第038話:聖夜のハプニングと、消したい記憶
十二月。
二学期期末考査の結果が貼り出された掲示板の前で、薫、勝、博士の三人は、信じられないものを見るような目で自分の順位を見つめていた。
学年九十人中、揃いも揃って六十番台。
前回の底辺ギリギリからの、見事なジャンプアップだ。
「……俺たちの頭で、ここまで行けるとはな」
「だから言ったでしょう。俺の教えた効率的な戦術さえ守れば、テストなんてただの作業です」
俺が淡々と告げると、彼らは安堵の息を吐きながら肩を叩き合った。
これで、高校進学というバンド存続のための足場は、さらに強固なものになった。
数日後。
冬休みに入った俺たちは、夏の祭りで苦楽を共にした麻耶、ゆい、瑠璃の三人を交え、八人でささやかなクリスマスパーティーを開くことになった。
会場は麻耶の家だった。彼女の実家は市街地の高台にある立派な一軒家で、昼間であれば親も不在で広いリビングを使えるという。
持ち寄ったチキンやピザが並ぶテーブルの真ん中で、勝がカバンから得意げに数本の瓶を取り出した。
「ほらよ。ノンアルコールビールだ」
中学生には刺激の強いパッケージに、女子たちが「ええっ」と小さく声を上げる。薫や博士も興味津々でグラスに注いだが、一口飲んで「苦っ!」「なんだこれ、マズッ」と盛大に顔をしかめた。
一方、俺はグラスの炭酸を喉に流し込み、静かに息を吐いた。かつての生活で嫌というほど味わった本物には遠く及ばないが、退屈な日常の渇きを癒すには十分だった。隣を見ると、智ちゃんも少し背伸びをして、苦さを堪えながら少しずつグラスを傾けている。
「アキラくん、飲めるんだね」
麻耶が面白そうに俺の顔を覗き込み、空になったグラスに瓶から液体を注ぎ足した。俺は喉の渇きに任せて、それを一気に呷った。
――ん?
麦芽の強い香りと、喉を焼く確かなアルコールの刺激。
(……美味いな。さっきのノンアルコールより、ずっと……)
グラスを空け、二杯、三杯とおかわりを重ねる。
ふと見ると、麻耶がテーブルの下に、キッチンからこっそり持ち出してきたであろう本物のビールの空き缶を隠して、悪戯っぽく笑っていた。
(……しまった)
気づいた時には、手遅れだった。
かつての俺の臓器なら水のように分解できたはずのアルコールが、未完成な子供の肉体を猛スピードで駆け巡っていく。視界が急激に歪み、理性のブレーキが完全に壊れ始めた。
◇
「……アキラくん? 顔、すごく赤いよ?」
智ちゃんが心配そうに覗き込んでくる声が、やけに遠く聞こえる。その言葉を最後に、俺の意識は深い底へと完全に沈んでいった。
◇
「……おい、いつまで寝てんだよ」
夕暮れのオレンジ色の光が差し込むリビングで、俺はズキズキと痛むこめかみを指で押さえながら、ソファーの上で身を起こした。
目の前には、腕を組んで呆れたように俺を見下ろす薫、勝、博士。その後ろには、顔を真っ赤にして俯いている智ちゃんと、ひたすら身を縮めて気まずそうにしている麻耶がいる。
「……何が、あったんですか」
俺が掠れた声で尋ねると、博士が大きなため息をついた。
「見事に記憶が飛んでるみたいだな。さっき、お前がここで何をやらかしたか、教えてやろうか」
博士と勝の証言によると、数時間前の惨状はこうだ。
完全に酔いが回った俺は、ふらつく足取りでリビングのグランドピアノに向かい、「クリスマス・メロディーを弾きます」と宣言。そこから、誰も聴いたことがないような曲を怒涛のメドレーで熱唱し始めたらしい。
「めちゃくちゃハッピーな曲から、英語で叫ぶ曲、スローなバラードまで……お前、あんな曲どこで知ったんだよ。ジャンルもバラバラだったぜ」
勝の言葉に、俺は背筋が凍る思いだった。十中八九、理性を失った俺の脳内に蓄積された記憶から、名曲たちを無自覚に引きずり出して弾き語りしてしまったのだろう。
