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砂海の遺珠  作者: 秦 奈良鹿
第一章

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19/29

《十八》ひと波乱の、そして穏やかな夜

 夜珠(イエジュ)がしていた仕事は、と季瑕(シーシア)は踏み込む。


「…いくら腕が立つといっても、危険じゃないのか?」


 妙なことを聞く。

 確かに先日の誘拐(おとり)事件などはそうとも言えるが。


「さあ。どうでしょう。元々実家がそういう務めの家ですから。私に諜報は向いていないのでそういう意味では危険ですね。」

「まあそうだな。嘘がつけなさすぎだ。」


 ははは、と乾いた笑いが出てくる。


「ですので、今までこういう仕事は振られなかったのですが、ちょうどこんなのしか適任がいなかったみたいで。遊ばせておくのも、と言うことです。こちらとしても事情があったので仕方ありません。個人のお客様は、情報を持ってくる方、受け取る方のみですから安全です。」

「夜珠はただ、中継地点の隠れ蓑というわけか?」

「…。」


 若干含みを感じて、思わず鋭く視線を投げてしまった。


「あ、いや。他意はないんだが。」


 他意はないが何でも知りたい性質らしい。

 そしてまだ男か女か確信できずにいるからこその質問だろう。


「仕事は夕刻までで夜の営業時間は妓楼にいなくていいと帰してくれますし、一応、まともな職場でした。私にとっては。」


 そう言っておく。


「そうか。」


 どんな仕事をしていると思っていたのやら。


「そういえば自前で落籍(らくせき)するという(てい)で、と言っていたがどういうことだ?」

「通常でしたら自分で身請金(みうけきん)を支払い、落籍祝の宴も自分持ちと言うことです。」

「じゃあ?」

「私の場合、身請金は必要ありません。もともと借金のカタに売られたわけではないですし、衣裳などの費用も明月楼持ちです。ここでの稼ぎの一部を給金の形で貰ってますが、夜珠がこれまで稼いだ花代はそれなりに妓楼に入ってるので、そこから宴の費用を出すと言ってましたね。」


 季瑕は顔をしかめる。


「それ、盛大に横取り(ピンハネ)されてないか。」

「そうですけど、私は自分の給金がこれまでどおりに加え多少色をつけてもらえて、確実にこちらの提示する条件が守られたら、別にどうでも。」


 銀子より大事なものはある。


「条件って何だ。」

「安全に関することです。」


 間諜のいう安全とは?と季瑕は少し考えているようだった。結局いまひとつ理解できていない顔をしている。


「…ちょっと浮世離れしすぎてないかと思うが君の言い分もわからんでもない。」


 何か微妙に勘違いされてそうな気もするがその方が都合がいい。流しておこう。


「まあ、私の話などどうでもいいのです。季瑕さまこそ、何故間諜の真似事などなさっているのでしょうか。」

「…。」

「毒見が必要、かつ貴重な玉珮(ぎょくはい)を持つようなご身分の方に相応(ふさわ)しくない気がしますが。」


 声を潜め、こちらも疑問をぶつけてみる。

 そこで。

 一瞬、季瑕が暗い琥珀色の目を(すが)めるようにしたので、ぞくりと肝を冷やした。

 冷たい殺気を含んだ、底の見えない湖のように暗く光る、そんな目だった。

 踏み込みすぎたかもしれない、仕事柄仕方ないとはいえ知り過ぎは身を滅ぼす。

 それを思い出させられるには十分だった。


「…いえ。」


 口をつぐむ慧に季瑕はにこりと柔和な笑みを返した。

 四郎ではない季瑕にはどうも調子が狂う。やはり気が良いだけの男ではない。


(余計なことは聞かないでおこう。別に教えてくれなくていいや。)


