第022話:聖書の解読
「家で聴いてみてください。――大人しいだけの曲かどうか、わかるはずです」
旧校舎の備品倉庫で、俺はメンバー四人に手書きのCD-R『The Bible of "beat less"』を手渡した。
だが、俺の言葉など彼らの耳には届いていなかった。
「家までなんて待てねえよ!」
博士がディスクをひったくるように受け取ると、部屋の隅で埃を被っていた古いCDラジカセのトレイに、迷わずそれを突っ込んだ。
カチャッ、と再生ボタンが押し込まれる。
数秒の無音の後、ラジカセのチープなスピーカーから『Helter Skelter』のイントロが再生された。
「……ッ!!」
その瞬間、四人の肩が大きく跳ねた。
安い電子音をPC上で無理やり歪ませて作った、真空管が焼け焦げるようなディストーションのノイズ。
それが、完璧な四拍子のバックビートに乗って狭い部室の空気を殴りつける。
「なんだよこれ! スピーカーがぶっ壊れたのかと思ったぞ!」
薫が目を血走らせ、ラジカセに噛み付くように身を乗り出した。
「あんな大人しい面したパソコンとシンセで、どうやったらこんな汚ねえ音が出るんだよ! イカれてやがる!」
彼の「腹」は、俺が一人で多重録音して構築した狂気のノイズに完全に同調し、自分たちが手にするべき劇薬の正体を理屈抜きで理解していた。
曲が変わり、『Come Together』や『Help!』の疾走するリズムが流れ始める。
「おいアキラ! なんだよこの裏打ち!」
博士が興奮しきった顔で、手近にあった机を素手で叩き始めた。
「腹の底にズシンズシンきやがる! 理屈はわかんねえけど、腕が勝手に動いちまうぞ! あーっ、早く本物のドラムをぶっ叩きてえ!!」
純粋な身体的快感で音を受け止めた博士の渇望が、部室の温度を一気に引き上げていく。
一方で、勝はスピーカーの前に座り込み、頭を抱えるようにして『Something』のデモ音源に聴き入っていた。
「……ギターが、歌ってやがる」
職人気質の彼には、それがただのノイズや感情任せの速弾きではないことが分かっていた。
「音階の昇り降りじゃない。感情そのものが弦の上を滑ってるみたいだ。……アキラ、お前、頭ん中どうなってんだよ。本当にこれ全部、お前一人で考えたのか?」
勝は俺を見上げ、完全に白旗を上げたような、それでいて底知れない知的好奇心に火がついたような、強烈な敗北感と高揚の入り混じった笑みを浮かべた。
そして、文化祭の「騙し討ち」のために用意したバラード、『Let It Be』や『The Long and Winding Road』が静かに流れ始める。
この世界の合唱曲のように「正しく調和された音」を偽装しながら、その奥底にどうしようもない喪失感と祈りを孕んだメロディ。
「……アキラくん」
智ちゃんが、両手で口元を覆い、静かに涙ぐんでいた。
「ただの綺麗な曲じゃない。胸の奥が、すごく痛くなって……。これなら絶対に、学校の先生たちも涙を流して聴き入っちゃうよ……」
ラジカセの再生が止まっても、四人は誰も言葉を発さなかった。
文化祭では大人しいバラードだけを完璧に演奏して学校を騙し切るという、俺の「防波堤(トロイの木馬)」作戦。
そして、学校という狭い箱を飛び出した先の外の世界で、いつか世界に叩きつけるための切り札、『センコー』の狂気。
彼らは今、この七曲のデモ音源を通じて、俺の描いた冷徹な戦略と、圧倒的な音楽の説得力を魂の奥底まで理解したのだ。
俺はラジカセの電源を切り、四人を見渡した。
「……わかっただろ? これが、俺たちの目指す『正解』です」
「ああ。だがよ、アキラ」
薫が腕を組み、不満げに首を鳴らした。
「結局、英語の曲ばっかりじゃねえか。あの『センコー』みたいに、全部日本語で叫ぶ気はねえのかよ」
俺はラジカセからCDを取り出しながら、淡々と答えた。
「使い分けですよ。日本語の生々しい怒りは、ここぞという時の切り札に残しておくんです。……それに、英語のまま歌えば、大人の審査員や教師たちは『意味はよく分からないが、国際的で立派だ』と勝手に油断してくれます」
英語詞という名の迷彩。
「その隙に、この強烈なビートを連中の鼓膜の奥まで直接流し込むんです」
「……なるほどな。英語の響き自体を、目眩ましにするってわけか」
「ええ。それに俺たちの音は、いずれ海の向こうまで届きます。最初から、世界標準の言語で喉を慣らしておいてください」
俺が事実として言い切ると、薫は呆れたように息を吐き、やがて獰猛な笑みを浮かべた。
「どこまで計算してやがるんだ、お前は」
薫が立ち上がり、血の気の引いたような、それでいて熱に浮かされた顔でギターに手を伸ばす。
「こんなヤバい音聴かされて、大人しく帰れるわけねえだろ! さっさと音出そうぜ!」
彼らの飢餓感は、もはや「文化祭で暴れたい」という中学生レベルの現実逃避ではなかった。
この音を一刻も早く本物の楽器で鳴らし、この退屈な世界に叩きつけたいという、後戻りできない本物の熱狂だった。




