《四》青楼の胡姫 後
「四郎。」
兄は夜珠と自分を見比べて、いかにも愉快そうに笑った。
その声で我に返る。
「四郎。あまり女人の顔をじっと見るものではないよ。呆けるのも分かるけど。」
「まあ、三郎さま。」
夜珠は、兄に甘えを含んだ視線をよこした。彼女はちょっと睨むようにすると、ころころと鈴を振ったような笑い声をあげる。
「ああ…。失礼。素晴らしい演奏でした。」
「いいえ、ありがとうございます。」
夜珠はまだくすくす笑っている。
「四郎、この夜珠はね、本職の妓女じゃない。妙な気を起こすんじゃないよ。」
「…。」
そんな身も蓋もないことを言われても。自分の視線が、”見惚れていた”と思われてもしかたがない自覚はあるから、四郎は何も言えなかった。
「三郎さま、早々に種明かしなさったら困ります。」
あはは、と夜珠は声をあげて笑った。
それは屈託のない、どこにでもいる娘のような笑い声だ。
衣装と化粧は同じままの別人がそこにいるようだった。
どうやら、先ほど見えていたより、本当はもう少し若いようだ。
「…え?」
「可愛い弟がうっかり幻惑されては困るだろう?変な手出しをして、手首を落とされたりしたらいけないから、注意しておかないとね。」
突然の変化に戸惑っていると、兄はとても物騒な事を投げかけてきた。声音が先ほどまでとは変わっている。
それを感じ取ったのか夜珠はそっと席を外した。余計な場面に立ち会う気はないらしい。
話が相変わらず見えないが、兄が姿勢を改めたのでそれに倣う。
「四郎、禁軍とは別に、皇帝直属の諜報武衛部隊があるのを知っているだろう。」
さらに兄の口調が改まったものになる。
「…ええ。」
それは、武徳司という。
儀仗、護衛、諜報、軍事、そして独自の警察権裁判権を持ち逮捕や尋問を行い詔獄※を管轄する。
――人々はそれを恐れあまりその名を口にしたがらない。
「夜珠はそこの人間なのだよ。」
「…。」
「父上の命でね。私の代わりに誰か、と言うことで夜珠との連絡係はお前にやってもらいたい。私は別口で違う命を頂戴したのでね。」
なるほど、兄は父の命で、自分とは別に動いていたらしい。
が、とりあえずあまり良く分からない風を装っておく。
「は?…と言うと、では彼女は。」
ちょうど菓子をのせた高台を持って戻ってきた夜珠を見やる。
「平時は諜報を担い、戦時は従軍している。」
従軍とは?と怪訝に思う。
四郎の表情に気づいた夜珠は、兄に鋭い視線を向ける。
さっき甘えたような視線を送っていた女とは本当に別人のようだった。
「三郎さま。四郎さまが誤解なさってます。」
「ああ、営妓※じゃない。」
「はあ。」
では何故従軍してるか、という以前に間諜だという夜珠の正体を知って、自分は消されないだろうかという心配のほうが先に立つ。
「夜珠、そういうわけで今後もよろしく頼む。」
夜珠は兄に、ええ、と頷き、改めて二人に礼をとる。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。」
「それで、さっきの件だけど。四郎を立ち会わせても?」
「ええ、もちろん構いませんが。」
「四郎は女性の相手以外はだいたい何でも出来る。適当に役割を振ってやってくれ。」
こちらが呆気にとられているうちに兄はどんどん話を纏めていく。
かしこまりました、という夜珠に、うん、と頷き兄はこちらに向き直った。
「年明け早々、康大理寺卿の屋敷で宴がある。」
「はあ。」
「夜珠はそこで胡旋舞と歌を披露することになっている。裏の任務は大理寺卿の交友関係―――つまり西に近い者との繋がりの洗い出しだ。どの程度の仲なのかということだな。まあ大したことじゃない。上は大体事情をつかんでるんだろう。今回は特に報告することがなくても問題ない。…今のところ、右丞相、中書令、そして三法司※の高官らが招待されていることが分かっている。」
招待客の顔ぶれを見れば立場を考えなくとも、西の者は国の中枢を担う者の周囲の人間関係に相当浸透していそうだ。
彼らは皆西域と何らかの繋がりがある。
特に、大理寺卿と中書令はそれぞれ北西の朝貢国、月黎に娘を嫁がせている。特に大理寺卿は先祖が西域の国、沙蘭あたりの王族だったとかで今でも西域との関わりは深い。
金河の右岸に位置する月黎国と北西の草原や砂漠地帯の国、瀚黎は元は同じ朔月という遊牧系民族である。
それにしても。
「兄上。面倒に巻き込まないでくださいって言いましたよね。」
「使えるものは使うのが父上のやり方だと知ってるだろう?」
「…。」
どのみち自分たちは序列が低い。
予備はいつでも替えがきく。
「…そもそも顔を知られていますが。」
声を潜めて言い募る。
兄は涼しい顔だ。
「安心しろ。彼らは皆、一の兄上はともかく我々には興味がない。私に気づいたことも無い。」
「いや、さすがに無理が。」
できれば関わりたくない。
配下に”西”に縁のある者もいるのだ。
「もちろん変装はしてもらうが、よほど近くでヘマでもしない限りバレないだろう。」
「そうですか?」
「そういうものだ。」
「はあ。」
「聞き分けてくれるか。賭けで負けたものな。」
三郎はにやにやしながら、四郎の顔をのぞき込む。
「…。」
四郎は唇をかみしめる。
何やらとんでもなく面倒そうだ。
「なに、やることは簡単だ。お前、二胡もちょっとした腕前だっただろう。主に女性から情報を聞き出して欲しいものだが。」
「二胡はともかく、後の話はちょっとどうでしょうか。」
「まあ女でも男でもいいから情報を聞き出せ。何でもいい。私は男倡優に化けるからそっちを頼む。他も楽器の演奏や酌をする妓女として何人か入る。後は夜珠の指示に従え。」
四郎は思わず瞑目してしまった。
兄が倡優の真似事とは、母君が知れば多少は嘆くだろう。
いや自分だったら上手くできるかは別にして、全然倡優のまねごとでいいのだが。
三郎の母は息子に、家督に絶対に色気を見せるな、と言いつつ、彼の将来に大いに期待している。
何しろ知でいえば、こう見えて父の息子の中で最も優秀なのは三郎だ、と四郎も思う。
もう少し難しいことを考えればいいのに、この兄はこういう将来には余計そうなことをやりたがる。
「お前がそんな顔する必要はないよ。私は結構面白がってやっているんだからねえ。」
「はあ。」
口調が元に戻っている。
「じゃ、頼んだよー。」
「…持ち帰って検討します。」
少しだけ、この娘が舞うという異国の踊りを見てみたい気もしたが、危険の香りも濃いのだ。
「本当にお前はくそつまんない男だね。じゃ検討に気が済んだらよろしく頼むよ。」
三郎の言う宴の日の夜から翌日にかけては用がある、と言いたいところだったが、あいにく休みの予定だった。
※詔獄
皇帝の命による監獄
中国古代において皇帝が直接管轄する監獄であり、主に皇帝の詔勅によって罪を定める必要のある高官や要人を収監するために用いられた。『百度百科』
※営妓
軍隊の管轄下にある妓女。軍営に所属する官吏や将兵の接待を担当する。
※三法司
この物語では、大理寺、刑部、御史台