 ただの情報提供者と受け取る側、国子監では手合わせをするだけの、関係。

 詳しいことを知っても面倒なだけ。

 慧は自分にしては珍しく、他人にほんの少し興味を持ってしまったことを反省した。


 押し黙った慧を見て季瑕はふっと笑い声を漏らす。

 沈黙がやってきてちらりと見ると季瑕は盃を指先で転がしている。


「君は四郎が季瑕と知って少しも驚いていないが、いつから気づいていた?」

「…入監の儀の前日、監内でお見かけした時から。雰囲気は違いましたけど、すぐ分かりました。確信したのは暴動のときです。」

「そんな頃から?」


 季瑕はちょっと心外だったらしく声に素っ頓狂な響きが混じる。

 いや、あんまり隠そうともしてなかっただろう、と思う。


 持つ雰囲気や服装が違い、髪型も少し違うが、使っている香が同じ、そして忘れ物の玉佩が確信させてくれた。


愚鈍(ポンコツ)なりにも、です。一応、本職ですから。普通は気づきません。」


 なんとなく面白くなくていつもの四郎に対してするような言い方になる。


 慧の場合はもっとお粗末だ。正体が露見す(バレ)る事は場合によっては死を意味する。

 季瑕の指摘通りだ。細かい違和感に気づくことはできる。化けることも策を弄することもできる。ただうまく嘘をつくことはどうにも向いていない。

 そして目の前の男もまた、恐ろしい目をする割に嘘をつくのは上手くはなさそうだった。


「ああ、そういえば()()()()()お忘れ物を。このまま包んだままで。ここで出すと危ないですから。」

「ありがとう。」


 包みごと両手に載せて渡すと、布越しの手触りで確認できたらしい。


「欠いたりはしてなかったようですが、あとでしっかりご確認なさってください。…お忘れになったのが私のところで良かったですね。」


 季瑕(シーシア)は懐に手巾ごと玉佩を戻し、静かに微笑んだ。

 さっき瞳に浮かんだ不穏な色との落差に調子が狂う。


「手巾は手合わせの時にでも返せばいいか?」

「いつでもいいですよ。」


 そこに阿姨(おばさん)が湯気のもうもう上がる料理を持ってくる。

 先に護衛たちの方に持っていくよう言うと、しばらくして毒見の済んだ皿と椀が来た。


 水餃子のたっぷり入った碗がそれぞれ大小一椀ずつと青菜炒めなどなど。

 春雨の(スープ)小菜(おかず)は取り分け、水餃子の大きい椀は季瑕に、小さい椀は自分に。

 給仕は護衛にやってほしいところだがしかたがない。


「それしか食べないのか?」

「しくじったので食欲がありません。」


 慧があからさまに項垂(うなだ)れて言うのが可笑しかったのか鼻で笑われる。


「別に正体を知っても命まで取らないが。」

「いえ。本職(プロ)として恥入っている所ですので。」

「大胆かと思えば意外に神経が細いところもあるらしい。…まあ、食べよう。」


 季瑕は愉快そうに笑うと箸を手に取った。

 苦い表情の慧をよそに、季瑕は餃子を箸でつかみ、そっと息を吹きかけながら口に運んでいる。

 毒見の時間分、冷めているのにそうするのは、どうやら猫舌らしかった。やがて適温になったのか、大きく口を開けてどんどん平らげていく。

 身体、大きいものなあ、とぼんやり眺めていると目が合った。季瑕は顔を上げて口の中のものを飲み込んだ後、満足そうに笑う。

 ちょっと見惚(みと)れてしまうような笑顔だった。

 何ていうか目の毒だ。


「美味いぞ。」

「…お口に合って良かったです。このような店には出入りされないと思いますが、ここは結構人気があるんですよ。」

「へえ。よく来るのか。」


 季瑕はまわりを珍しそうに見回している。


「たまにですが。」

「国子監の入監が決まったから、あの仕事は終わらせたわけか。」

「ええ。これから四年以上、長期休みと十日に一度の休みにしか動けませんし。」


