第023話:送信塔のパルス
五月の終わり。
中間考査を終えた旧校舎の備品倉庫には、配られたばかりのデモCDの音を本物の楽器で鳴らそうとする、異様な熱気が渦巻いていた。
特に、あの狂暴な『Helter Skelter』の再現は、結成間もない彼らにとって無謀とも言える挑戦だった。
本来なら初心者が手を出すべき曲ではない。耳を裂くノイズの嵐と、引きちぎられるようなヘヴィなグルーヴ。
それを可能にしているのは、俺の徹底したパートの解体と、身体の構造に沿った合理的な指導だ。
無駄な力を排し、骨格の連動だけで重力を音に変えるメカニズムを、プロの知見から叩き込んだ。
――だが、それだけではない。
(……おかしい)
俺はベースのネックを拭きながら、目の前の三人――薫、勝、博士の演奏を冷徹に観察していた。
いくら俺の指導が合理的だからといって、それだけで初心者の中学生がこれほどの異物を、これほど早く音にできるものなのか。
彼らは教えられたフレーズの奥にある『音のニュアンス』を、迷うことなく最初から正解の形で掴み取っている。
アキラの脳裏に、理屈では説明のつかない微かな違和感がよぎる。
だが、その歪んだ轟音は、確実に部室の空気を本物の熱量で震わせ始めていた。
そんなある日の放課後のことだ。
「おいアキラ、これ見てくれよ。商店街の楽器屋の兄ちゃんに『お前ドラムやってるんだろ』って渡されたんだ」
博士が部室のテーブルに叩きつけたのは、オレンジと青の鮮やかなグラデーションが目を引くパンフレットだった。
表紙には大きく、『TEENS' MUSIC FESTIVAL 2003』の文字が躍っている。
「……TMFか」
俺がその名前を口にすると、メンバーの反応は対照的に分かれた。
「知ってるよ。それ、日本で一番デカい十代のコンテストだろ? ギター雑誌にも募集が載ってた」
勝が身を乗り出す。だが、すぐにその表情には陰が差した。
「でもあれ、プロ志望の高校生とかが命懸けで出るやつだろ。いくら『Helter Skelter』の音が形になってきたからって、俺たちみたいな中坊が……しかも結成して一ヶ月そこらで出るような場所じゃないって」
「えっ、TMF……?」
智ちゃんが、恐る恐るパンフレットを手に取った。
「私、合唱部の先輩と観に行ったことある。福岡の、天神にあるすっごい綺麗なホールでやってて……。あんな場所に、私たちが出るの?」
二〇〇三年の山口に住む中学生にとって、福岡の「イムズホール」は物理的な距離以上に遠い、きらびやかな憧れと畏怖の対象だった。
「ハッ、ヤマハか。大人の品評会だろ、そんなの。お行儀の良いピアノの発表会の延長で、俺たちの音を鳴らして何が面白いんだよ」
薫がパイプ椅子にふんぞり返り、吐き捨てるように言った。
彼にとって、大人にお膳立てされたステージは、今のところ退屈な管理システムの一部にしか見えていないのだろう。
俺はパンフレットをパラパラと捲り、八月二十加日の「九州・沖縄エリア大会」の日付を確認した。
「……品評会だからこそ利用するんです。ここは、俺たちの音を一番効率よく拡散させるための、巨大な送信塔なんですよ」
俺の言葉に、全員の視線が集まる。
「いいですか。山口の閉ざされた空間でいくら爆音を鳴らしても、それはこの街の中だけで消費されて消えていく。でも、TMFのエリア大会はラジオで生中継されます。FM福岡、それにJFN系列の全国ネットだ」
俺はパンフレットを指先で軽く叩いた。
「そこで俺たちの音が一度でも電波に乗れば、それはリスナーたちの手で『記録』としてMDに録音され、大人の検閲が届かないネットワークで勝手に増殖を始める。審査員に褒められに行く必要なんてありません」
俺は薫を真っ直ぐに見つめた。
「薫先輩。俺たちがやるのは、あの洗練された天神のホールで、誰も聴いたことがない圧倒的な異物を叩きつけることです。コンテストの評価基準ごと、九州中の若者の耳を根底から狂わせてやればいい」
部室に重い沈黙が流れる。
俺が提示した冷徹な戦略と、その裏にある確信。
それに最初に当てられたのは、やはり薫だった。
「……耳を、狂わせる?」
薫が口角を不敵に上げた。
「へっ、面白えじゃねえか。お高くとまった審査員共の面っ面を、その『異物』ってやつでひっくり返してやるわけだな」
「ええ。そのために、まずは地域のイベントで『いい子』の実績を作り、そのまま福岡へ乗り込みます。学校の文化祭は、そのあとの防波堤です。――どうですか、博士。お茶屋の地元ネットワーク、フル活用させてもらっても?」
「おう! 任せとけって! 楽器屋の兄ちゃんも『面白い奴らがいる』って審査員のツテにプッシュしてくれるって言ってたしな!」
こうして、俺たちの夏は「山口」という地方都市の枠を越え、狂乱の福岡ステージへと舵を切ることになった。




