第040話:敗者の近況と、新しい機材
山口大神宮の石段を下りながら、完全版のレコーディングに向けて気勢を上げる薫たちを横目に、俺は口を開いた。
「明日からの録音に備えて、少し機材を追加しましょう。商店街の『幸楽楽器』に寄りますよ」
その名前を出した途端、薫と勝、博士の顔に明らかな動揺が走った。
「……マジかよ。あの店、行きづれえんだよな」
薫が頭を掻きむしる。
八月の福岡・イムズホールでの一件。俺たちを『特別推薦枠』で押し上げてくれた大人たちの顔に泥を塗り、大騒ぎを起こして失格になって以来、彼らは気まずさからあの楽器店に寄り付かなくなっていた。
「必要な準備です。逃げていても始まりませんよ」
俺は歩みを止めず、アーケード街へと向かった。
幸楽楽器の自動ドアを抜けると、いつものお行儀の良いアコースティックギターのBGMが流れていた。
奥のレジカウンターには、恰幅の良い店長ではなく、夏に博士へTMFのパンフレットを渡した若い店員が立っていた。
「おっ、橘くんじゃないか。最近顔見なかったね」
店員が明るい声で声をかけてくる。
薫はバツが悪そうに視線を泳がせた。
「……まあ、色々とあれをやらかしちまったんで、来づらくてよ」
不良の中学生が、大人に対して妙に小さくなっている姿は少し滑稽だった。
だが、店員は笑って手を振った。
「気にしてないよ。君たちの曲、凄かったって噂になってたぜ。店長はカンカンに怒ってたけど、帰ってからはずっと、君たちがまた店に来るのを待ってる様子だったからな」
「……店長が?」
薫が意外そうな顔をする。
大人たちは、俺たちが叩きつけた不協和音をただの反抗として切り捨てる一方で、心のどこかで俺たちの音を気にかけてくれているのだろう。
俺はレコーディング用のマイクケーブルや小物を物色しながら、ずっと気になっていたことを尋ねた。
「そういえば、TMFの結果はどうなったんですか? 二学期は学校のテストと文化祭に追われていて、すっかり忘れていました」
福岡のエリア大会でグランプリを獲った相良たち『スカイ・ハイ』は、十一月末に東京・渋谷公会堂で行われた全国大会へ進出しているはずだ。
店員は少しだけトーンを落とし、周囲を見回してから口を開いた。
「スカイ・ハイ、あまり良くなかったみたいなんだ」
「……良くなかった?」
「ああ。相良くん、考えがまとまらないのか、演奏がいつものようじゃなかったらしい。完璧なアンサンブルが売りだったのに、どうもリズムが浮き足立ってたらしくてね」
店員はため息をついた。
「今、彼らのバンドも難しい状態でさ。解散の話も出てるって言ってたよ」
薫と勝が息を呑むのがわかった。
完璧な機械のように正確で、県内トップクラスの実力を持っていたあのバンドが、崩壊しかけている。
理由は明白だ。
俺たちが福岡のステージで叩きつけた荒々しい熱が、相良の信じていた「楽譜通りに弾く正解」を揺るがしたのだ。
彼らは今まで抑え込んでいた衝動を持て余し、自分たちの音楽を見失っているのだろう。
「……続けてほしいですね」
俺は、選んだケーブルの束をレジに置きながら、本心からそう言った。
相良の技術は本物だ。俺たちが仕掛けた衝撃に苦しみ、古い殻を破ることができれば、彼はもっとすごい音を鳴らせるバンドマンになれるはずだ。
「そうだね。いいバンドだからな」
店員が頷き、レジを打つ。
店を出ると、冬の冷たい風が頬を撫でた。
崩れゆくかつての王者。
そして、自分たちの手で新たな音を刻もうとする仲間たち。
「行くぞ、お前ら」
薫が、今まで以上に引き締まった顔で歩き出した。
俺たちの冬のレコーディングは、もう誰にも止められない。




