《十七》北苑御猟場
慧は薬包紙に包まれた二種類の薬を水に溶いて飲む。
明日はおそらく朝から夕方まで禁苑で試射に立会うことになる。男ばかりの環境で終日過ごさなくてはならない。
慧は数日分の薬を用意しておいた。
――明後日以降も何かと忙しい。
よく晴れた初春の朝。
国子監の休みに合わせて例の銃の試射を行うことになっていた。風に含まれる湿り気は少なく、火薬への点火も問題なさそうだ。
姒軍器監は急な来客があったらしく姿を見せなかったが、用意された変装をして先に北苑へ向かう。
禁苑の北部分を通称『北苑』と呼び、御猟場としてしばしば利用されている場所である。
今回の試射はその奥の奥、澄水※のほど近くで行うことになった。
馬車は軍器監府のもので靖王、寧王が乗り、慧たち侍衛は馬に乗って向かう。
表向きの名目は、『弓や現行銃である火縄銃の試射の視察』である。
一刻ほどで着いた。
禁苑は流石に皇家の持ち物だけあって広大である。
そこに幕を張り巡らせて封鎖し、試射を行うのだろう。
音はするが視線は遮ることができる。
入口に等間隔にいる警衛に見た顔を見つけた。右羽林軍の曹校尉以下阿呆な兵どもの隊だ。
慧を見つけたらしく曹は目礼を、阿呆どもは顔色を失い…約一名は妙に慧に熱い視線を送りつつ、警戒にあたっている。
余計なことを言うなと随分曹校尉に絞られたのだろう。変装しているとはいえ散々噂しまくっていた靖王の侍衛たちだと、装備や顔ぶれですぐわかったようだ。皆、神妙な面持ちだった。
慧は曹校尉に目礼を返し通り過ぎた。
例の銃の件は非常に高度な機密に値し、詳細は警備兵には明かさないとはいえ勘のいい者なら何をやっているのか遠目でも気づく。
阿呆どもにそのような才覚があるとも思えなかったが噂好きではある。だが、思遠が今日、彼らに警備と試射の手伝いをさせることに決めたのなら問題はないのだろう。
軍器監がまだ到着しておらず、支度もまだ完了していないと報告があった。
「いやはや…どうも朝議後間もなく、来客があったそうで。」
「聞いてる。適当に待たせてもらうさ。」
案内した若い軍器監の官吏は、言外に意味を含ませて声をひそめたが寧王は笑って彼の肩を叩いた。
「あと四半刻ほどで姒軍器監はいらっしゃるそうです。どうぞこちらへ。」
若い官吏は申し訳なさそうに皇子たちに伝えると天幕に案内し茶を勧めた。
靖王は、猫舌な皇子たちの好みに合わせて淹れられた茶を美味そうに飲むと、護衛たちを見やる。
「待っている間、時間がもったいないな。せっかく馬を連れてきたのだし、護衛や侍衛の騎射の腕前でも見てやるか。兄上、いかがです。」
「いいだろう。せいぜい寧王府の者たちを鍛えてやってくれ。」
靖王は南側の草原を指して侍衛たちに声をかけ弓をもたせる。
曹校尉たちがちょうど敷設されている杭に的を付けていく。
「――騎射の腕前比べをやる。一走のうちに三つの的をより正確に射抜いた者に、褒美をやろう。」
護衛達は歓声を上げるが、なかなか三つ全部を射抜けない。
「なんだお前たち、だらしのない。しっかりやらないか。」
思遠が檄を飛ばす。
「じゃあ次は侍衛たちだな。」
まず寧王の侍衛、次に靖王の侍衛が挑戦していく。
このあたりはみな士大夫や貴族階級の為、幼少期から弓術を叩き込まれている。
大体二本は平均して決めてくる。
慧はせっかくだから、もらった扳指を試すため弓の一つも射てみたい、と思っていたところだった。ただあれから一度も試せてない。興嘉宮や王府にも弓射場はあるが、このところ忙しくて弓の鍛錬はできていない。なぜこんなところでいきなり他人に披露せねばならないんだ、と思う。
「お、三本命中。」
思遠が口笛を吹き、視界の隅で阿呆兵どもが歓声を上げている。
「えらくあいつらに人気だな、計都。」
思遠は兵どもの方に顎をしゃくるようにして示し、笑った。
「扳指のおかげかもしれません。」
この扳指はとてもいい。側面はなだらかな弧を描き、第一関節から第二関節までが男よりは短い慧の指にぴたりと沿う。
「次は思遠。」
思遠と慧は同じ風家流とも言うべき特殊な武術を身に着けている。騎乗の仕方、弓のつがえ方、慧の方がより泥臭くはあるが、所作や戦い方はよく似ている。
