《十六》右羽林軍での噂
「最近、靖王殿下の侍衛になった胡人っぽい子知ってるかぁ?」
大皓宮西の右羽林軍営に向かう通路を歩いているとき、門近くの塀の向こうから、聞こえた。
靖王の周囲に、宮廷まで供をする胡人のような風貌の者は、自分か思遠しかいない。すぐ自分のことだと思った。
使われている言葉に地方なまりが混じる…恐らく都育ちではない。それほど官位が高くない者か無位の者。兵士か。
「昨日、見かけたんだけどさ。十五、十六ってとこで、女みたいな妙にキレイな顔してんだぁ。」
「宦官じゃないのか?」
己兄弟のような例外もいるが、宦官は去勢していることから男性らしさを失う者が多い。
「どうでしょー。官品は従七品みたいです。でも側仕えだし…お貴族の生まれの方でしょ。」
「いつも殿下に付き従ってる風家の若さまも胡人風だが。その伝手なのでは。」
「やーそういやちょっといつもの方と似てましたがね。」
別の男が嫌な笑い方をする。
「それってさ、アレ、なんじゃねぇか。」
「アレ、かぁ。お稚児さんってやつ。」
ひゃひゃひゃと冷やかすような笑い声が聞こえる。
「いくらキレイな顔でも男じゃなあー女のほうがいいなぁ。」
「俺が聞いたのは、侍女を囲ってるって。」
「あの人に近寄る侍女なんているか?成人もしてない子供が宦官を斬ったんだぞ。」
後宮で起きた宦官粛清事件は数年前のことで、人々の記憶にまだ新しいらしい。
「侍女が近寄らなくても召し出されれば従うしかないのが皇族ってもんだろ。」
「俺は、どえらく別嬪な胡姫を囲ってるって聞いた。明月楼の夜珠みたいなさぁ。」
慧は内心ぎくりとする。
『どえらく別嬪な』はともかく。
別人の認識のようだが並んで名が出るようでは、いつか同一人物とばれるかもしれない。
(この目立つ見てくれで間諜なんて向いてないんだよな。)
嘘をつくのは下手だが化ける実力的にはそうひどくない、はずだ。
経緯は微妙だが、断じて囲われてはいない、ということを声を大にして言いたいところである。
「へえ、お前、書寓を見たのかよ。」
「いや?俺らみたいなただの兵士は一生かかっても衣の裾や絵姿すら拝めねえさ。」
「違いねえ。」
「ただよ、色っぽくて豊満な美女ならいいんだけどよ、どうもそういう感じじゃないらしいぞ。」
男たちはゲラゲラと笑い転げている。
慧は苦笑し、つい自分の胸を見た。
「しっかし殿下もまだ冠礼を済ませたばっかりの独り身なのに、もう囲う女がいるとしたらなかなかのもんだよなぁ。」
「まあ、寧王殿下や恵王殿下もそうだし。…ここだけの話だけどさぁ、東宮殿下なんて昼間っから妃を召してお楽しみだそうだぜ。血筋を絶やすわけにもいかないけどよ、陛下も息子たちの女好きには頭を痛められてるのだろうさ。」
「皇子って生き物はそういうものなのかもなぁ。」
慧はへーなるほど、とある意味感心し、頭の片隅に皇子たちは皆、女好き、としっかり記憶しておく。英王の名前は出てこなかったから、英王妃掩月のためにも、ほっとする。
まあ、靖王だってお年頃である。妓楼には馴染んでいなさそうだったし、寧王はつまらないくそ真面目と評していた。だが別に女に慣れていないというわけでもなさそうだ。あの見てくれで立場上も女に不自由しないだろうから、そういうことはあるだろう、と思いながら聞いている。
断じて自分は関係ないが、主の噂に若干、思遠的な醜聞に対する興味が湧いてしまった。
くだらないが、ある意味仕事の一環だからな、と自分を納得させ頷く。
「皇帝の後宮こそ昔から美姫と才媛だらけと言うじゃないか。」
「選べるほどの美女に囲まれてみたいものだよなあ。」
「聞いたんだけどよ、靖王殿下が内廷にいらっしゃる時は、これまたえらく美貌の男を連れてるとか。二人並ばれていると女官どもがあれだけ恐れつつもきゃあきゃあいってるらしいぞ。」
訳知り顔で得意そうに言う。
「己さまの事だろう。」
「影で、風の若さまと新しい侍衛の三人合わせて、靖王殿下の地獄犬、て侍衛直の人間には呼ばれてるらしい。」
慧はつい、地獄犬を連れている靖王を想像してしまった。地獄犬とは西域の神話に出てくる、頭が三つある地獄の番犬である。
秀逸だが、なんというか…生理的にとても、嫌だ。
「マジか。」
「面喰いなのかね〜?」
靖王は人の顔面の美醜がわからず、興味もないらしい。
そりゃ自分の身内だけでも美貌の者揃いだ。
十五まで美姫の揃う後宮にいたというし、毎日飽きるほどそんな者ばかり見ていれば、よくわからなくなっても仕方がない。
慧が血に泥に塗れ汚穢に満ちたものを見慣れて、それを目にしても大して心が動かないのと同じに。
だけど後宮は、本当に色とりどりの花の咲き誇る美しい場所だろうか?
