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第025話:偽装の聖歌と通行証

七月の第一日曜日。

山口市大手町、『山口県教育会館』。

五百人を収容するホールは、異様なほどの熱気と緊張感に包まれていた。


TMFティーンズ・ミュージック・フェスティバル山口地区大会。県内五つのエリア――山口、下関、宇部、周南、岩国から、それぞれの予選を勝ち抜いてきた三組ずつ、計十五バンドが集結している。この中から、八月に福岡で開催されるエリア大会へ進めるのは四組だけだ。


セッティングを含めて一バンド十五分の持ち時間。午前中のステージでは、アコースティックギターを抱えたフォークグループや、洗練された歌謡ポップスを歌い上げるバンドが次々と演奏を披露していた。


昼休憩。ロビーの片隅で配られた弁当をつつきながら、薫が不満げにぼやいた。


「なあアキラ。午前中に出たやつら、どれも上手えんだけどよ。なんていうか……」


「打つものがねえよな」


勝が指先で唐揚げを箸で突きながら、薫の言葉を継いだ。


「ああ。技術はそこそこ高いし、ハモりも綺麗だ。でも、心にグッとこねえというか……聴いてて退屈なんだよ」


「同感です」


俺は冷めたお茶を流し込みながら同意した。


「彼らの音楽には、自分自身がいません。楽譜という決められた枠の中で、どれだけはみ出さずに正解をなぞるか。それを競い合っているだけですから」


俺の視線は、ステージ前の審査員席へ向けられていた。楽器店の店長や、ヤマハの音楽ディレクター、FM山口のパーソナリティといった顔ぶれが並んでいる。


その審査員席の中央で、幸楽楽器の店長が、俺たちの姿を見つけて完全に凝視していた。推薦を跳ね除け、門前払いしたはずの俺たちが、なぜか山口地区大会のパンフレットに正式な出場者として名前を連ね、今まさにステージ袖に控えているのだ。店長はあり得ないものを見るように目を剥き、隣のディレクターと慌てて書類を確認している。


大人の権威など、ルールを理解していれば、ただの脆い防壁に過ぎない。俺はステージの袖から店長に向けて、大人の完璧な営業スマイルを静かに返した。


審査員席の並びには、もう一人、見覚えのある初老の男が座っていた。

――『カナタ音楽教室』の校長。


なぜ一介のピアノ教室の校長が、バンドのコンテストの審査員席に座っているのか。大人の都合、あるいは川村幸恵先生の何らかの思惑が、裏で機能している証拠だった。


午後。十四番目の俺たちの直前、メインである十三番目の演奏が始まった。


「これより、山口地区代表、『スカイ・ハイ』の演奏です」


相良がステージ中央に現れた。彼が率いるバンドの演奏が始まった瞬間、ホールの空気が一変した。

一ミリの狂いもないピッキング、完璧なコーラスワーク。

だが、ノーミスで弾きこなす相良の表情は、どこか退屈そうだった。自分たちの音楽には何かが決定的に足りていないという渇望が、その洗練された音の隙間から、わずかに漏れ出していた。


(……窮屈な檻だな、相良。お前は今、自分が檻の中で踊っていることに、無意識にだけ気づいているんだな)


演奏が終わり、割れんばかりの拍手が響く。


「続いて、山口地区代表、『beat less』」


入れ替わりでステージに上がる。すれ違いざま、相良が俺たちを冷酷に見据えた。


「俺たちの『正解』、特等席で見させてもらったか? せいぜい引き立て役を頑張るんだな」


俺は立ち止まることなく、淡々と返した。


「いいえ。あとは僕たちの『正解』を、特等席で見ていてくださいよ」


俺は古いエレクトーンの前に座り、マイクを引き寄せた。この大会で俺たちが鳴らすのは、爆音のロックではない。審査員たちを騙すためのカモフラージュだ。


静かに鍵盤に指を落とし、俺自身がメインボーカルを取って歌い始める。

曲は『The Long and Winding Road』。


俺はあえて、原曲の通り英語の歌詞のまま歌い上げた。この世界にはない、どうしようもない枠組みを超えた喪失感と祈りを孕んだメロディ。智ちゃんのベースが静かに底辺を支え、薫と勝が息を殺してギターを添える。


演奏が終わると、会場は静まり返っていた。その静寂を破るように、審査員席のカナタ音楽教室の校長がマイクを手にした。


「二条くん。素晴らしい演奏だった。だが一つ聞きたい。……なぜ、英語で歌ったんだね?」


この世界の合唱やポップスは、母国語で美しく歌い上げることが常識とされている。俺は息を整え、平然と答えた。


「曲を英語で書いたからです。まだ、日本語訳を考えていなくて」


ざわめきが起こる中、俺たちは深く一礼してステージを降りた。袖に戻った瞬間、薫が目を丸くして俺の肩を掴んだ。


「おいアキラ! お前、今の曲もともと英語だったのかよ!?」


「ええ、まあ。適当な英語っぽい響きで誤魔化してたわけじゃないですよ」


俺がしれっと答えると、勝も博士も「マジかよ……」と呆れたように天を仰いだ。


大会のトリを飾ったのは、十五番目の周南地区代表、ガールズバンド『ソルベ・ハーモニー』だった。特段、心に打つものはないが、清廉潔白で「かわいい」を前面に押し出した三声コーラスは、大人たちの安心を誘う。「あれは予選を通るだろうな」と、俺は冷静に推測した。


そして、全十五バンドの演奏が終了し、結果発表の時が来た。


「TMF山口地区大会、グランプリは……山口代表、『スカイ・ハイ』!」


相良が当然だという顔でトロフィーを受け取る。文句なしの優勝。県内最強のエリート集団の面目躍如だ。

二位は、下関の『ザ・ベルベット・スカラーズ』。

三位は、岩国の『フィンガー・ギヤーズ』。

四位には、予想通り周南の『ソルベ・ハーモニー』が入った。


俺たちの名前は呼ばれなかった。


「……ダメだったか」


博士が肩を落とし、薫が苛立たしげに舌打ちをする。

だが、司会者が最後に一枚のメモを読み上げた。


「なお、本日は審査員協議の結果、福岡大会への審査員特別枠として一組を選出しました。山口代表、『beat less』」


会場に微妙な空気が流れる。俺たちは福岡行きの切符を手に入れた。だが、それは正規の入賞ではなく、実質的な補欠扱いだった。


「……マジかよ」


薫が拳を握りしめ、ギリッと歯噛みした。


「俺たち、スカイ・ハイに負けたどころか、補欠だぜ……」


勝も智ちゃんも、屈辱とショックに言葉を失っている。

だが、俺の口元には静かな笑みが浮かんでいた。


(補欠でいい。正式なリストに載る必要なんてないんだ。俺たちが欲しいのは、福岡のステージへ立ち入るための、ただの一枚の通行証なんだからな)

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