「やはり風家麾下のものは一糸乱れぬ完成された動きだな。動作から動作への流れに無駄がない。」
天幕に戻ったところで靖王は慧と思遠、そして寧王の侍衛で思遠の次兄を見比べて言う。
慧はそれを衍の騎射にも感じたが、なにもいわずにいる。彼の騎射はより無駄がなく精度がより高く感じられる。実際、衍が最も正確に三つの的を射た。
「風家が雁首三つ揃えたところで衍にはかなわず悔しい限りですね。」
思遠は唇を尖らせる。
「弓術ぐらいは勝たせて貰わないと。…両殿下、護衛たちに手本を見せてやってはいかがですか。」
衍は笑って二人の皇子に水を向ける。
寧王は肩をすくめる。
「ただの弓射ならともかく、私は騎射は得意じゃないからやめておくよ。お前がやりなさい、瑾。」
「兄上の弓射の腕は素晴らしいのに、騎射は苦手ですか。」
「あまり騎乗技術がないのでね。今度の馬球の宴に向けて目下訓練中さ。」
寧王はそう言って動こうとしない。
「さあ、行った行った。」
「では一本だけ。こういうものはやっておかねば確かに感覚が鈍ります。」
靖王は寧王に向かってにやりと笑顔を向けると歩き出す。
靖王の馬は連れてきていたが、こいつが特別気難しい性格ときている。道中もあまりに落ち着きがないので、しまいには慧が自分の馬を降りてこいつに騎乗する羽目になったが全く御し難い。
砂漠の交易都市、沙蘭の向こうの国から送られた由緒正しい汗血馬というが、言うことを聞かない馬は慧にとっては駄馬である。
慧は閉口しながら、馬を引く。
「殿下、これ、まったく落ち着きがないのですが…。」
「こいつはいつでも走りたいんだ。」
靖王が手綱を取ると馬は慧に向かって目と歯をむき出した。
「…威嚇してます。」
腹の立つ顔だ。
「人の顔真似をしてるんだ。一応喜んでるらしい。」
「ええ…この顔がですか。」
「よく見ろ。耳は伏せてないだろ。」
「馬にこんな顔されたことないです。」
靖王は笑って、馬に跨ると鞭を入れ走らせる。
走りたがるだけあって脚力を感じる走りだ。速い。
その人馬一体となった様子は、一日二日の関係では成り立たない。
要するに慧はこいつに認められていない。
腹の立つ馬だ。
靖王は馬首を返して戻り、一旦並足にさせると
即席の騎射の場となったところまで一気に駆けさせる。
綺麗な姿勢を保ったまま矢をつがえ、放った。矢は吸い込まれるように的へと飛び、中央に命中した。
見守る兵や護衛たちが歓声を上げる。
よくもあんな落ち着きのない馬に乗って精度の高い騎射ができるものだ。
慧はため息をつく。
一本で十分だ。
悔しいが靖王の腕はかなりいい。
「ちょっとブレたかな。」
「十分、お見事ですよ。」
衍が笑って請け合った。
そこへ軍器監一行が到着したとの連絡があった。
姒軍器監は恐縮しながら天幕へやってきた。
「お二人をお待たせして申し訳もございません。」
若干疲れた様子に靖王が問いかける。
「何かあったか?」
「――朝議のあと、軍器監府に戻ったところで軍器監丞※と兵部侍郎に捕まりましてね。」
「…勘付かれたか?」
姒軍器監は首を振る。
「丞はいまひとつ旗幟が明らかではありませんでしたので、今日のことは通常の視察としか伝えていません。兵部侍郎の方が怪しいかもしれませんね。」
「私が先日からそれとなく彼を騙っていたから、不審に思った誰かに照会をかけられたかな。」
「そうやもしれません。妙に探るような口ぶりではありました。適当にごまかして置きましたがね。…ですがせっかくここまで来たのです。今日の試射はなんとしても行わなければなりません。」
と姒軍器監は言った。
「すでにここまでの経緯は私から報告しています。両殿下からもそれぞれ報告なさっていると存じます。あとは、あの銃が現行銃とどう違うのか、撃ち比べて一つずつ検証していきましょう」
「その結果をまとめて父上に奏上する。」
寧王が言い、靖王も横で頷く。
「ええ、できれば今日中にいたしましょう。陛下としても結果を待っておられるでしょう。」
姒軍器監は口元を引き締めてそう言うと、官吏たちに試射の指示を出す。曹たち右羽林軍の兵士たちも準備に走り出した。
※澄水
镹安の北側を流れる河川。
※軍器監丞
軍器監の官吏。軍器監、軍器監少監につぐ上から三番目の役職。




