第026話:祇園祭と、少女たちの熱量
七月二十日。
一学期の終業式を終えた旧校舎の備品倉庫は、本格的な夏の到来を告げる熱気に包まれていた。
親父から突きつけられていた「学年上位の成績」という免罪符を無事に叩きつけ、俺の夏休みの自由は完全に担保されている。
薫たちは、先日のTMF地区大会で『補欠枠』に甘んじた屈辱を晴らすかのように、連日狂ったような熱量で楽器を鳴らし続けていた。
「おい、今日から祇園祭だぞ。夜、みんなで祭りに行って少し息抜きしようぜ!」
通知表の束をカバンにねじ込みながら、博士が声を弾ませた。
「いいね。……それに、来月の提灯まつりで俺たちに割り当てられた『銀行前のスペース』がどれくらいの広さか、祭りのついでに下見しておきたいしな」
勝がギターをケースにしまいながら頷く。
TMF福岡大会への前哨戦として、俺たちは博士の実家であるお茶屋のコネを使い、八月六日・七日に行われる『山口七夕ちょうちんまつり』での演奏枠をすでに押さえていた。
「智ちゃんも来るだろ? もちろん」
薫が尋ねると、智ちゃんは少し悪戯っぽく微笑んだ。
「うん。それと、夜の祭りに一緒に行きたいって子たちがいるんだけど、連れてきてもいいかな?」
***
夜。山口市の中心商店街は、祇園祭の熱気と浴衣姿の人波で溢れかえっていた。
およそ六百年前の室町時代、この地を治めた大内氏が京都から八坂神社を勧請して始まったとされるこの祭りは、「西の京」山口の歴史を象徴する行事だ。
通りに響くお囃子の音、神輿の熱気、屋台のソースの匂い。六百年前から続くこの街の記憶が、今の若者たちの血をも騒がせている。
待ち合わせ場所のアーケード入り口で、薫、勝、博士の三人は、落ち着かない様子でそわそわと周囲を見回している。無理もない。中学生の夏祭りにおいて「女子と合流する」というのは、六百年の伝統行事以上に重大な儀式だからだ。
「お待たせ!」
人ごみを縫って現れた智ちゃんは、涼しげな紺色の浴衣姿だった。
そして彼女の後ろには、同じく色鮮やかな浴衣を着た三人の中学二年生の女子が続いている。
「紹介するね。クラスの友達の、ゆい、麻耶、瑠璃だよ」
三人の女子たちは、学校で不良として浮いている薫たちを前に少し緊張しているようだったが、すぐに興味深そうな、熱を帯びた目を俺たちに向けた。
「智子に借りたバンドのCD、すっごく良かったです!」
ゆいと呼ばれた女子が、興奮気味に言った。
俺は小さく眉をひそめ、智ちゃんを見た。
(……まさか)
智ちゃんはペロッと舌を出した。
「アキラくんにもらった原盤、ダビングして彼女たちにも聴かせちゃった」
文化祭の「騙し討ち」用に用意した美しいバラードから、最後に叩きつける切り札である『センコー』の狂気まで。そのすべてが入った『The Bible of "beat less"』の完全版を、彼女たちに流布したというのか。
「最初はね、すごく綺麗なバラードの曲で泣きそうになったんだけど……途中から、鼓膜が破れそうなギターの音が入ってきてびっくりした」
麻耶が身を乗り出してくる。
「でも、あの歪んだ音と叫び声が、なんだか頭から離れなくて……! 普段学校で歌わされてる正しい合唱じゃ絶対に出せない、胸の奥がスカッとする感じっていうか。あんなの、今まで聴いたことない!」
「あのCD、他のクラスの友達にも絶対聴かせたいの。来月のお祭りには、その子たちも連れて行くから!」
瑠璃が懇願するように言うと、薫や勝は「お、おう……任せとけ」と柄にもなく照れて、耳まで赤くしている。
俺は、少し離れた場所からその光景を眺め、静かに息を吐いた。
(……恐るべし、女の子のネットワーク)
ただの「サクラ」としてバラードで泣いてもらうつもりが、彼女たちはすでに俺たちの仕掛けた『劇薬』の虜になり、自らその熱狂を広めようとしているのだ。
このお行儀の良い世界で抑圧されてきたからこそ、あの歪んだ音のカタルシスは、十代の少女たちの本能に深く突き刺さったらしい。
「サクラもしてくれるし、友達もたくさん連れてきてくれるんだから。今日は屋台の奢りとか、ちゃんとサービスしてあげてね、アキラくん?」
智ちゃんが、俺の思惑を見透かしたような、大人の余裕を含んだ笑みで俺を見上げた。
「……恐れ入りましたよ、智ちゃん」
俺は苦笑し、ポケットの中の財布の重さを確認した。前世の感覚なら安い投資だが、いかんせん今の俺は中学生の小遣い制だ。はじめから、八人分の奢りを一人で被るつもりなどない。
俺は、女子たちを前にして完全に舞い上がっている先輩三人組へと、冷徹な視線を向けた。
「――と、いうことですよ、先輩方。俺たちの『共犯者』への接待です。当然、年上の男として、彼女たちにカッコいいところを見せてくれますよね?」
「なっ!?」
急に話を振られた薫たちは顔を引きつらせたが、女子たちの期待に満ちた視線を一斉に浴び、逃げ場を失う。
「お、おう……当たり前だろ! 焼きそばでもりんご飴でも、好きなもん食えよ!」
薫が見栄を張ると、勝と博士も泣きそうな顔で自分の財布を握りしめ、やけくそのように力強く頷いた。
その後、俺たちは八人でアーケード街を歩き、提灯まつりで俺たちが演奏することになる「銀行前のスペース」を下見した。
メインステージに比べれば、ただの狭い通路の片隅だ。祭りの喧騒の中で立ち止まって、無名の中学生の演奏をじっくり聴いてくれるような人間は少ないだろう。
だが、最前列を埋め尽くす彼女たち「共犯者」の熱量が起点となれば、群衆の心理は必ず動く。
俺は、かき氷をかじりながら笑い合う彼女たちと、財布の中身を気にしながらドギマギとその後ろを歩く薫たちを見つめ、来月のステージでの圧倒的な勝利を確信していた。




