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第120話:事後報告と、軋む不協和音

年が明けた一月。

冷え切った空気が底冷えする土壁の蔵に、俺たち五人は集まっていた。

息を吐くたびに白い靄が広がる中、俺はパイプ椅子に深く腰掛け、彼らを見渡した。


「……春休みの東京のスタジオですが。キャンセルしました」


俺が淡々と告げた瞬間、ギターのチューニングをしていた薫の手がピタリと止まった。


「は? キャンセルって、どういうことだよ。俺がせっかく押さえた枠だぞ」


「あれは詐欺です」


俺は静かに、事実だけを端的に並べた。


「提示された仮登録書には、法外な違約金と音源の権利譲渡の条項が仕組まれていました。払えなければ学校に連絡すると脅し、未成年から金を搾り取るのが奴らの手口です。……すでに俺の父に動いてもらい、法的な手続きをとって業者は撤退させました。学校や親に話が漏れる心配もありません」


蔵の空気が、凍りついた。


勝と博士が信じられないものを見るように息を呑む。事の顛末をすべて知っている智ちゃんだけが、申し訳なさそうに視線を床へ落としていた。


「詐欺……親父さんに動いてもらった……? ちょっと待てよ、お前の親父がどうやって俺のサインした契約を勝手にキャンセルできるんだよ!」


薫が呆然と呟き、顔を青ざめさせた。


「未成年の契約を法的に取り消すためには、親権者の委任状が必要です。だから父が直接連絡を取り、あなたの叔母さんから委任状をもらいました」


「……まさか、うちの叔母貴に……!」


「ええ。『高校生なりのプライドもあるだろうから、彼には内緒にして穏便に処理させてほしい』と口止めをして。……だから、あなたは今日まで何も知らされなかったんです」


自分が良かれと思って取った行動が、詐欺であったことへのショック。

そして何より、自分の保護者すら俺の父親に説得され、自分だけが完全に蚊帳の外の『子供』として処理されていたという事実。


薫の青ざめた顔は、すぐに明らかな怒りへと変わった。


「ふざけんな!」


ガタンッ、と。

薫がパイプ椅子を乱暴に蹴り倒し、俺の胸ぐらを力任せに掴み上げた。


「俺たちはバンドだろ! 罠だったなら、まず俺に言えよ! なんでお前はそうやって、何でもかんでも自分一人で決めて、俺の家族まで巻き込んで裏でコソコソ話をつけやがるんだ!」


「おい薫、落ち着けって……!」


勝と博士が慌てて止めに入ろうとするが、薫はそれを振り払い、奥歯を鳴らして俺を睨みつけた。


「お前、俺たちを見下してんだろ。俺たちのこと、自分が書いた曲を鳴らすだけの都合のいいスピーカーか何かだと思ってんのか!」


フロントマンとしてのプライドと、蚊帳の外に置かれたことへの疎外感。

だが、俺は掴まれた襟元を気にするそぶりは見せず、ただ彼の瞳を見返した。


「見下してなどいません。俺はただ、事実としてこれが一番良いと判断しただけです」


俺は彼の腕をゆっくりと引き剥がした。


「……俺たちは、もう高二の冬なんだぞ」


引き剥がされた薫が、絞り出すような声で言った。


「あと一年でここを卒業して、東京でプロになるって決めてんだ。お前みたいに、まだ二年もこの学校の制服に守られてるわけじゃねえ! いつまでも、お前が用意した安全な環境で大人しくしてる場合じゃねえんだよ! だから俺は、卒業する前に自分たちの手でデカい場所を……!」


「その焦りが、相手に付け入る隙を生んだんです」


俺は冷静な声で、彼の言葉を遮った。


「交渉や環境の整備は俺がやります。……ですから先輩たちは、ただ俺が用意した場所で、最高の音を鳴らすことだけに集中していてほしいんです」


大人の理不尽から彼らを守り、最も確実な道を用意するためのロジックだった。

だが、その言葉は同時に、彼らの『自立』を根底から否定する、圧倒的な上位者としての傲慢なエゴでもあった。


俺の口からこぼれ落ちたその支配的な響きに、傍らで聞いていた勝と博士が、ハッとして顔をこわばらせる。


薫は、完全に冷え切った目で俺を見た。


「……ふざけんな。俺は、お前の思い通りに歌うだけの操り人形じゃねえ」


薫は足元に転がっていたアコースティックギターを乱暴にケースに突っ込み、肩に担ぎ上げた。


「どこへ行くんですか」


「帰る。今日はもう、お前の顔は見たくねえ」


薫は引き戸を荒々しく開け放ち、冬の冷たい風の中へ姿を消した。


「おい、薫……!」


勝と博士が気まずそうに、そしてどこか拒絶の色が混じった目で俺と智ちゃんを交互に見つめた後、慌てて薫の後を追って蔵を飛び出していく。


開け放たれた戸から、容赦のない隙間風が吹き込んでくる。

残された蔵の中には、暖房の効かない凍えるような静寂だけが落ちていた。


俺は乱れた襟元をゆっくりと直し、誰もいなくなったパイプ椅子を一瞥してから、再び手元の五線譜へと視線を落とした。

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