《二十二》計都という侍衛
そして、元宵節後のある日。
侍衛にと命令された後に、話は戻る。
自分は何に巻き込まれているのだろうか。
全く腑に落ちないまま、手合わせをした。
いつもの三本勝負のうち、一本引き分け、靖王に二本取られた。
そのあとまた茶によばれる。
今日は一段と冷えるので、と客廳らしき部屋に案内された。
部屋は暖められており、いつものように菓子や包子が並べられる。これまでならともかく、今、菓子をもりもり食らう気力はない。
だが、それは、まだ平和だ、ということ。危なくなったら食べないことには戦えない。
「なんだ。食べないのか?」
「あいにく、あまり食欲がありません。」
靖王はじっと慧を見た後、ふうん?と不思議そうに覗き込んでいる。
「…何ですか。」
うっかり間合いを詰められたのでじろりと見上げる。
「また無い刀の柄に手がいっているぞ。」
「…。」
靖王は慧の懐を指差し、にっこり笑うと椅子に掛けなおした。
茶杯を持ち上げながら靖王はちょっと考えるようにした。
「後宮にいるような女達とずいぶん違うよな。」
「…辺境の、砂と血にまみれた猿と後宮の花を一緒にしたら、妃嬪や女官を全員敵に回してしまいますよ。」
「でも女官に化けろと言われたらそれなりに化けられるだろう?」
「どうでしょうか。」
侍衛の次は後宮女官か。
命令されれば仕方がないが、後宮は妓楼に似て厄介そうだ、と思う。
慧はずっと男社会で生きてきたから、女社会の不文律が分からない。
どっちの社会にとっても自分は異物だという感覚がある。
靖王にとってはそれが便利なのだろう。
「見た目や振る舞いはそれらしくできると思いますよ。それとうまくやれるかは別問題ですね。できなきゃ危うくなるのは自分なので何とかしますが。」
「よろしく頼む。」
靖王は慧の前の取り皿に、菓子を二つ三つ取って載せた。
食えということらしい。
強制餌付けか。
「はあ。」
梨と干し葡萄ののった黒糖蒸糕※、柑橘蜜餞※。
(なんで食べそうなものがわかるんだ。)
靖王がじっと見てくるので仕方なく梨を取って口に入れる。
つい最近もいだのかと思うぐらい瑞々しい。
晩秋に収穫され丁寧に貯蔵されていた品だろう。
「…ああ、寮の部屋をこちらの棟へ移るように。衍に手配させている。王府にも部屋を用意した。」
これからは十二時辰、授業と湯浴み厠以外ずっとべったりということか。
思遠の立場をある意味高みの見物でいたのに。
慧はげんなりした顔になりかけ慌てて戻す。
「…。承知いたしました。では私は一旦失礼しても宜しいでしょうか?」
「ああ、ちょっと待て。お前、字はないのか?東市で会った時のは使わないのか。」
女子に字のある者は少ないが、成年後まもなく婚姻し家庭に入るものが多いから、伝わってこないのだろう。
「ああ。靖王殿下の侍衛としてふさわしいとは思えません。」
「うん?」
靖王は意味を取りかねたようだった。
「どう聞いても女名ですし…。」
慧は靖王から視線を外し、窓の外を見る。
春であればとりどりの花が咲くだろう庭園は冬枯れて終わりかけの梅と少しの椿が咲いているだけ。
枯れて寂しいほうが落ち着くなんて。
「あれは『花』の名です。」
書寓とは高嶺の花だなんだと言われようと、結局売るものの行き着くところは『春』なのだろうと人々は考える。
彼女たちを蔑むつもりはない。数少ないが妓女の友人もいる。それでも、そういった意味で蔑まれる側に回ることは慧にとってほとんど恐怖だった。
そんなことを影で思う自分は薄情で嫌な奴だと思う。
「あまり使いたくありません。」
靖王は慧の頑なな表情に驚いたのか、頷くにとどめたらしい。
「…ふうん。まあそうか。」
わかったのかわかってないのか不明だが、意思は伝わったとみる。
夜珠、と好きな詩から取ったが、夜と入るといかにも妓女らしい感じもある。
そのことは靖王も思遠以外の側近には伏せているようだった。
「強いて言えば、家族には慧児と呼ばれていますが。」
「それは小字※でほぼ名と同じじゃないか。」
「まあ…確かに。」
親しくもないのに小字呼びは嫌である。
阿拙と呼ばれていることは知られたくない。
一応事情は話しておくことにした。
「女子は十五で婚約し、笄礼を済ませて、字を名乗る、といいますが、私はそれをまだ行っていないので。ちなみに男子がする冠礼も行っていません。ですので字はありません。」
「…それはそうか。」
靖王は勝手に解釈したようだった。
成人し婚約している女は国子監になど潜り込まない。
色々詮索されて詳しくこの場で聞かれるのは御免こうむりたい。
そもそも実家が自分をどう扱いたいのかはっきりしない。
親元にいなかったこともあり、そのままになっている。誰かに嫁ぐ気もさらさらないから、受笄出来ない状況は慧にはありがたかった。
女性の服装をする時は勝手に笄を使えばいいのだし。
