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砂海の遺珠  作者: 秦 奈良鹿


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2/8

《一》邂逅 後

 父に命じられここへ来た。

 才気に溢れ、強い兄。そしてまだ幼く戦場に慣れない自分。馬を先へ駆る兄に必死についていくので精一杯で、支えるなどおこがましいのは分かっている。


 (ユイ)は嫌がる馬をなだめ浅瀬の(きわ)を走らせ―――

 そこに低い爆発音が遠雷のように地面を揺るがして広がり、跳ねる砂礫(されき)の音も混ざった。

 自分に向けられたものかと思った瞬間。

 ついで耳をつんざく鋭い破裂音、まるで空気を裂いて柔らかいものに突き刺さったように響く。

 幼い自分でも本能で察することができる。

 こちらが本命だ、と。


「――火炮か?」


 いや。


「…銃声?」


 どこから。


 一回目は自分の近くに。

 二回目は自分をとっさに庇おうとした兄を。


 眼前を蝕むように散らばっていく鮮やかな、赤。大量の血、火薬の匂い、馬の悲痛な(いなな)き。


 それらが一気に膨れ上がり、五感の全てを掻き乱されるような戦場の中、兄の背が大きく揺らぐのがわかった。


「…っ!…兄上っ!!」


 のばした手が宙を掻く。自分の叫び声で、瑜は目覚めた。


 流れるほどのベタつく汗、身体は強張(こわば)り、心臓がどくどくと波打っている。彷徨(さまよ)わせた視線が見慣れた自室の壁を認めた。眉根を寄せて目を閉じ、大きく息をつく。


(夢か…。)


 あれからもう四年ほど経つが、悪い夢はいつまでたっても現実味を失ってはくれない。


 十四歳の初陣だった。


 幼くはあったが、体格はそれなりに成長していたし、腕にも密かに自信はあった。


 異民族の国、瀚黎(かんれい)国の軍勢が、北から回り込んで亮国との国境を侵し、領土を掠め取ろうと戦を仕掛けてきた。彼らとの小競り合いは、今に始まったことではない。今回、初動が遅かったものの地方に置かれている軍はよく防いだ。だが、いつまでも保つものでもない。


 討伐の為、出陣する禁軍の、将軍をつとめる次兄について従軍した。敵を金河の右岸からは追い出し、最早、勝利は目前だったので、あの日、あまり軍全体に緊張感がなかったのかもしれない。加えて兄はいつも前線に近い場に在ろうとしていた。あの時ももちろんそうだった。

 狭い谷へ敵を追い詰めたと思った矢先。


 段丘に潜んだ伏兵に将である兄が銃で襲撃され、禁軍は総崩れしかけた。たった二発にも関わらず。

 遅れてきた援軍がほどなく伏兵を制圧し、瀚黎軍は金河を南西へ、そして自国内へとそのまま逃走した。

 戦そのものは勝ってもいないが負けてもいない。だが窮地に陥った瑜をかばった兄は、そのために隻腕となった。


 次兄にとって余りにも間が悪いことに当時従軍していた腕のいい医官はその朝倒れていたのだ。医薬品の物資も焼かれたりなどで潤沢とは言えない状態となってしまっていた。悪いことは重なるとは言うが、仮にも禁軍がこうした事態に備えられていない、というのは嘆かわしいことである。

 だが瑜には異常さも強く感じられた。まるで偶然が重なったかのような、ざらりとした肌触りの悪さがあった。


 弾丸が貫通せず兄の体内に留まったことも状況を悪くした。応急処置は治療に不慣れなものたちのみで行われ、後方の陣に運ばれ侍医が到着した頃には鉛毒(鉛中毒)そして疽毒內陷(敗血症)を発症しかけ、生命は取り留めたものの腕をなくすこととなった。


 そして次兄は今、左腕を失った身体で、離宮に伏している。


 汗で張り付いた髪を払うと、控えの間の者を起こさないよう慎重に床に降りる。大窓を開け、露台(バルコニー)に出てやっとひと息をついた。瑜は一昨年からこの広い部屋を使っている。


 まだ夜は深く、辺りは靄でひんやりとしている。少し風があり、結っていない髪を揺らした。白絹の夜着一枚では肌寒いが汗ばんだ状態ではちょうど良かった。南に市街の灯り、都の東の丘、次兄の離宮の辺りに灯りが揺れている。汗がゆっくり冷えるのを感じながら、もう一度夢を手繰っていた。


 はじめは火矢かと思った。刀を掲げて芦毛の馬を駆り、真っ直ぐこちらに向かってくる者。顔を覆うように兜をつけている。鎧の上に片肩脱ぎにした胡服を着ているが、遠目に見てもその体格は自分と変わらない年格好の子供だった。

