第030話:呉越同舟のハイウェイ
八月二十四日、早朝。
TMF九州・沖縄エリア大会の当日。俺たちは山口市内の『幸楽楽器』の前に停車していた大型の貸切バスに乗り込んだ。
車内は、明確な格付けができあがっていた。
最前列には、幸楽楽器の店長やヤマハの若い担当スタッフたちが陣取り、そのすぐ後ろの特等席には、今回の山口県代表の「本命」である相良たち『スカイ・ハイ』が我が物顔で座っている。
中腹には、下関や岩国から集まった他の代表バンドたち――『ザ・ベルベット・スカラーズ』や『フィンガー・ギヤーズ』の音楽の秀才たちが、和やかに音楽理論の談笑に花を咲かせている。
そして、最後列の五席。エンジンの振動が一番響く、薄暗い吹き溜まりのような席に押し込められているのが、補欠合格である俺たち『beat less』だった。
「……クソが。なんであいつらと同じバスに乗らなきゃなんねえんだよ」
薫が腕を組み,不機嫌そうに窓枠を蹴りつけた。
「我慢しろよ。俺たち、一応『おまけ』で連れてきてもらってる立場なんだからよ」
勝が宥めるように言うが、その声にも隠しきれない苛立ちが滲んでいる。
博士も無言で貧乏ゆすりをし、智ちゃんに至っては、前方の優等生バンドが放つプレッシャーにすっかり萎縮して、膝の上で両手を固く握りしめていた。
「まあまあ、あんたたち。せっかくの福岡遠征んだから、少しは遠足気分でリラックスしなさいよ」
俺たちのすぐ隣の席で、引率として同行してくれている養護教諭の川村敬子先生が、呆れたようにため息をついた。
彼女は缶コーヒーを開け、退屈そうに音楽雑誌をめくっている。
バスが高速道路に乗り、関門海峡へ向けて走り出した頃だった。
前方の席から、相良がわざわざ通路を歩いて最後列へとやってきた。
彼は俺たちの萎縮した様子を見て、満足げに鼻で笑った。
「よお、補欠組。遠足の気分はどうだ?」
「……なんか用かよ、相良」
薫が低い声で凄むが、相良は痛くも痒くもないという顔で肩をすくめた。
「別に? ただ、せっかく大人の情けで拾ってもらったんだ。福岡のイムズホールっていう、俺たち本物が立つ『最高のステージ』を、一番後ろでしっかり目に焼き付けておけよって忠告しに来てやっただけだ。精々、いい思い出作りをすることだな」
薫が立ち上がろうとした瞬間、俺はスッと腕を伸ばして彼を制止した。
俺は膝の上に広げていた五線譜から顔を上げ、大人の完璧な営業スマイルを作って相良を見上げた。
「ええ、ありがとうございます。相良さんたち『主役』の引き立て役として、今日は特等席でしっかり勉強させていただきますよ」
「……ふん。せいぜい大人しくしてるんだな」
俺のまったく反発しない、不気味なほど従順な態度に拍子抜けしたのか、相良はつまらなそうに舌打ちをして前方の席へと戻っていった。
「アキラ! お前、なんであんな奴にペコペコすんだよ!」
薫が声を荒らげる。
俺は笑顔を消し、手元の五線譜に再びペンを走らせながら淡々と答えた。
「吠えるのは犬の仕事です。俺たちは、ステージの上で音を鳴らすだけでいい」
「……」
「薫先輩。あいつらが今、どんなにふんぞり返っていようと関係ありません。今日が終われば、彼らの信じている『正解』は、ただの時代遅れになりますから」
俺の言葉に、薫たちの目から迷いや苛立ちが消え、代わりに確かな闘志が戻った。
彼らはもう、相良の背中ではなく、その先にある福岡のステージだけを見据えていた。
「……ねえ、アキラくん」
一部始終を隣で見ていた敬子先生が、音楽雑誌から顔を上げ、探るような目で俺を見つめた。
「あなた、本当に中学生? あんなに露骨に煽られてるのに、感情ひとつ揺らさないなんて。……一体、福岡で何を企んでるの?」
「秘密です。……でも、先生も耳を塞がないように気をつけてくださいね」
俺が静かに笑うと、敬子先生は「可愛げのない子」と小さく呟き、窓の外へと視線を移した。
バスは関門橋を渡り、いよいよ九州の大地へと足を踏み入れる。
俺たちの持ち込んだ「トロイの木馬」が、その腹の中に強烈なバックビートとノイズを隠したまま、発信地である天神・イムズホールへと運ばれていく。
楽譜に縛られた音楽の秀才たちに対し、新たな音を叩きつける時が、静かに幕を開けようとしていた。