「はい、ですので。」
「家から出ない者ならそれでもいいだろうが、不便だろう。何かつけろ。」
「そう仰いましても…。別に名をお呼びになればと思いますが。」
なぜかわからないが、靖王は衍のみを名で、思遠など他の者は字で呼んでいる。
「主に不便だと言われて勝手につけられた、とでも周りに説明しておけばいいだろう。」
なるほどその手があるか。
必要だというのなら。
「…。では、殿下が何か考えてください。」
柄にもなく期待してしまう。
靖王が自分に何と付けるのか興味が勝った。
靖王はそれに気づいて、まじまじと慧の視線を見つめ返す。
その後すぐにしまった、と喉に何か詰まったような顔をした。
ややあって、靖王は口を開く。
「『計都』、と呼ばれてたな。」
それは、慧が武徳司で使う暗号名だ。
「計都、ですか。」
慧はしばしぽかんとした。どこで知ったのか?心当たりはなくもないが覚えていたのだろうか。
密かに思遠に目線を送ってみたが、彼は小さく首を振り否定した。
「九曜神の?凶兆を司る神ですね。」
「魔除けだ。お前の家が属する、風家は最も古く、神に連なっていると言われているだろう。」
『風』はこの国の始まりの男神女神を祖と称する一族である。
「私は傍流も傍流で姓も違いますので…。」
何しろそれは遠い遠い昔のことなので本当のところは誰にもわからない。
風家は建国の功臣、名族四国公家の一つだが、神の末裔などとは言っても本当のところは誰にも分からない。勝手に名乗っている節すらある、と、慧は思っている。
「お前、瀚黎の戦の時、いただろう。崖から騎馬で駆け下りてきて兄上を助けた。」
「…。」
それは口にすることを禁じられてきた事柄だ。
思遠に目線を投げると、今度は彼は頷く。
「あの時、お前はそう呼ばれていた。お前にぴったりだと思うのだが。そのまま使ったらどうだ?」
ああなるほど。
その名は確かに呼ばれ慣れている。
最も愛着があると言える。
「殿下と思遠さまがよろしければ。」
そうかと言って靖王は微笑んだ。
それを暗号名でなく表で名乗るということの意味は承知の上のはず。
「では今後男の格好をするときはそう名乗るのだな。」
武徳司の暗号名は、入司の順に宿曜や六十干支、二十四節季七十二候などから割り当てられるだけで、本来そこに何ひとつ意味はない。
『計都』に意味を与え、大人として扱ってくれよう、というのは嬉しかった。
『計都』は彗星や流星の姿で語られることもある凶星の神。
日月を両手にささげ、憤怒の形相で青龍を駆り、男女いずれとも伝えられている。
自分をあらわすのに、それほどしっくりくるものもないと思ってはいた。
自分は明るい色の髪と瞳を持っている。昔なら凶をもたらすとされた風貌だ。
西との混血が進んだ今でも、自分の生い立ちにこの容姿は大いに関係している。もちろん、靖王は差別するつもりなど無く、自分より明るい色彩を持つ思遠は彼に重用されている。
靖王自身、瞳の色は暗い琥珀色だ。
生まれたのがもっと古い時代で、瞳の色がもう少し明るければ、皇子といえど災いを招く存在とされ赤子のうちに消されていたかもしれない。
それをこんな風に皮肉り、凶星を招き入れて平然とするなんて、面白いじゃないか、と思った。
「計都。」
「はい。字でお呼びになるのですか。」
「構わないだろう?」
「私は構いませんが…。」
確かに衍以外の他の侍衛たちも普段は字で呼ばれている。
靖王が良いのであれば、自分もとりあえずそれでいいかと納得するしかない。
下々と同列でありたいとは変わったお人だ。
「一つお願いがありました。侍衛としてお側にいる時は、武徳司の耳環をつけていていいでしょうか。」
「耳環?」
ええ、と慧は頷き説明をする。
大抵の者は玉佩に仕立てているが慧は耳環にしている。所属と所属番号、武徳司の紋の入ったもので死体が回収できない場合、仲間が持ち帰ることもある。
「武徳司とお前がいいなら構わないが、異民族の風習だなんだと面倒に巻き込まれないか?」
この国の男は耳に穴を空けていない。
幼少期から、君子にとって身体を傷つけることは父母への不孝、と教え込まれている。
「ええ、この風貌では異民族だとか、西の間諜だとか言われます。特に戦場へ赴く場合にはとっさに敵と誤認されがちですから、亮の暗衛であり殿下の侍衛であることを証明するためお許し下さい。」
靖王はまず思遠を見やって彼が頷くのを確認し、なあ、と慧の顔を覗き込む。
「俺は次兄を助けてくれたお前に報いたい。それぐらいなら好きにしろ。」
そんな殊勝なことを言われても、怖いのだが。
「…恩に感じられる必要はございません。任務上当然のことです。」
「聞きたいんだが、計都。お前は何故国子監に?」
「一人で生きていく道筋を自分で掴みたいからです。」
「…なるほど。一人で生きていく、か。」
靖王はなぜかホッとしているらしかった。
