第032話:崩壊する正解
真っ赤な照明が明滅する中、俺たちの放った圧倒的な音圧が、イムズホールを満たしていた。
薫の喉が裂けんばかりのシャウトと、勝が弾き出す『Helter Skelter』の強烈なディストーション。
俺のエレクトーンは、古いブルースのように泥臭いフレーズを鍵盤に叩きつけ、智ちゃんの重厚なベースと博士のバックビートが、数千人の観客の身体を直接揺さぶっている。
客席の反応は、劇的だった。
この世界の「お行儀の良い音楽」しか知らなかった若者たちは、最初の十秒こそ硬直していたが、やがて抑えきれない本能に突き動かされるように、一人、また一人と立ち上がり始めた。
彼らは、どうリズムに乗ればいいのかも分からないまま、ただ衝動のままに身体を揺らし、薫の叫びに呼応して拳を突き上げている。
FM福岡の生放送の電波に乗って、この熱狂は九州全土へ拡散されているはずだ。
俺たちが持ち込んだ規格外の音は、完全にこの空間の空気を支配していた。
最前列の審査員席は、混乱の極みにあった。
ある者は顔を真っ赤にして耳を塞ぎ、ある者は採点シートを机に叩きつけている。
彼らの物差しでは、俺たちの演奏は「音楽」ではなく、ただの「騒音」でしかない。
曲の終盤。俺はステージ袖に、呆然と立ち尽くす相良の姿を捉えた。
彼の顔からは、あれほど誇っていた音楽の秀才としての余裕が完全に消え失せていた。
相良の目は、ステージ上で音を鳴らす俺たちではなく、熱狂に飲み込まれた観客たちに向けられている。
自分が何千時間もかけて磨き上げた「寸分の狂いもない正解」が、たった数分間の「理屈抜きの衝動」の前に、いとも容易く粉砕されていく光景。
彼の絶対的なプライドが、音を立てて崩れ落ちるのが見えた。
ジャーン、という不協和音の余韻を残し、演奏が終わる。
一瞬の静寂の後、ホールを包み込んだのは、拍手ではなく、地鳴りのような歓声と怒号だった。
パイプ椅子の上に立ち上がって拳を振り上げる者、興奮のあまり歓声を上げる者。
数千人の十代が発する熱気は、完全に運営側の想定を超えていた。
たまらず、司会進行役であるFM福岡のアナウンサーが慌てた様子でステージへと駆け上がってきた。
「あー……っ、beat lessの皆さん、ありがとうございました! 会場の皆さん、どうか落ち着いて席にお戻りください! 放送事故になります、お座りください!」
プロのアナウンサーがマイク越しに声を張り上げても、うねるようなざわめきと熱狂はまったく収まる気配がない。
俺たちが楽器を下ろしてステージ袖に向かうと、そこで待機していた次に演奏するバンド――揃いのパステルカラーの衣装を着た他県の高校生たち――が、アコースティックギターを抱えたまま立ち尽くしていた。
「嘘だろ……。俺たち、この空気の後に……どうやって歌えばいいんだよ……」
ボーカルらしき少年が、泣きそうな顔で呟いている。
俺たちが作り出した異様な空気の、完全に割を食った形だ。
少し気の毒には思うが、歴史の転換点に犠牲はつきものだ。
俺たちは肩で息をしながら、さらに奥の通路へと進んだ。
そこには、相良が壁に寄りかかるようにして立っていた。
彼が抱える高級なレスポールが、今はひどく無力な木の塊に見える。
彼は何も言わなかった。俯いたまま、ギリッと唇を噛みしめている。
言葉など不要だった。
彼ほどの才能があれば、自分が何に負けたのか、痛いほど理解しているはずだ。
薫が鼻で笑って何かを言い捨てようとしたが、俺は無言で手を出してそれを制した。
敗者にわざわざ講釈を垂れるのは、三流のやることだ。
俺はメンバーたちに向き直り、静かに頷いた。
「……お疲れ様でした。最高の演奏でしたよ。さあ、大人の審査員たちが俺たちを失格にする前に、さっさと引き上げましょうか」
興奮冷めやらぬ四人を引き連れ、俺は立ち尽くす相良の横を、ただ静かに通り過ぎた。
福岡という巨大な発信地を掌握し、この世界の停滞した音楽史に最初の楔を打ち込むという、俺たちの目的は、完璧な形で完了したのだ。
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