戦場の方が、どんな大義名分を掲げようと美しくはない純然たる殺し合いな分、慧にはまだ理解できる気がした。
「まあそんな美人ばっかり側にって、羨ましい限りだよなぁ。」
「いや男はどんだけキレイでもやっぱり羨ましくないな。」
「男女どっちでも好い、ってことだろ。」
「いやいやいやー。」
下卑た…というか阿呆っぽい笑い声がする。
だいたい一通りは言われてそうな事だ。
「もう御年十九なのに妃も娶らず国子監に行ってるのは、もっぱら女嫌いだからだ、って噂もあるぜ。」
「じゃあ胡姫の件は流言飛語ってやつか?」
「やっぱりそういうシュミなんだろー、あの御方は。」
「女嫌いが本当ならもったいないねぇー、ご本人もあれだけのキレイな顔だ。いくらでも女が寄ってきそうなのにさぁ。」
いや、あの人は普通に女が好きだぞ、多分、と心のなかで突っ込みを入れる。
だけど、言われてみれば。
男装してるときにだけ、やたらと触ってくるな?
女装のときは相手が慧であっても一応女性に対する礼というものを思い出すらしいが、男装しているとそもそも女ということを忘れているらしい。今のところそこに情欲のようなものがあるとは感じないが…慧は小さく手を叩く。
そうか靖王は男も好きなのか。なるほど。
軍営にもそういう者がいるし、噂も聞く。慧は全く驚きはしない。一方的に言い寄られたりしたこともあるが、自分には興味もなく関係ないことだ。
まあでも、そういうことは他人が声高に噂するものでもない。
「お前、殿下のお顔を見たのかよ。」
「こっそりと『ご尊顔を拝し』たさぁ。遠目でも女みたいなキレイな顔だったぞ」
「おい、もうやめんか。お前ら莫迦か?」
やれやれ、と道を戻ろうとしていたところだったが、ちょっとはちゃんとした奴がいたかと、足を止めた。
「ここで下世話な憶測を口にするのはやめておけ。不敬で首が飛ぶぞ。噂話も大概にしておけ。」
慧は双方どんな奴らか顔を見てみたくなった。キモいがせっかくだから釘刺しとくかと思い直す。
靖王に対しての発言は確かに不敬だ。他に広まっても困る。
門から入って塀沿いに進むと彼らがいた。
建屋の角に立つと遠巻きにいる若い武官と目が合った。こいつが上官か。一人だけ丁寧に扱われていた。
「…。聴こえてますよ。」
振り返った者たちが慧の姿を見て一斉に震え上がり、こけつまろびつ跪礼を取る。
やはり若い男は大して動じず礼を取っている。兵たちもかなり若い。
「お許しを…。」
「聞き咎められて真っ青になるくらいなら、こんな誰に聞かれてるかわからん所でしょうもない発言をするものではないですね。…弛んでいるのでは。」
兵たちはひいぃぃっ、と息を呑み、デカい図体を縮み上がらせて怯えている。
一応、慧は大して高くない官位の身なので、如才なく丁寧な言葉を心掛ける。だがそれと靖王に対する公然たる不敬は別だ。
「特に靖王殿下に対する不敬は聞き捨てならないですね。首が飛んでも文句は言えまい?時には上官まで巻き込む罪ですが分かっていますか?」
くすくすと薄く笑って、覗き込んだ適当な一人の首に爪の背をあて横に引く。
本人は何故か顔を赤らめて震え、横目で見ている奴らは、その顔面がさらに蒼白になった。
「は、もっももも申し訳ございません!上官殿は何も関係ありませんっ!我々がいけないのですっ。どうぞ罰を。」
兵士たちは音をさせて咬頭する。
「ほう。」
「――お待ちを。」
そこへ若い武官が割って入る。
「何ですか。」
「侍衛の君、阿呆どもがご無礼を。申し訳ございません、私の監督不行届でございます。…お分かりかと存じますが、これらはただただ真の阿呆なだけでございまして。」
「阿呆…それは確かに。」
彼の正面に顔を向け、喉で低く笑う。
割って入った男は卑しくない笑みを浮かべていたが、慧の耳に下がる耳環を見ると、すっと目が細くなった。
「その耳環。珍しいですね。」
成人してなお、見てわかる部分につけているものはほぼおらず、かといって訓練の進んでいない幼い暗衛は都にはいない。
この耳環の玉が何を意味し、どのように暗衛たちの身に付けられているか知り、大胆にも口に出せる者。――この者もおそらく同じ暗衛なのだ。それも、自らが暗衛だとこちらに知られても差し支えない程度には高位なのだろう。
つまり計都を武徳司暗衛司、兼、侍衛直の『計都』と知っている。
