《五》失ったものが痛む 後
各自荷物を整理し終えて、英王の宮殿の客廳に行くと、靖王に揃えて貰ったものが届いていた。
「義手はともかく、何に使うのかわからないものばかりですね。」
英王妃、掩月は大きな行李を覗き込み、にっこり笑った。
良くならなかったら、と思うと掩月の笑顔がちょっと辛い。
「ええ、試してみる価値は大いにあると思います。」
靖王は迷いなくそう言った。
大きな卓子のある部屋で試してみることになった。
何が届いたか当の英王には内密にしてもらっている。
「では殿下をお呼びして参ります。」
靖王は伯安からあらかじめ説明を受け、掩月と英王への説明を担っている。
間もなく入室してきた英王は前回も付き従っていた衍によく似た美貌の若い侍従――彼の次兄に支えられるようにして現れた。
その表情は前回と打って変わって憔悴の色が濃かった。
「兄上…。本調子でないところに大勢でお邪魔し申し訳ございません。」
「いや、よく来てくれた。…気も紛れよう。ゆっくりここの湯を楽しんでいってくれ。」
英王は椅子に腰を下ろすと口の端に笑みを浮かべたが、微かに眉根が寄っている。
今この瞬間にも痛むのかもしれない。
「左腕が痛むのですね。」
「そうなんだ。先日も話したが本当に奇妙なことに、左腕の、もう無い部分が『ある』、と感じるのだよ。存在は見えないのに、今曲げている、まっすぐに伸ばしている、ありえない長さに伸びる、痛い、などと感じるのだ。」
英王はお手上げだというように首を振る。
「田太医と義姉上に伺いましたが、痛み止めを強いものに変えても効果がなかったそうですね。」
「正直参っているのだよ。」
英王は肘をついてため息をつく。
そういうくつろいだ時の仕草は靖王とよく似ている。
「おいたわしいことです。…計都が西方の訓練法を知っていたので試してみられませんか。張太医と姜䪭に文献を確認させています。絶対に治るとは保証いたしかねますが…。その方法で症状が軽くなった者もいると計都は言っています。」
「試してみたい。」
「承知しました。ここへお座りください。…伯安。」
靖王は英王を卓子の前の椅子に座るよう促し、伯安に視線を送る。
英王の侍医は傍らで介助をし、伯安は英王の残肢を確認する。
「田太医によると残肢の切断面には昨日まで異常は見られていないとのことでしたね。…ええ、今日も目視では問題なさそうですね。」
田太医も英王も頷く。
「目隠しをお許しください。…再確認ですが痛むのは残肢ではなく、失われた部分ですね?」
伯安は英王に目隠しをさせると彼の顔を覗き込む。
「ああ。」
「義手はいつ使用されていますか?」
「日中に。夜、自室に戻ると外すことが多い。」
「左様ですか。…近頃西の地ではその症状を『幻肢痛』と呼ぶようになりました。身体の何処かを欠いた者に高い割合で発生するものとされており、不思議なことに先天的に欠損がある者にも起こり得ます。」
「幻肢痛…。」
昔から傷病兵の間でそれを言うものはいた。悪いものに取り憑かれているとされて治療と称し祈祷などをしていたのだが効き目があったという話はあまり聞かない。
「まず、鎮痛剤が効かない、これは無い部分には効きようが無いからです。簡単に言えば外科的な問題と言うより頭では腕がまだある、と認識し続けてしまうため、と言われているのです。」
「そんな…。」
掩月は表情を曇らせる。
「殿下の頭の中で起きていることなの?」
「…無礼な言い方で申し訳ございません。鎮痛剤の量を増やすことは意味がなく、非常に危険な事ですので直ちにおやめください。」
伯安はきっぱり言った。
姜䪭に替わる。
慧たちは道具を取り出し並べていく。
「今から、英王殿下のお頭の中を騙していきます。私の言った通りのことを復唱し思い浮かべていただけますか?嘘だ、莫迦莫迦しいとお思いになってもお怒りにならないでください。」
「わかった。」
「では、右腕を卓の上に置き、目隠しを取っていただけますか?」
英王は目の前の光景を驚いたように見つめた。
両腕ともあるように見える、それは身体の中心に垂直に立てて置いた鏡のおかげだった。
「『左腕と右腕が見えます。』」
「『両腕は卓子の上に乗せています。』」
繰り返したあと、姜䪭は続ける。
