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第011話:汚れた音の洗礼

放課後の空き教室。俺はアンプの背面に手を回し、真空管が熱を帯びるのを待っていた。

目の前には、戸惑った表情の三人がいる。どんな言葉を歌うかには合意したが、彼らはまだ「自分たちがどんな音を鳴らすべきか」の正体を知らない。


「アキラ、さっきから何なんだよ。ベースが二本に、ギターが一本? そんな編成、どの教本にも載ってねぇぞ」


借り物のベースを抱えた斎藤が、怪訝な顔で言った。

部屋の隅では、俺が渡した白紙の五線譜を膝に置き、芦田が息を潜めて見守っている。


「教本のルールは忘れてください。いいですか。やることは一つだけ。俺の合図で、この場所を全力で叩く。音程なんて外れていい。隣と合わせようとも思わないでください」


俺はギターのボリュームノブを最大――フルテンまで回した。

スピーカーから、「ジーッ」という飢えた獣の唸りのようなノイズが漏れ出す。


「ア、アキラくん……そんなに回したら、機械が壊れちゃうよ……!」


エレキギターのアンプなど見たこともない芦田が、そのただならぬ気配に声を上げたが、俺は構わず続けた。


「梶井先輩。ハイハットは使わないでください。スネアとバスドラだけでいい。一定の速度で、この部屋の空気を全部押し出すつもりで叩くんです。……行きますよ」


俺が、ストラトキャスターのリア・ピックアップを選択し、太い低音弦にピックを深く沈めた。


ガガッ、ガガガッ!


切り裂くような、あまりに汚く、あまりに鋭い音が響いた。

ブリッジ付近で右手を軽く浮かせ、あえてミュートを甘くした、極厚のダウンストローク。

ザ・キンクス、『You Really Got Me』。かつての音楽史において、アンプのスピーカーコーンにカミソリで傷を入れ、初めて「歪み(ディストーション)」が意図的にレコードに刻まれた、ロックンロールの暴力性の原点だ。


「今だ。叩け」


俺の低い指示に弾かれ、橘と斎藤が同時にベースの弦を叩きつけた。


ドォォォォォォン!!


二本のベースが放つ、のたうち回るような重低音。

それまで「美しい和音」しか知らなかった彼らの鼓膜に、FとGという、3度音を排除したルートと5パワーコードだけの連打が、物理的な質量となって襲いかかる。


「……っ」


橘の目が、驚愕で見開かれた。

太い4弦を力任せにピッキングした瞬間、指先からネックを通じて全身へと不快なバイブレーションが突き抜ける。腹が震えている。内臓が、自分の意志とは無関係にリズムを刻み始めている。綺麗なメロディなんてどこにもない。そこにあるのは、ただひたすらに繰り返される、全音階を往復する原始的なリフの重力だけだ。


「梶井先輩。止まるな」


俺のギターが、さらに激しくのたうち回る。

梶井は、もはや教本的なスティックコントロールも忘れていた。ただ、目の前で鳴り響く歪んだ低音の壁に負けじと、右足のペダルを踏み込み、2拍・4拍のタイミングでスネアのフープごと叩き切るような力任せのリムショット(バックビート)を叩き出す。


ドッ、パン! ドッ、パン!


空き教室の窓ガラスが、悲鳴を上げるように震えた。

均等なダイナミクスを良しとする古典派の常識を置き去りにし、シンコペーションのアクセントだけで空間を支配していく。

かつてルートヴィヒがピアノの弦を叩き切ってまで求めた情念が、エレキギターの歪みとなってこの退屈な世界に物理的に叩きつけられた瞬間だった。


演奏が止まったあと、部屋にはアンプのノイズと、荒い息遣いだけが残った。


「……何だよ、これ」


橘が、自分の硬直した指先を呆然と見つめる。


「指が……熱い。頭の中が、真っ白だ」


俺は何も答えず、熱を持ったアンプの電源を静かに切った。

言葉で語る必要はない。ピッキングの角度や打点のズレすらもエネルギーに変えてしまう、この「汚い音」の圧倒的な質量こそが、彼らにすべての正解を理解させたはずだ。


俺は部屋の隅へ視線を向けた。


芦田は、震える手からペンを床に取り落としていた。膝の上の五線譜は、真っ白なままだ。この過剰な倍音とバックビートを記述できる記号など、この世界のどこを探しても存在しないと悟ったのだろう。


だが、その見開かれた瞳の奥には、恐怖ではなく、圧倒的な陶酔が宿っていた。

ここにいる全員に、二度と「美しいだけの音楽」には戻れない、決定的な亀裂が入ったのだ。

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