《十三》身代わりと死の耳環
紅紅の話によると、彼女の父、陳軍匠は死んでいない。
同時に姿を消した後継ぎである長男が突き落とした、そんな噂もあった。だが紅紅はそんなわけはない、という。
陳軍匠が亡くなったとされる時期の半年ほど前から不審な者の接触があったという。
つまり、銃の開発記録が止まる半年前でもある。
心配する紅紅には大丈夫だといっていたそうだが、
やはりどこかおかしいという思いがあったのだろう。
もし自分や長男が死んだりいなくなったりしたら、そのまま信じずあらゆる事を疑ってくれ、但し、決して騒ぐなと言い残した。
『父』の遺体は高いところから落ち、顔が分からなくなっていた。背格好の似たそれは、紅紅には他人のものに思えて仕方がなかった、という。
父の衣、父の持ち物をつけている――これはなんだ。
手首にあったはずのほくろはなく、かわりに手の甲に薄く字らしきものが刻まれた痕が見えた。
そして兄はその時を境に姿を消した。
何かあれば軍器監の上役二人に別々に知らせろと父は言っていたことを思い出した。
まさかと思っていたことが現実となり、紅紅は言われたとおりにした。
だが紅紅の連絡した上役のうちの一人は、紅紅の訴えを黙殺した。
もう一人の上役、軍匠長は、『父』の遺体を確保して大理寺に差し回し、上位の軍器監へ、さらにその上へとつないでくれた。ただ、それ以上のことは思うように捜査が進まなかった。
かろうじて手の甲に残った古い色素から、それは兵士に施すものだったのではないかと推測された。軍籍が調査されたが父が兵士だった記録は見つからず、遺体は別人のものの可能性がある、とだけ伝えられた。
誰がこの遺体を父の身代わりにしたのか、ついには分からずじまいだった。
「捜査の詳細などはその方…軍匠長をお訪ねになるべきかと。」
そう言って紅紅は日記のような物二冊を差し出す。
「父と、兄の日記です。三郎さまのお立ち会いで審問官にお見せしたあと、私が保管しておりました。十分な証拠かと。」
靖王は受け取り、二冊の最後に書かれたところから順に遡っていき、やがて紅紅に頷いた。
「父も、兄も、失踪するわけがありません。ましてや兄が父を殺そうとするなどあり得ません。私はずっとそう思っています。」
「こちらでも陳軍匠の件は追っているが、古い話で市井では記録もなく手詰まり感もあってな。協力して一から洗い直しがしたい。…一人で父上の命令をこなしていた時に比べたら、倍以上の速さでより緻密に調べられるだろう。そして再審まで持ち込める可能性を見極めたい。」
三郎は靖王の目をじっと見つめて言った。
三郎もずっと英王のことをなんとかしたいと動いてきたのだ。靖王が成人するずっと前から、父の命令というだけではなく。
そこに嘘はない、と思った。
「ええ。」
靖王は頷くと紅紅に声をかけた。
「話してくれたことを感謝する。引き続き頼む。」
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「おまえのこれは、いつからつけているんだ?」
少し前のある日。
靖王は横を向いていた慧の耳環をつつき、軽く揺らした。
銀の金具に玉の丸珠と小珠の房が連なったもの。
慧がつけている装飾品といえるものは、髪帯、男物の簪一本と靖王が与えた扳指、耳環、それだけだ。
耳環はちりり、とかすかな音を立て、慧が斬りつけるかのように横目で睨む。
(無言の触るな、だな。)
靖王は慧が夜珠として妓楼で諜報していた時のことを思い出し、どきりとする。
つい女だということを忘れそうになってしまうが。
――一指でも触れたら手首を落としてやる、だったか。
靖王が視線の鋭さに思わず手を引っ込めると、慧はにっこりと、いや、どちらかと言うと、にやあ、と笑んだ。
空虚かつ含みのある笑み。
