第117話:東京の魔法と、猛毒の仮登録書
申し訳ざいません 間違え投稿がありました。
ご指摘ありがとうございました。
十二月中旬。
二学期期末考査の総合順位は『十六位』に終わった。
親父から突きつけられた「十五位以内」という防衛線に、わずか一点届かなかった。
軽音部室への出入り禁止措置は、そのまま継続された。
放課後の時間はすべて、駅通りの水上塾の自習室に吸い取られている。
指定された課題を淡々とこなしながら、俺は冷たいパイプ椅子の上で、次の展開を計算していた。
化学の計算問題は、覚えればいい暗記科目とは性質が違う。
前世の記憶をそのまま流用できる社会や英語と違い、地道な演習量がそのまま点数に直結する。
一点差で防衛線を割った理由も、結局はそこにあった。
プリントの余白に、来週の学習配分を書き出す。
塾の講師に質問できる時間、家での睡眠時間、そして薫たちに割ける時間。
すべてを天秤にかけ、無駄のないスケジュールへと組み替えていく。
冷徹に盤面を管理しているつもりだった。
◆◆◆
その数日前。学校の廊下で、智子とすれ違ったことがあった。
俺は出入り禁止中の部室を避け、購買へ向かう途中だった。
向かいから歩いてきた智子は、俺に気づくと、一瞬だけ足を止めた。
「……アキラくん」
「智ちゃん。どうかしましたか」
声をかけると、智子は何か言いかけて、すぐに口をつぐんだ。
いつもの、有無を言わさず横から皿を差し出してくるような勢いがない。
「……ううん。なんでもない。塾、頑張ってね」
彼女はそれだけ言うと、俺の返事を待たずに足早に去っていった。
俺はその後ろ姿を数秒だけ見送り、すぐに視線を戻した。
(――期末前で、余裕がないんだろう)
智子にも、彼女なりの家庭の事情と受験勉強がある。
誰しもが常に一定の調子を保てるわけではない。
俺はそう結論づけ、購買のパンを買う列に並んだ。
その判断が、致命的な見落としだったと気づくのは、もう少し先のことになる。
◆◆◆
夕方、折りたたみ式の携帯を開くと、着信メールの通知が並んでいた。
バンドの連絡網――勝が幹事になって回している一斉送信メールだ。
件名【打ち合わせの件】
薫「今日、東京から来た人と会うことになった。すぐ終わるから気にすんな」
勝「了解(笑)」
博士「おっけー」
それだけだった。
議題も詳細も書かれていない。誰が呼んだのかも、書かれていない。
俺は小さな液晶画面をしばらく眺めた。
(――東京から、か)
ファンクラブの問い合わせにも、この街の連中とは毛色の違う差出人が混じるようになった。
プロモーターか、レーベル関係者か。……いずれにせよ、俺を通さずに動く用件ではないはずだった。
そう結論づけるのに、五秒とかからなかった。
塾のプリントには、まだ手つかずの英作文が三題残っている。
俺は携帯を折りたたんで学生鞄に戻し、シャープペンを握り直した。
夜、自習室を出る頃、もう一件、着信があった。
薫個人からの、宛先が俺だけのメールだった。
件名なし。
本文一行。
『薫:アキラ、春休み楽しみにしとけよ』
俺は少しの間、その一文を見つめた。
(――何かの、冗談だろう)
薫は、思いつきで威勢のいいことを言う男だ。
テストの結果で親父に絞られている俺への、軽口めいた挑発。
そう処理するのが、最も合理的だった。
俺はその夜、返信を打たなかった。
塾に残っていた課題を、そのまま片付けた。
自転車を漕いで帰る夜道。
師走の冷たい風が頬を切る。
冬休みまであと数日。
期末の結果を親父にどう説明するか、次のテストでどう十五位を奪還するか――頭の中はそれだけで埋め尽くされていた。
智子の妙に強張った横顔も、薫の素っ気ない一文も。
その夜の俺の中では、優先順位の低い雑音として処理された。
◆◆◆
盤面は、俺の知らないところで、もう動き終えていた。
一枚の書類と、ひとつの署名。
俺がその重みに気づくのは、もう少し先――
クリスマスの夜、震える声でそれを知らされるまでの話だ。




