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第108話:白黒の狂気と、名前のない出演者

ノートPCの液晶画面に、白黒の狂乱が映し出されていた。極限まで歪んだディストーションと、強烈なエイトビート。それに合わせて髪を振り乱し、泣き叫ぶように熱狂する二十六人の女子生徒たち。


「……恐ろしい映像ね」


再生を終えた木村なおは、少し震える手でマウスから指を離し、息を吐き出した。


「これ、本当に高校生が作ったの」

「機材は家庭用のビデオカメラです。編集は映画部が」


俺が短く答えると、なおはもう一度シークバーを戻し、途中で止めた。


「……この子たち、誰が誰か分からないわね」

「ええ」


画面の中では、光と影の落差だけが暴れている。制服の白と、開いた口の暗がり。動いている輪郭だけがあって、顔と呼べるものは残っていない。


「アキラくん、これ、わざと?」

「色は情報です。捨てました」


俺は短く答えた。なおはしばらく画面を眺めていたが、やがて小さく息を吐いた。


「……六月の、あの掲示板ね」


俺はマウスから指を離さなかった。五重塔の定点映像で、ただプラカードを落としていただけの智ちゃんが、どこの誰とも知れない大人たちに体格を品評された件だ。あの時、彼女は本気で落ち込んでいたし、勝と博士は腹を抱えて笑っていた。


「同じことを二十六人分やらせる気か、って思ったんでしょ」

「……そうは言っていません」

「言ってないわね。認めもしないし」


なおは口の端だけで笑い、椅子の背に体重を預けた。


「私が言ったのよ。あの子たちを使いなさいって。エサをぶら下げろって教えたのも、私」


そこで彼女は言葉を切り、それ以上は続けなかった。


尾田先輩は、俺が指定した以上のことをやっていた。寄りのカットが一つもない。全部が引きか、逆光か、動きの途中だ。二十六人が個体ではなく、ひとつの塊として撮られている。


「先輩。これ、意図的にやりましたね」


俺が確認すると、尾田先輩は椅子の背に体重をかけ、少し得意そうに鼻を鳴らした。


「あいつら、俺の後輩の同級生だぞ。……それに、群衆は顔がない方が怖い」


映像作家としての判断と、身内を守る判断が、たまたま同じ方向を向いていた。俺が指示を出す必要は、最初からなかったことになる。


「学校には、届けを出すの」


なおが訊いた。


「出しません」

「怒られるわよ」

「怒られる理由が要ります」


俺はマウスを引き取り、再生を停止した。校則に触れるのは対外的な発表の届け出だが、この映像に映っている生徒の名前はどこにもない。クレジットも出さない。誰が出ているかを学校が特定できないなら、学校が処理すべき案件も発生しない。届け出れば、判断させることになる。判断させれば、必ず何かを言われる。何も渡さなければ、何も返ってこない。


「……あんた、本当に高校生じゃないでしょ」


なおが呆れたように呟き、椅子から立ち上がった。


週末、俺は蔵に三人を呼んだ。撮影に参加した二十六人のうち、リーダー格の三年生と、彼女が連れてきた二人。全員を集める必要はない。彼女たちが伝えれば済む。


「……見せてもらえるんですか」


リーダー格の先輩が、少し声を上ずらせた。夏の間、六千枚の紙を二十六に仕分けた張本人だ。渡した報酬は「次のミュージックビデオへの出演権」だった。


本田がノートPCを開き、再生する。最初の一分、三人は身を乗り出していた。二分を過ぎたあたりで、動きが止まった。


「……あの」


連れてきた一人が、遠慮がちに手を挙げた。


「私、どこにいますか」


誰も答えなかった。もう一人が画面に顔を近づける。制服の白と、開いた口の暗がり。振り乱される髪。動いている輪郭だけがあって、名前をつけられるものが一つもない。


「……これ、分からないようにしてありますよね」


リーダー格の先輩が、静かに言った。


「ええ」


俺は否定しなかった。


「約束と違う、とお思いですか」

「……いえ」


先輩は画面から目を離さず、しばらく黙っていた。やがて、隣の後輩の肩を軽く叩いた。


「これでいいよ。……こっちの方が、いい」

「でも、せっかく出たのに……」

「六月の、智子ちゃんの件。知ってるでしょ」


後輩が、口をつぐんだ。


俺は何も足さなかった。彼女たちが求めたのは、映ることだった。渡したのは、映らないことだ。それでも先輩は、渡されたものの中身を正確に数えて、後輩を黙らせた。二十六人分の労働に対して、俺が支払ったのは名前のない六分二十秒だ。等価かどうかを決めるのは、俺ではない。


その夜、俺は蔵に本田を残した。母屋から引いたLANケーブルの先で、映画部の一年生がキーボードの上に指を浮かせたまま固まっている。


「あ、あの。アキラさん。……押しますよ。本当に、押しますよ」

「早くしてください」


本田が生唾を飲み込み、エンターキーを叩いた。進行バーが、じりじりと右へ伸びていく。六分二十秒。白黒の狂乱が、海の向こうのサーバーへ送り出されていく。

俺はその青白い光を眺めながら、この映像が誰にも止められない場所へ出ていくのを、静かに確認していた。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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