 茜色の夕焼けを横から受け炯々(けいけい)と光る瞳。鎧から溢れた髪なのか馬のたてがみなのか、その明るい色彩が真っ直ぐ射るような軌道を描いて迫る。火矢を思わせるその姿が強烈に目に焼き付いた。

 自分のことは棚に上げて、無茶をする、と驚いたこと、刀を振るう姿がまるで舞の様だ、と思ったことを鮮明に覚えている。


 人の気配を感じて振り向くと腹心の侍衛、己衍(ジー・イエン)が露台の入り口に控えていた。


(イェン)。」

「眠れませんか。」


 どうぞ、と薄い上着が着せかけられる。


「兄上が隻腕となられた戦の夢を見た。」

「…悪い夢ですね。」

伯奇(はくき)※が食べてくれないだろうか。」


 横顔を傾けて、ふふ、と薄く笑う衍は長いまつ毛を伏せた。


「”伯奇食夢《伯奇は夢を食え》”ですか。もうすぐ大儺(だいな)(はら)えの儀ですね。…ついでに私の悪夢も食べさせたいくらいです。」

「…そうだよな。」


 ちょうど十年前の大儺の儀の頃の事だ。

 衍の一族、己家は元は西に封じられていて、大理寺や刑部、御史台などに官吏を輩出している。

 その己家が不正で訴追され、無実を訴えつつ絶えた。

 その年、瑜は生母、賢妃を亡くしていた。

 だから悪いことを全て祓いたくて一緒に行列を見ようと衍たちと約束した。

 だがその事件の為に、その年の大儺の儀は見られなかったのだ。

 鬼や悪疫を祓うため子供たちが歌う中に、”伯奇は夢を食え”、という一節がある。

 子供たちの年は(とお)から十二歳、衍はその時ちょうど十でまだ加冠(成人)していなかった。


 彼と衍の次兄はかろうじて生き残り、その後は次兄と瑜の側にいる。


 生き残ったことが幸せか、と言えばそう単純な事ではないのだろう。本来は元罪人だが、複雑な事情により今も瑜に仕えている。


 西の方角を遠く望むと、記憶が次々に蘇ってくる。衍は静かに脇に控え、同じ方角を見ている。

 瑜の意識はまた過去に沈んでいく。


 銃撃があった。さらに攻撃してきそうな伏兵は始末したいところだが、兄と一旦後退するよりない。援軍に任せ、早く、早く止血しなければ。

 援軍は遅れており、今はまだ、敵に囲まれている。両側は崖で上から狙われれば危ない。援軍がつくまで持ちこたえなければならぬ。


 その時、その崖から新たな一団が飛び込んできた。

 黒い鎧の武者ども、そして彼らが駆る騎馬達。万事休すかと覚悟したが、流れる風景の中で確認した旗は金の縁取り青の文字――――


 父から聞いていた皇帝直属の諜報武衛機関、武徳司所属の者からなる騎馬隊、待っていた援軍だ。

 (いぶ)した黒い鋼片を青い紐で綴った鎧、揃いの首巾を着けた別動隊だった。彼らは禁軍とは全く別の集団である。


 その先頭の騎兵――よく見れば子供。芦毛の乗騎で突っ込むと敵を何騎も切り捨てながら、あっという間に兄の前までやってきた。

 夕陽で猛禽のそれのように金色に見える瞳が光っている。


「――遅参し申し訳ございません!…お怪我を?」


 兄は前脚を蹴り上げ棹立(さおだ)ちになった馬を(なだ)めているところだった。出血量から見て決して軽傷ではないにも関わらず。

 その子供はさっと見るや兄の怪我を知ると、駈けているにも関わらず兄の馬に軽々乗り移る。体重を感じさせない動きに目を奪われた。

 瑜自身も兵と切り結びながらだから、一瞬しか目にしていないはずである。

 それなのに。

 その瞬間だけがゆっくりと切り取られて見えた。我に返った時には、その子供は手早く自分の首巾で次兄の腕を止血し、その合間にも兵を突き倒している。


 鮮烈な戦いぶりを目の当たりにし、もし敵であればと思うと、ざあっと血の気が引くほどだった。


「あれは誰だったんだろうか。」


 兄の件や瑜自身の身辺が何かと慌ただしく、そのまま時が流れてしまった。今あの子供はどうしているのだろう。


 瑜は彼を探してみようと思い立つ。

※伯奇

十二神獣の一で夢を食べることで鬼や悪疫を祓うと言われている。

大儺の儀式で歌童が歌った歌の歌詞に伯奇食夢と言う一節がある。

『唐六典』『後漢書』に記載あり。


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