慧がこういう表情をする時はたいていろくでもない話だ。
「八歳で都を離れる際に母にあけてもらいました。…暗衛は皆この道に入る時に、耳環をつけられるよう耳に穴をあけます。」
「そうなのか。…何故穴をあけてまで?」
この国では身体を傷つけることは忌まれるため、耳に穴をあけているものは多くない。とはいえ女性だと後宮の妃なども穴をあけ装飾として耳環をつけている者は多く、その程度のことだが。
「挟む形のものだと無くしやすいので。仲間が耳環で識別できるようにです。」
識別とは。
「とりあえず、頭につけておけば首が飛んで死んでも分かりやすいからじゃないですか?まあ耳が削がれるってことはあるかもしれませんが。」
「…。」
もう少し言い方はないのだろうか。
「特に未成年のうちは、必ず耳に着けておくように言われています。成人したら耳の穴は塞いで、耳環の玉は玉佩に仕立てなおしている者が多いですね。やはり男で耳に穴を開けるのはこの国では一般的でなく、かえって活動しにくいので。」
慧はこともなげに言う。
他の皇族たちに仕える薛家の兄らも玉佩にして密かに携帯している、という。
「…この小さな耳環でどうやって識別するんだ?」
慧の笑みが濃くなった。
よくぞ聞いてくれたというような。
「玉の裏側に所属の隊と所属番号が彫り込まれています。玉佩の場合もしまうところは細かく規定があります。…どこかで死んで遺体の回収が不可能ならこれを持ち帰り遺品とすることも。」
「…。」
「ただ、これ、壊れやすいのが困りもので。」
「材質は玉なのか?」
「はい。ご覧になりますか。」
慧は片方を外して靖王に差し出す。
つまみ上げて透かすように見る。
慧が言うには表に武徳司の紋、裏に暗衛の文字、そして番号が複雑な模様で彫刻されている。言われれば分かるが、一見ただの繊細な彫りのある玉だ。
慧は思い出したように、ああ、というとしれっと続ける。
「念のためお伝えしておきますと。実はこれに致死量の毒を封じ込んでありまして。歯の奥に仕込んで噛み潰して呑み込めば即効性が、銀を剥がしてはじめから呑み込めば遅効性が期待できます。外側は砂糖なので甘いんですよ。死ぬ前に甘みが楽しめてしまうなんて危険ですよね。」
靖王は慧の歌うような言葉の意味に、持っていた耳環を取り落としそうになる。
「…毒。」
「ええ。小さい子たちが舐めてしまうので、今は薄い銀に包まれているのですが。かくいう私も昔、舐めてみてひどい目にあいました。」
死んだ魚のような光のない目で例の笑みを浮かべながら慧は説明する。
「…な、舐めた?」
「あれほど甘美な味はありませんでしたねぇ。」
歌うような口調のまま、慧はうっとりとしている。
もしかして菓子好きは、その味を追い求めているから、なのだろうか。まさか。
…飾りかと思っていたらどこまでも物騒なもので、やはりろくでもなかった。人を毒殺することも可能である。
「…聞いて良かった。危ないところだった。」
「安心してください。一応、陛下の命以外の理由での、皇族の暗殺は禁じられています。」
「一応って…。」
含みのある言い方だ。
「さすがの私も後宮に出仕の際には毒は取り除くべきかと思っていますが。一度出すと戻せないので困るんですよね。それに何に使ったか色々尋問を受けることになるので。」
「まあ宮内に毒を持ち込むべきではないしなぁ。…ああ、それなら…これ、しばらく片方借りていてもいいか?」
「?はい。」
慧は、また何か思い出したらしい。
この日最高の、話している内容を無視すれば可愛いとさえ思える笑顔で言ってのける。
「この毒は飲むとそこそこ苦しみます。まあ毒なんで仕方ありませんが。もし万が一御前でそのような事態になれば、さっさと心臓を突くなり首を落としていただけるととてもありがたいです。」
「やめてくれ…。」