こんなところにも思遠は人を潜ませているらしい。当たり前か。軍は国の要の一つだ。
「ああ。」
互いに暗衛にのみ通じる礼を交わす。
阿呆な部下をもって気の毒なくらいだが、暗衛としては楽な仕事か。
監督不行届だけでも罪を問われかねないが、彼なら逃げられる。阿呆どもは――まあこの程度ならどうということはないが、調子に乗らせておくと今後問題を引き起こす者もいるかもしれない。
俺は知らん、で済ませてもよいと思うのに庇ってやるとは良い上官だ。部下も上官は関係ないと言っているし、阿呆どもなりに信頼関係がしっかりあるのだろう。
思遠に何か考えがあるのかもしれず勝手なことはできない。
「貴公は?」
「右羽林軍で校尉を拝命しております曹と申します。…少々、お耳を。」
そばに寄ると曹はにやりと笑って言った。
「――暗衛の『啓蟄』だ。」
慧は曹をじっと見つめる。
「私は靖王府の侍衛で計都といいます。」
こんなとき暗号名と字が一緒なのは便利だな、と慧は思う。
靖王の権威を盾に言うべきことは言っておこう。
「仮にも禁軍の兵が下品すぎませんか?いらんことを言ってる暇があったら教練の時間を三倍にしたらどうでしょう。それから阿呆な犬は犬なりに公の場でのお行儀をしつけておかないと。ここは酒楼ではないのですから。」
「は。お許しくださるのですか。」
曹は意外そうに眉を上げる。
「私は阿呆の首を跳ねるほど暇ではないのですよ。阿呆に釘を刺す程度には暇ですが。まず、阿呆たちに幸運なことに私は低位の官ですし。」
「あはははあ。」
曹は可笑しそうににやりと笑った。
どうせ靖王は自分ができているかできてないかが評価基準で、遠くの他人の評価は歯牙にもかけない。
「…靖王殿下が鷹揚な方であることに感謝して職に励むのですね。」
「は。寛大なお言葉痛みいります。…本日はこちらに何か?」
曹はにっこり笑う。
「今度、科挙の及第を祝う馬球の宴があるでしょう。」
寧王以下三人の皇子方が臨席する。警備の詳細について知っておく必要があった。
慧はそのまま去ろうとしたが、振り返りざま曹に声を掛けた。
「あ、曹殿。殿下の御用で私はここにちょこちょこ来ます。今後どうぞよろしくお願いします。」
「は。」
曹は軍礼を取り、慧が踵を返すなり、へなへなと崩れ落ちる部下たちをどやしつけた。
慧の姿が見えなくなると、曹は革長靴の先で部下たちを小突く。
「おい、いつまでへたり込んでる。」
「前言撤回します。…侍衛の君めっちゃ可愛くないですかぁ。はぁ、ヤバいです。なんかいい匂いも、」
さっき慧に爪をあてられて赤面していた男が、周りの者がどん引きする中、身体をよじって騒いでいる。
何か妙な心持ちに火がついてしまったらしい。
それはすぐ止められた。
彼はぐえっと声にならない声をあげて、再びへたり込む。
曹が踏みつけたからだ。
「お前ら、命が惜しかったら、今後あの方がお見えでも変なちょっかいかけるなよ。お前らなんかまだまだ相手にならないくらいの手練れだぞ。」
「え。」
「動きで分からなかったか。阿呆だな。」
「あんな可愛いのに手練れなのですかぁ…。ますます好いですねえ。」
うっとりとため息を漏らす兵にげんなりしつつ、曹はもう一回踏みつけておいた。
「この阿呆が。つける薬がない。」
―――
「計都。遅かったな。どうした。」
「思遠さま。いえちょっとこんな事が。…『啓蟄』に行き合いました。」
かいつまんで話す。
「それはたいそうな阿呆どもだなぁ。」
「ええ。罰する気がおこらないぐらいの。ただ、そういう見方が広がっていることはお伝えしておきます。…ですが阿呆どもと『啓蟄』は良い関係ではあるようですね。」
「そうなんだ。やつらはあんなだが有事にはすこぶる役に立つ。」
「やはり思遠さまがお選びに?」
思遠は笑いながらいや、と首を振る。
あの醜聞好きな無遠慮さは思遠を彷彿とさせたが違うのか。慧は主の噂につい興味を持ってしまった事を棚に上げて思った。
「いや、集めてきたのは『啓蟄』だが、勝負勘と屈強さなら随一なんだ。」
「そうですか。常にはあれでも、軍令だけは別だとわきまえているなら、部下の阿呆たちも使いようですかね。『啓蟄』がいれば。」
思遠は笑って頷いた。
「ああ。お前もそう言うならもっと使ってもいい。」
「ありがとうございます。」