「両手を動かしている想像をして、手を色々な形や向きに動かしてみてください。だいたい長くて四半刻を目安に。」
様々な動きを十分にさせると、英王の表情は少し和らいだ様に見えた。
「では終わりましょうか。腕を卓子から下ろしてください。」
目を閉じて大きなため息を英王がつき、掩月が労わるように覗き込む。
「兄上。お疲れ様でした。急に効果が出るものではないと彼らは申しておりますが、ご気分は如何ですか。」
靖王は伯安、姜䪭、そして計都を見やって言った。
「これで終わりなのか?」
英王は少し不思議そうな顔をして、左手の残肢のあたりを見た。
「楽になった気はする。」
「それで良いのだそうですよ。…しばらく続けてみませんか。必要なら計都を寄越しますが。」
(国子監はどうするんだよ。)
「お前たちは勉学が忙しいだろう。そう無理は言わぬ。休日だけ、たまに来てくれれば嬉しいが。」
「承知しました。」
慧は殿下、と耳打ちする。
靖王はああ、と言って英王と掩月に振り向く。
「もし痛む時は夜間でも一旦義手をしてみるのが宜しいかと。健肢…無事な方の右腕と義手両方に手袋をし、袖を被せてしばらく過ごしてみてください。
医師の彼らが言うには、腕があると頭や心に誤認させる事が症状を和らげる助けになるそうなのです。」
靖王は箱から義手を取り出す。
「この義手は兄上の以前お使いの義手を参考に新しく作らせたものです。」
前回訪問した時に掩月から古い義手を借り受けていた。
「義手は夜間は重いからと外す方が多いそうですが、この義手は軽く作ってあり、付け心地も良いと思います。職人を連れて来ておりますのでお望みなら調整させますが如何ですか。」
「頼む。」
靖王は衍に目配せし、程なく職人らしき男がやって来て平伏する。
「よい、面をあげよ。調整を頼む。」
貴人に直々に言葉を賜り、職人は手が震えるほど緊張していた。
しかしさすが本職で、作業を始めてからは見事な手際を見せた。
「お試しくださいますか。」
慧に言ってくるので頷くと、
衍によく似た美貌の青年が受け取り装着を手伝う。
「軽くて大変結構だ。今までのものとは雲泥の差だな。」
英王は快活に破顔し職人を振り返る。
「そなたは店を構えているのか?」
「はい、西市の近くに店がございます。薛様のご紹介で参りました。」
「これから世話になりたい。宜しく頼む。」
――――――
晩餐の後。
「英王殿下は随分驚かれてたね。」
思遠が可笑しそうに姜䪭に話しかけている。
英王は晩餐の席で靖王の後ろに控えているのが慧だと知らされるまで、ずっと気づいていなかったのである。
前回会ったときは男装だったからであるが、靖王の一種雑な気質は英王に似たらしい。
「そりゃあ殿方の格好をしていれば、男だと、そう思うものよ。靖王府の侍衛や女官はよく混乱しないわね。」
「それぞれ職務に必要な姿をしているだけだから。それに今は王妃や側妃がいらっしゃらないから。寝殿への出入りもそこまで厳格じゃないのさ。」
「殿下がそのうちお妃を娶られたら変わってくると思うけど。」
その言葉には他人事の響きがあったので慧はつい聞き返す。
「え?靖王殿下のお妃候補って韶音さまでしょう?」
靖王と姜䪭は顔を見合わせる。
「違う。」
「違うわね。」
声が揃った。
「韶音、説明してやれ。」
「私達は幼馴染で、殿下が冠礼をなさった直後に縁談が出たこともあるわ。だけど殿下と二人で即、破談にしてるわよ。」
親王と名族の一つ南国公家の娘との婚姻となれば、それは政略結婚が普通である。
親同士の取り決めだろうになかなかにぶっ飛んでいる。
「はあ。そうでしたか。」
なるほどと慧は一応納得した。
顛末を野次馬根性で聞いてみたい気がちらりとしたがやめておこう。
「計都こそ、殿下の想い人なのではなくて?」
「なんでそれがそうなるのです。」
何を言っているのかと慧は笑いそうになるが、それも不敬かと我慢する。
自分などに想いを寄せる者がいるわけがない。
ましてや相手は皇子である。
ありえない。
「だって、殿下は陛下の特旨まで出していただいて、侍衛として側においているじゃない。」
「なんでそれがそうなる。」
これは靖王。
慧と全く同じ聞き方になっている。
「…お前らは恋愛脳なのか?」
靖王は鼻で笑う。