一仕事させようとしているのに急に嫁ぐから、と言われても使う側としては困るだろう。
このご時世、妻を自由に外で仕事させる夫は希少だ。
思遠は苦虫を噛み潰したような渋い顔をしているが、もしや夫人は外に出さない派か。
「まず考試を受けるところから、ほうぼうから邪魔が入りまして。」
じろりと思遠を睨む。
「それはそうだろう。女と知っていて止めないということはない。露見すれば危ない道をわざわざ勧めるものはいない。」
「わかっています。.…東市に殿下をお連れになったあの方に、つい、後見人がいないと愚痴を漏らしたところ、手を回してくださいまして。あの方と風家の縁戚の地方官の推薦を頂いたので幸運にも叶ったことなのです。」
「そうか。」
「あの方ももしや?」
あの方とは三郎の事だ。
「俺からは素性について何も言えぬ。そのうち会うこともあるだろう。」
慧は頷く。
「では『三郎』は、お前が女だと知っていたわけだ。」
「う…。」
答えに窮する。
「三郎さまには何もお伝えしていません。」
書寓の姿をしているときに、国子監に入りたいと言っただけだが露見したら確実に三郎の立場は悪くなる。
よく引き受けてくれたものだ。
「まあ、いい。もし何かあっても『三郎』には咎が振りかからないようにする。」
「…お願いします。」
「お前もなかなかに難儀な道を選んだことだな。」
「…そうですか?…そうですね。考試で問題に出される経典にも色々ありますが、詩経の小雅・斯乾※とか特に女に対してヒドくないですか。」
靖王は肩を揺すって笑う。
斯乾、か、と少し思い出すようにする。
「…男が生まれたら寝台に、女が生まれたら大地に寝かせる、というアレか。解釈は色々…いやないか。アレはなあ。まあだいたい詩経はそんな感じだな。」
靖王は思遠をちらっと見る。
思遠はうちの奴がすみません、と申し訳ないような苦いような、色々感情が入り混じっているであろう顔をしていた。
「男に生まれたら手放しで価値がある、そういうものを少しでも覆せたら痛快なんですが。」
慧は靖王の目を挑むようにじっと見る。
「哲夫成城、哲婦傾城※(賢き男は城を成し、賢き女は城を傾く)というのもあるが?」
靖王は目を細めて問う。
「はい。戒めとします。」
慧はそこは素直に応えた。
「どうせなら賢き女は城を成し、を目指したいところですね。」
「うん。」
「…とにかくそういうわけで。婦の道に悖るとか色々言われるんでしょうけど、そもそもそんな道を歩いている気もありません。」
ふんと鼻息荒く宣言すると靖王は堪えきれなかったらしく吹き出した。
「そうか。亮はもともとは女が表で活躍することもよしとしていたのに、皆古い書物の読み過ぎで感化されてしまったかもな。」
「別にそれを批判したいわけじゃありません。私はそうするってだけですよ。」
思遠だけはその渋いような苦いような顔を変えなかった。
「うん、面白い。ただ他所で大きい声で言うなよ。…まあ、無事入監できてよかったな。」
「露見したら死罪かもしれないのでその時は殿下のお取りなしを。」
靖王は少しの間黙っていた。
「…俺は、いくつかの仕事に、お前が最適任だと思って、思遠に頼んだ。」
「はい。」
「父上の治世の間は、任官に際しても多少は助けになれるだろう。ただお前が思うより茨の道だぞ。現状、そういう制度になっていない。裏をかいて乗り切ったところで袋小路だからな。落としどころを考えておくべきだ。…学ぶ女は珍しくないが国子監で学ぶ女は前例がない。――前例のないことは誰かがやるしかないが、この上なく危険な道だ。気をつけろ。」
「殿下が私を拾われたのですから殿下が落とし所も含めてお考えください。」
「…。」
ただでは起きないな、お前、と苦笑する靖王に、慧は跪いて丁寧に拱手する。
こうして慧は靖王の侍衛となった。
《第一章 完結》
次章からは週一回程度、ストックができれば週二回の更新を予定しています。
応援よろしくお願いします。
※干し葡萄ののった黒糖蒸糕
マーラーカオ的なもの
※柑橘蜜餞
オレンジピール
※小字…幼名
※詩経 小雅・斯乾
乃生男子 載寢之床 載衣之裳 載弄之璋
其泣喤喤 朱芾斯皇 室家君王
乃生女子 載寢之地 載衣之裼 載弄之瓦
無非無儀 唯酒食是議 無父母詒罹
男子が生まれれば、寝かせるは床の上。着せるは下衣、持たせるは圭璋(玉)。その泣き声はホウホウと響き、朱の蔽膝は輝かしく、一家の主あるいは君王となる。
女子が生まれれば、寝かせるは地の上。くるむは襁褓、持たせるは紡錘の瓦。過ちなく慎み深く、酒と食事のことをのみ考え、父母に憂いを遺すことなかれ。
『百度百科』
※詩経 大雅・瞻卬
哲夫成城、哲婦傾城
賢き男は城を成し、賢き女は城を傾く
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