェンジで指板を滑らせる摩擦音がそのままマイクに乗る。テンポはサビに向かってわずかに走り出し、それがかえって演奏全体の熱量をブーストさせていく。
綺麗に調和するのではなく、それぞれの楽器の帯域がぶつかり合いながら前に進んでいく圧倒的なエネルギー。
俺はエレクトーンの鍵盤を叩きながら、その熱量の渦に身を委ねた。
サビの絶頂で、薫がマイクスタンドを握りしめ、数日間の酷使で掠れた喉の限界を試すようなシャウトを叩きつける。
「センコー!! いい加減にしろォォッ!!」
演奏が終わる。数日にわたるアルバム録音の、最後のテイクが終了した。
アンプのノイズだけがジーッと残響を描いて消えた。
俺は停止ボタンを押し、すぐに巻き戻して再生のフェーダーを上げた。
スピーカーから、先ほどまで自分たちが鳴らしていた音が荒々しく吐き出される。
コンプレッサーで整えられていない、生のダイナミクスが耳をつんざく。
大人の審査員たちが好むような美しいバランスの音楽ではない。だが、最初の一曲目からこの最後のトラックに至るまで、その音には間違いなく生きた血が通っていた。
「……すげえ」
博士がスティックを握ったまま、震える声で呟いた。
「これが、俺たちの作ったアルバム……」
勝も、自分の手のひらを信じられないものを見るように見つめている。
智ちゃんは、息を弾ませながら満足そうに微笑んでいた。
「最高に汚くて、最高にカッコいいぜ」
薫が、額の汗を拭いながら笑った。
俺は、無言で頷いた。
彼らはもう、俺が与えた設計図をなぞるだけの素人ではない。自分たちの手で生のグルーヴを掴み取り、それを一つの作品として出力する術を手に入れたのだ。
冷え切った冬の備品倉庫で、俺たちの初期衝動を詰め込んだファースト・アルバムが、確かに完成した瞬間だった。