そう言えば、と思遠は二人に笑いかける。
「計都…いや慧児は寝殿の翼棟に入ったんだよな。」
姜䪭の目がすっと細くなる。
「ほら。殿下のご指示でしょう。」
「そうだけどさ、」
「そうでしょう。」
思遠の話を姜䪭は遮る。
「いやー、やっぱり女が侍衛詰所ってわけにもいかないな、って殿下が仰ってさ。」
「ほら。やっぱりじゃない。」
思遠はそこで言わなくてもいい情報を何気なく投下する。
「だから、子容の部屋に計都が住んでる。」
「はあ!」
姜䪭は頭を抱えた。
「思遠。言い方…。」
靖王は苦笑して口を挟み、衍は額を押さえている。
「え、言っちゃだめでした?」
「え?どういう事?同居?」
姜䪭は目を丸くし素っ頓狂な声を上げる。
「いや、子容はさ、侍衛詰所に部屋を移ったんだぜ。元の部屋を計都が使ってる。」
「あら、そう――なんですって!!」
姜䪭はかっと目を見開く。目が完全に据わっている。
取り乱しのツボがよくわからなくて慧は首を傾げた。
「ずるいずるい。私だって子容の部屋に住みたいのに。」
そっちかよ、と慧は腑に落ちた。
「えー、じゃあ…今度遊びに来ます?昼間だったらたぶんいいと思いますよ。」
「行くわ!」
ーーーーー
海棠湯の湯殿の中は温められ、湯船には花びらが浮かべられていてよい香りを漂わせている。
温室の冬薔薇のものだろうか。
「まあ、素敵ねえ。」
「ええ。」
慧はこんな風呂に入ったことがない。
軍営でも後方だったら女性用の湯屋が用意されることもあるが、前線の男所帯にいるときは人目を盗んで川で水浴びするか、国子監算学の寮のように個室が与えられていれば盥で行水だ。もっとも最前線であれば湯浴みなどする余裕はない。何日も汚れたままでいることも普通だ。
妓楼の湯殿はほとんど入ったことがないがもっと簡素だし、妓楼の寮でも部屋の横にある小さな湯屋に据えた湯船で湯あみしていた。
衣を脱衣所で湯着に換え、海棠の形の浴槽のある浴室に入る。
姜䪭は籠にたくさん何やら入れて持ってきている。
「この石鹸を使うのよ。髪はこれ、顔はこれを使って。」
妓楼だったり、おそらく後宮でも、こういう勧めにも注意せねばならないが姜䪭は全くの善意なのだろう。
慧に嫉妬する理由もない。強いて言えば衍の部屋の件ぐらいか。
「いい香りでしょう?香りだけじゃなくて特別な処方なの。私が作って、姜家の薬種問屋から新しく化粧品と洗浄剤の専門の部門を独立させたの。結構繁盛しているのよ。」
慧は姜䪭の才覚に感心する。
石鹸は豊かに泡立って身体にのせるとさっぱりとでもしっとり洗い上がる。
「これ、薄く切って携帯用にしてもいいかも。」
「いいわね!その提案いただきだわ。」
「翻訳の報酬の一部にこの石鹸をぜひ。」
姜䪭は頷いた。
「さあ次は背中と胸元を手入れするわよ。」
「いえ、私はいいです…。」
嫌な予感がしたので慧は固辞する。
「さあ、そこにうつ伏せになるのよ。これで按摩して肌をつるつるにするのよ。」
「いえ、本当に。」
口ごもっていると有無を言わせず石の台に押し上げられる。
医者の卵だけあって普段から患者を取り押さえたりするのか意外にも見事な手際だ。
抵抗して怪我されても困る。
対処を迷ううちに、姜䪭は慧の湯着を背中から腰まで下げようとし、驚いたように手を止めた。
はっと息を呑む気配がした。
見られたか。
「…ごめんなさい。」
「いいえ。…他言は無用に願います。」
「ええ…。」
姜䪭はこちらがびっくりするほど、こわばった表情のまま目に涙をためて萎れている。
叱られた子供のようだ。
慧はふっと笑うと彼女を呼ぶ。
「韶音さま。」
驚いたように姜䪭は顔を上げる。
「知られたからにはしょうがないので按摩をよろしくお願いします。」
「…いいの?」
「ちゃんとつるつるにしてくださいよ。」
姜䪭は、鼻を赤くさせて笑った。
交互に美肌と美髪を目指して?按摩をし、最後にゆったりと湯船に浸かる。海棠の形の白玉石の湯船は肌に優しく、とろとろと眠ってしまいそうな心地よさだ。
秘密を知られてしまったが、慧は不思議と満ち足りた気分で湯を楽しんだ。
「ねえ、今夜は隣で寝ていい?」
「いいですよ。」
彼女の遠慮のなさ、屈託のなさは自分にとって却って好ましい。
色々と打ち解けて話ができる夜になるだろう。




