第105話:電子の要塞と、大人の取引
翌日の夕方。YCAM(山口情報芸術センター)の貸し会議室。
木村なおに紹介されたのは、株式会社ナットの志村という男だった。
無造作な白髪交じりの短髪に、洗いざらしのシャツ。テーブルの上にはステッカーの貼られた分厚いノートPCを開き、黒い画面に白い英数字の文字列(Linuxのコマンドライン)を走らせている。
「私がいつもシステムの件でお世話になっている、志村さんよ」
なおの紹介に、志村はPA卓から視線を上げるようにPCから顔を離し、人の良さそうな、しかし鋭い知性を感じさせる目で俺たちを見渡した。山口ケーブルテレビや、このYCAMの基幹サーバーの構築・保守を請け負っている、地元のネットワークインフラの重鎮だという。
長机を挟み、俺たち『beat less』の五人と、公式HPを管理する映画部の尾田先輩が並んで座る。
「君たちのことは、木村さんから聞いているよ。……個人プロバイダのアカウントで、六千件のBCC一斉送信をやったんだって?」
志村が苦笑混じりに言うと、尾田先輩が青ざめた顔で頷いた。
「は、はい。五通目を送ったあたりで完全にフリーズして、プロバイダからアカウントごと凍結されました」
「当然だ。今どき、そんな動きをしたらスパム業者と同じ扱いになる。六千人というリストの質量は、すでに個人の手に負えるデータ量じゃないんだよ」
志村はキーボードを叩き、画面を切り替えた。
「木村さんから頼まれてね。君たちのファンクラブをさばくための、専用のメールサーバーの相談に乗りたい」
俺は黙って志村の目を見返した。
大人が、高校生の部活動に無償でインフラを提供するなどあり得ない。そこには必ず、等価交換のロジックが存在する。
「……志村さん。システムを用意してくれるのはありがたいですが、六千人を一瞬でさばくような専用サーバーには、それなりの維持費と太い回線が必要です。俺たちは、ファンから会費を取るつもりはありませんよ」
俺が金銭の授受を明確に否定すると、志村は小さく頷いた。
「分かっている。だから、このYCAMのサーバーの空き領域を使わせてもらう手はずを整えてきた」
「YCAMの公式サーバーを、俺たちの私設ファンクラブにですか」
「そうだ」
志村は手元のコーヒーカップを手に取り、静かに大人のロジックを提示した。
「君たちに整理券をもらった商店街の連中が、商工会議所で君たちの動員力を高く評価している。……その商工会議所から、地元選出の市会議員に口を利かせる」
俺は、志村の描いた政治的な導線を瞬時に脳内でトレースした。
「なるほど。市会議員からYCAMの運営側に圧力をかけ、『若者の文化活動支援と、YCAMの宣伝名目』という大義名分で、メールの末尾に施設案内のリンクでも貼り付ければ、公的なサーバーを合法的に流用できるというわけですか」
俺が淡々と結論を口にすると、志村は少しだけ目を丸くし、やがて感心したように口角を上げた。
「……木村さんの言っていた通りだ。君、本当に高校生か? 話が早くて助かるよ」
志村はコーヒーを一口飲み、少しだけ声のトーンを落とした。
「もちろん、私にも狙いはある。……来年度の提灯まつりで、もう一度、君たちに大きなイベントを仕掛けてほしいんだ。その時、ウチの会社のインフラを公式に絡められれば、私にとっても大きな実績と利益になる。そのための先行投資だと思ってくれ」
真っ当な取引だ。
相手を出し抜き、権利を搾取しようとする浅ましいブローカーではない。自らのインフラと行政への政治力を提供する代わりに、俺たちが生み出す熱狂の渦に『公式なパートナー』として相乗りしようという、極めて理にかなった先行投資。
(……良いだろう)
俺は背もたれから上体を起こし、志村の目を真っ直ぐに見据えた。
「分かりました。その条件で手を打ちましょう。システムの構築をお願いします」
「よし、交渉成立だ」
志村が満足げに頷き、PCの画面を俺たちの方へ向けた。
「すでに、木村さんと進めていた自動登録用のWEBフォームの基礎は組み上がっている。これを君たちのホームページにリンクさせれば、タイポの手間もなく、ファン自身の手で正確なデータベースが完成する」
俺の隣で、尾田先輩や智ちゃんが安堵の息を吐く気配がした。
大人の政治力と、強固な電子の要塞。
木村なおという優秀な執行官が繋いだ縁により、俺たちの熱狂をコントロールするためのインフラは、極めてクリーンで強固なものへと組み上がろうとしていた。
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