後日。明月楼から帰ってきて、室内着に着替えたところで。
小筥を渡すと慧はきょとんとする。
「何でしょう?」
「耳環だ。物騒すぎるから平時はこれをつけておけ。そのへんで勝手に死なれても困る。」
「はあ。開けてもよろしいですか?」
白玉のついた耳環だ。
たまたま識別用の玉に似た色の翡翠が手元にあったからと言い訳しておく。
「毒入りのとそっくりですね。」
「着けてやる。」
「はあ。ありがとうございます。」
言うと素直に、片方だけ着けていた毒入り耳環を外して待っている。
ちょうどそこへ臥室を整えていた衍が戻ってきた。
何か声をかけようとしたところだったようだが、そのまま口をつぐんでしまい、しばらく二人を眺めている。
「衍?どうかしたか。」
「…いえ。なんでもございません。」
衍は咳払いをし、夜食の入った籠を火鉢の上で蒸す準備をする。
「それならいいが。」
触れた慧の耳朶は冷たい。慧はわずかに身じろぎをした。
「重みがありますね。」
「玉な上、空洞が無いからな。邪魔か?」
「いいえ。ありがとうございます。」
「当分は本物は必要ないだろうから、俺が管理しておく。」
「わかりました。ではお願いします。」
慧は素直に毒入りの方の耳環を箱に収めた。
「この鎖はなんでしょう?」
「隠す必要がある時はそれに吊るして首にかけておけ。」
くれぐれも言っておくが、と指を突きつけ、続ける。
「後宮内に絶対に毒は持ち込むなよ。毒殺を疑われたら面倒なことになる。」
衍が顔を赤くして肩を震わせながら茶を入れている。
息苦しそうだが。
「衍。なんだ熱でもあるのか?」
「い…いえ。菊花茶をどうぞ。」
「今日は早めに休め。」
「あとはやっておきますよ。」
慧が言うと、衍はさらに腹を押さえて震えている。
「腹が痛むのか?伯安を呼ぼうか。」
「いえ。そういうわけでは。…それではお言葉に甘えてお先に休ませて頂きます。」
「菓子か包子を持っていけばどうだ。何も食べてないだろ。」
「殿下、私は甘党ではないので…包子を頂きますよ。」
衍は靖王に礼を取ると、ひょいと蒸し籠から包子を皿に載せ、退出していった。残された二人は首を傾げる。
「随分具合が悪そうでしたね。」
「あいつはすぐ無理をするからなあ。まあ、食え。」
靖王は肉包※を取ると慧を促す。
衍に無理させているのは自分なので、少々心が痛む。
徐々に衍の仕事を慧に割り振ってはいるが、それでも彼の負担は重い。
「あんな演技をさせられたのですから菓子を割り増していただきませんと、と思っていたところでした。」
慧も肉包を皿に取る。
「あれか。なかなか見事な演技だった。あれだけ別人なら皆だまされるのがわかる。俺とて危うく釣り込まれるところだったやもしれん。」
靖王は思い出し、つい声をたてて笑ってしまう。
あの、衍の顔。
「衍が化け猫に出会った…みたいな顔してたのが一番面白かったな。」
慧は憮然とした顔を隠そうともせず応えた。
「…間諜には最高の褒め言葉ですね。光栄です。」
慧は靖王と同じ卓子で食事することにようやく抵抗がなくなったようだ。
靖王はいちいち給仕の世話をやかれなくても問題ない。その方が効率的に時間を使えるから、と側近たちには皆そうさせている。父が母の宮殿に来て食事をとるときも家族揃って卓子を囲んだものだ。要するに私的な食事は、誰かと摂りたいだけなのだ。
寒い夜だからと、温かいもの、色々な味のものを、と衍はいつもより品数多く用意させていたようだ。
帰りが遅くなったので、夜食も兼ねてのつもりだろう。
小さめに作られた様々な餡の包子が、蒸し籠に入って、湯気を上げている。
肉餡、野菜餡、椎茸と筍餡に、棗と蜜漬け梨の餡、黒胡麻餡。
二人はもくもくと包子を平らげていく。
今日は一際冷える夜だが、湯気の上がる包子で身体の芯から温まった。
※肉包
肉まんのこと。




