第113話:一枚の届け出
週の半ば、俺は放課後の部室で薫と勝、博士を前に、志村から届いた書式を長机に広げた。
「YCAMへの届け出です。名義欄に、名前を一つ書く必要があります」
「で、誰の名前にすんだよ」
薫が椅子を引き寄せながら訊いた。
「貸倉庫と同じにします。木村さんと、俺の連名で」
俺は書式の該当欄を指で示した。
「先週、先輩から名前を出すという話がありましたが、使いません」
「理由は」
「新しく人を立てると、それだけ関わる人間が増えます。すでにある枠組みを使い回す方が、余計な負担を増やさずに済みます」
薫はしばらく書式を眺めていたが、やがて頷いた。
「……いいんじゃねえの。木村さんも承知してんだろ」
「ええ。先に確認は取ります」
「なら、俺は何も言うことねえよ」
その日の夕方、なおに書式を見せると、彼女は目を通してすぐにサインした。
「貸倉庫と同じ扱いね。増えるものがないなら構わない」
「増えません。名義を一つ追加するだけです」
「……分かった。志村さんには私から伝えておくわ」
届け出は、その週のうちに受理された。
* * *
十月に入り、部室の空気は次第に別の緊張に切り替わっていった。
二学期の中間考査が、二週間後に迫っていた。
「お父さんと約束した『二十位以内』、次のテストで守れそう?。」
智ちゃんが心配そうに訊いてきたのは、ある日の放課後だった。
「守ります」
俺は短く答えたが、内心では化学の参考書の進捗を思い浮かべ、わずかに眉を寄せていた。
六千枚の紙の管理、電子データベースの照合、志村との届け出、薫たちへの共有——夏の終わりから積み上げてきた実務は、想像以上に時間を食っていた。
部室の隅で、薫がギターの弦を弾きながら、ふと口を開いた。
「……お前、最近、勉強してる時間あんのか」
「削っています」
「削りすぎんなよ。せっかく共有するとか言い出したんだから、次はテストで躓いて共有どころじゃなくなりましたとか、そういうのは勘弁しろよな」
薫は軽口のつもりで言ったようだったが、その言葉は、思いのほか正確に俺の状況を言い当てていた。
俺は手帳を開き、残り二週間の学習配分を書き出した。
塾の時間、家での睡眠時間、そして部室に割ける時間。すべてを天秤にかけながら、それでも埋まらない何かが、じわりと足りていないことに気づいていた。




