第112話:共有の中身
週明けの月曜、放課後の部室に木村なおが顔を出した。
「二条くん、ちょっと」
バインダーを抱えた表情が、いつもより硬い。俺はベースを置き、彼女について廊下へ出た。
「志村さんから連絡があったの。……YCAMのサーバー、来月から利用規約が変わるって」
「変わる、というと」
「個人が特定できるデータを扱う場合、施設側への事前届け出が必要になるらしいわ。今までは黙認に近い形だったけど、上の監査が入ることになったみたい」
なおは声を落とした。
「志村さんは、届け出自体はどうにか通せるって言ってる。でも、届け出の名義に、団体名か個人名を書かなきゃいけない」
俺は廊下の窓の外を見た。九月の陽が、まだ高い位置にある。
「……分かりました。俺の方で考えます」
「考えるって、いつまでに」
「今週中に」
なおは少し俺の顔を見ていたが、それ以上は追及せず、頷いて職員室の方へ戻っていった。
俺は部室に戻った。
薫がアンプの調整をしていた。勝と博士はまだ来ていない。
「……なおさんから、何の話だったんだ」
薫が振り返らずに訊いた。
俺は一瞬、言葉を選んだ。
サーバーの届け出の話。名義の問題。まだ何も決まっていない、細かい実務の話だ。演奏には関係がない。先週までの俺なら、迷わずそう判断していた。
「……YCAMのサーバーの規約が変わるそうです。届け出に、名義が要る」
「名義?」
薫が手を止め、こちらを向いた。
「誰の名前を書くとかいう話か」
「ええ。まだ何も決めていません」
薫はつまみから手を離し、あっさりと言った。
「バンド名でいいじゃねえか」
——そう来るか。
「バンド名義にすると、六千人分のデータの責任が四人全員に乗ります。何かあった時、勝先輩や博士先輩のところにも話が行く」
「ふうん」
薫は少し考えるような顔をした。それから椅子の背にもたれ、天井を見たまま言った。
「じゃあ、俺の名前で書けよ」
俺は手帳を開きかけた手を止めた。
「……先輩の名前を、ですか」
「リーダーなんだろ、一応。俺の名前で集まった六千人だ」
冗談で言っている顔ではなかった。
俺はすぐに答えを返せなかった。
理由は単純だ。使えないからではない。——候補として、考えたことすらなかったからだ。
なおの話を聞いてから今まで、俺が天秤にかけていたのは志村となおの二人だけだった。電子に強い大人と、紙の原本を預かっている大人。どちらに重みを乗せるか、それだけを計算していた。
部の人間を並べることを、俺は一度もしていない。実務の関係者、という線を無意識に引き、その内側から薫たちを最初から除外していた。
先週、薫が言ったのはそれだ。
「……名前を書くというのは、何かあった時に最初に呼ばれるのが先輩になるということです。俺たちは高校生で、責任の取り方を持っていない」
「そりゃそうだろうな」
薫はあっさり認めた。それから、こちらを見た。
「でも、それはお前が書いても同じだろ」
俺は口を閉じた。
その通りだった。
「別に、意地で言ってんじゃねえよ」
薫はギターに手を伸ばした。
「俺が名前書けば全部片付くとも思ってねえ。俺は電子だの届け出だの分かんねえしな。……ただ、候補にすら入ってねえのはおかしいだろって言ってるだけだ」
「……検討します」
「検討な」
薫は薄く笑った。
「まあいい。捨てるなら、捨てたって言えよ。黙って捨てんな」
防音扉が開き、勝と博士が入ってきた。
「おーっす、遅れた」
「悪い悪い」
二人が機材の準備を始める。薫はもう何事もなかったかのように、アンプのつまみに手をかけていた。
俺は長机に座り、手帳を開いた。
名義の候補欄に、志村と、なおと、その下に薫の名前を書き足した。三つ並んだ名前を、しばらく眺めた。
共有するというのは、伝えることではなかった。
伝えれば、答えが返ってくる。返ってきた答えは、黙って捨てられない。捨てるなら、理由を口に出さなければならない。そして口に出した理由は、その場で反論されうる。
——面倒だ。
そう思った自分に、俺は少しだけ嫌気がさした。
面倒になったということは、これまでの俺が、それだけ楽をしてきたということだ。




