第024話:トロイの木馬
翌日の放課後。
博士が商店街の楽器屋から持ち帰ってきたのは、TMFのパンフレットだけではなかった。
彼は部室のテーブルに、一枚のMDを荒々しく叩きつけた。それは、俺たちがTMFの参加曲としてエントリーする予定の、録りたての綺麗なバラードのデモ音源だった。
「クソがッ! あの店の頑固オヤジ、マジで話になんねえ!」
博士が顔を真っ赤にして悔しそうに床を蹴る。
「いつも俺たちに良くしてくれる若い店員の兄ちゃんがさ、『こいつらのおとなしい曲、メロディがマジで綺麗だからTMFの推薦枠でプッシュしてやってくれ』って、店の奥にいた店長にこのバラードを聴かせてくれたんだ。だけどよ……」
勝が心配そうにそのMDを拾い上げた。
「……店長、なんて言ったんだ? バラードなら文句はねえはずだろ」
「それがよ、イントロの綺麗なメロディを数秒聴いただけで、ピタッとラジカセを止めやがったんだ! 『なんだこの意味の分からない英語の歌詞は。それに、テンポが楽譜通りに一定じゃない。感情任せに拍子を揺らすなんて、音楽への侮辱だ』って冷たく吐き捨てやがって!」
博士は悔しさで肩を震わせ、店長の気取った口調を真似るように続けた。
「『TMFは美しい調和と旋律を競う高貴な場所だ。去年のエリア大会で入賞した相良の実績を見ろ。あいつの鳴らす、数学のように完璧なクリーントーンこそが本物の技術だ。楽譜も読めない不良が、あんなデタラメな英語で歌うお遊びとは、住む世界が違うんだ』だとよ! 中身を最後まで聴きもしねえで、門前払いだ!」
――相良。
薫の元不良仲間であり、中学時代の先輩。そして、楽譜という完璧な数学を信奉し、大人の評価システムの頂点に君臨する、この街の「無菌室の天才」。
大人たちがその相良を絶対の『正解』として崇拝し、既存の型から一ミリでもはみ出た情緒を「デタラメ」と見なすからこそ、俺たちのバラードすら拒絶されたのだ。
部室の空気が一瞬にして凍りつく。
薫が静かに立ち上がり、壁に立てかけてあったギターのネックを、折らんばかりの力で強く握りしめた。
「……相良、か」
薫の瞳の奥に、どす黒い怒りと劣等感の入り混じった炎が灯る。どれだけ綺麗な音を鳴らしようとしても、大人の社会は「既存のルール」と「相良という模範解答」、そして「自分たちの先入観」を盾にして、俺たちを閉め出そうとしてくる。その理不尽な現実の壁が、再び彼らの前に立ち塞がったのだ。
だが、俺は表情一つ変えず、勝の手にあったMDを淡々と受け取った。
「想定内ですよ。むしろ、最高の滑り出しです」
「あ? 何が想定内だよアキラ!」
薫が荒い息を吐きながら、俺を睨みつける。
「あの店長は、この街における『お行儀の良い大人』の代表サンプルです。連中が何を美徳とし、何に拒絶反応を示すのかがこれでハッキリ分かった。彼らが英語の歌詞や感情のゆらぎすら『理解不能な異物』として弾くなら、これ以上のカモフラージュはありません」
俺は部室のホワイトボードに向き直り、マーカーを走らせた。
「いいですか。連中が求めているのは、感情を削ぎ落とした無菌室のような『正しい整列』だ。なら、コンテストの応募書類や一次審査の盤面では、彼らの大好きな『完璧に調和された楽譜通りのバラード』を演じて、その懐に滑り込めばいい」
「だけどよ、アキラ」
勝がため息混じりに肩をすくめた。
「その作戦はいいが、物件の楽器屋から推薦がもらえなきゃ、地区大会のステージにすら上がれねえだろ。あそこの店長がエントリーシートを跳ね除けたんだから、どうしようもねえよ」
「いいえ。あの店長が推薦を出さないからといって、エントリーできないルールなんて、TMFの規約のどこにも書かれていませんよ」
俺は学生カバンのジッパーを開け、中から薄い封筒を取り出して長机の上に置いた。
差出人の欄には、太いゴシック体で『TMF九州・沖縄エリア大会事務局』と印字されている。
「……あ?」
薫が怪訝そうに眉をひそめ、封筒をひったくるように手に取った。勝と博士、そして智ちゃんも身を乗り出して覗き込む。
「地元の店舗を通さずに、福岡の事務局へ直接音源を郵送する『一般公募ルート』が最初から存在します。あの店長が僕たちの音を聴かずに突っ返すのを見越して、一次審査用のデモは、先週の時点で僕が直接、福岡へ郵送しておきました。……昨日、僕の自宅に届いたものです」
薫が封筒から取り出した紙面には、彼らの名前と、決定的な一文が記載されていた。
『一次審査通過。つきましては、八月の山口地区大会への出場を許可します』
薫と勝、そして博士が、言葉を失って俺と紙面を交互に見つめた。
大人の頭ごなしの拒絶など、システム全体の規約を理解していれば、ただの無駄な遠回りに過ぎない。
「あとは、あの地区大会のステージに平然と上がって、お行儀の良いバラードを完璧に演奏するだけです。相良先輩の頭を上から引っ掴んでひっくり返すのは、その防波堤が完成したあと、あの天神の巨大な送信塔の上でやればいい」
俺はマーカーをポケットに収め、不敵に笑う薫と目を合わせた。
「……俺たちの『音』を鳴らした瞬間、彼らの頭の中にあるパンフレットは、物理的に燃えてなくなりますから」