「で、お前のその熱唱を聴いて、同じく酒が回ってた智子のやつが『……わたし、しびれちゃった』とか言い出してよ。俺たちドン引きだぜ」
「勝くん! それ以上言ったら本当に怒りますよ!」
智ちゃんが涙目で抗議する。どうやら彼女のグラスにも、麻耶のイタズラが混入していたらしい。
「だが、一番ヤバかったのはその後だ」
薫が、呆れたような、それでいて探るような鋭い目で俺を睨んだ。
「お前、一番盛り上がってる切ない曲の途中で、いきなりピアノに突っ伏して『ゆきぃ……ごめんよぉーーッ!』って大号泣し始めたんだよ」
「……ゆき」
「そうだ。お前が急に泣き出すから、智子のやつもオロオロしちゃってさ。お前の背中さすりながら『アキラくん、どうしたの? どこか痛いの?』って半泣きだったぞ。麻耶も真っ青になって『ごめん、本物のビールだった』って白状するしよ」
「アキラくん、本当にごめんなさい……酔っ払ったら本性がわかるって言うから、つい試したくなっちゃって……」
麻耶が気まずそうに謝ってくるが、それどころではない。
「で? 誰だよ、ゆきって。……お前、まだ中一だろ。まさか、裏で付き合ってる女でもいるのか?」
勝が追及したその瞬間、智ちゃんの肩がビクッと跳ねた。潤んだ瞳で、今にも泣き出しそうな顔をして俺を見つめている。麻耶も「ゆきちゃんって、どこの学校の子?」と、女子特有の鋭い視線で探りを入れてきた。
俺は両手で顔を覆った。
間違いない。最後に弾いたのは山下達郎の『クリスマス・イブ』だ。そして「ゆき」とは――前世の大学時代、俺が転がり込んで同棲していた、二歳年上の女。佐藤ゆきのことだ。
彼女の優しさに甘えきって、パラサイトし続けた大学生活。二〇一三年。とうとう教員採用試験すら受けずに卒業を迎えた二十二歳の俺は、ついに愛想を尽かされ、彼女の家を叩き出された。
完全に俺の自業自得だ。謝る資格すらない、最低な男の末路。それなのに、十数年越しにこんな形で未練を爆発させるなんて。
子供の未完成な肝臓がアルコールを処理しきれず、大人のストッパーを完全に破壊した結果、前世のダサすぎるトラウマを全員の前で垂れ流してしまったのだ。
「で? 結局誰なんだよ。白状しろよ」
勝がニヤニヤしながら詰め寄ってくる。俺は頭を押さえながら、必死にいつもの冷静な声色を作った。
「……忘れてください。ただの、昔の夢です」
「夢ぇ? お前、あんなにリアルに泣いといてかよ」
「ええ。俺にもよく分からないんです。どうやら、昔読んだ小説か何かの記憶と混ざった、変な悪夢を見ていたようで……」
「……絶対嘘だろ」
ジト目で睨んでくる薫と、呆れ顔の博士。そしてその後ろでは、智ちゃんが俺の顔をジッと見つめていた。
「……ほんとに、夢?」
「本当です。……お騒がせしてすみません」
俺が視線を合わせずに答えると、智ちゃんは「そ、そっか……夢だよね、うん……!」と、無理やり自分に言い聞かせるように呟いて、強張った笑みを浮かべた。表面上は安心したようだが、その瞳の奥には、明らかに拭い切れない疑念が燻っている。
(……これ、絶対に信じきってないな)
これ以上ボロを出すわけにはいかない。俺は無理やり立ち上がった。
「そ、それより、麻耶さんの親御さんが帰ってくるんでしょう? 早く片付けないとマズいんじゃないですか」
「あっ、逃げた!」
「おい待てコラ、誤魔化すな!」
背後から飛んでくる薫たちの追及の声と、女子二人の探るような視線を背中に浴びながら、俺は逃げるように空き瓶とゴミ袋を手に取った。
今まで大人たちを巧みに誘導し、完璧なプロデューサーとして築き上げてきた鉄壁の威厳。それが、たった数杯のアルコールによって無惨に崩れ去ってしまった。
前世の古傷が深くえぐられた、手痛すぎる聖夜のハプニングだった。