 官衙と同じ様に朝早くはじまり、昼には終わるのだが、課題もあるので、そこはどうせ()にはわからないだろうと誤魔化してあった。

 一、二段階目がそれぞれ一年半以上、最後が一年以上で、最短で卒業まで四年の修習が必要だ。

 長期休みは十二月半ばから一月、五月、九月である。


「季瑕さまは今どの段階ですか。」

「俺は最後の段階であと一年、だな。」


 季瑕は最短で修了してきている、ということだ。

 一年の締めくくりの歳試で博士※たちから修了の許可がもらえない限り、次の段階に進めないようになっている。


「大変、優秀でいらっしゃる。」

「はは、そうだとしたら環境のおかげだろ。周りが大袈裟に褒めてくれるから俺もそう思っていたのだが、国子監に入ったら桁違いの者が大勢いた。同期で二年で修了して官吏になったものもいる。」


 褒めたのだが季瑕はあまり嬉しくも無さそうだった。


「井の中の(かわず)、とはこれなんだと思ったぞ。」

「そういうものですか。では私みたいな凡人は片手間にやってる場合ではないやもしれません。」

「まあ、俺はとにかく四年で卒業を目指している。薛どのも頑張れ。」


 九年以内に卒業できなければ除名である。

 少々不安になってきた。


「そうしたいのはやまやまですが、どうなりますか…。」


 慧はうなだれつつ、(スープ)湯子(レンゲ)ですくう。

 春雨の湯は疲れた胃にやさしい。


 食事を終え、酒もひとしきり飲み終えると季瑕が支払いを済ましてくれた。

 ゆっくり店を出る。


「ご馳走になりありがとうございました。」


 自分の分は支払うと言ったのだが季瑕は聞かなかった。

 国子監まで、また話しながら歩いていく。

 まもなく元宵節だから、月明かりで夜道は明るい。


「建国当初は夜間外出禁止で生活しづらかっただろうな。」

「その頃より治安も良くなったということでしょうか。」


 国子監のある坊まで来るとそれまでとは打って変わり、あたりはかなり堅い雰囲気の街になる。

 北側には官衙(やくしょ)があり、坊内の西側はほとんどが国子監の施設である。


 夜間は一応、坊の門で身分の(あらた)めがある。

 門衛がやたら季瑕に丁重だったが、連れの慧にも丁寧なのに驚いた。


(一体何者なんだろう。)


 その時、季瑕の横顔を見て考え事していた慧は、不覚にも階段を踏み外してしまった。


「―――危ない!」


 季瑕は咄嗟(とっさ)に腕を延べて支えてくれたが。

 その腕に上半身が乗っかかるような体勢でなんとか転ばずに済んだ。


「あ、ありが…。」


 慧がいいかけたところで季瑕はそのまま止まっている。


「…。」


 嫌な予感がした。

 互いの目が合って数秒。


「は。」


 自分は、ゴツくならないよう、舞に映えるように注意は払っているが、それなりに鍛えている。たいして無い胸はさらに(さら)しを巻き、潰してある。

 それで、いくら見た目はごまかせても。


 季瑕は慌てて慧の姿勢を立て直させる。

 それからしばらく眉間を押さえていたが。

 もう一度慧の方を見て指を差す。


「え?お前、お前…。」


 驚きで声にならないらしい。


「――女か?女なのか?」


 動転しているらしく同じ事を二度繰り返している。


「…いや、ちょっと待て。」

「…詰め物デスヨ。」

莫迦(ばか)か。さすがにわかるわっ。」


 今度は青筋立てて怒りだしたか。

 あーあ、とため息をつく。

 男と思われていることに一縷(いちる)の望みをかけていたのだが。


「だから、夜珠と薛慧が同一人物ってわかった時点でなんで女って思わなかったんですか。…そんな人います?」


 それに助けられていたのだが、呆れもする。


「思うかー!お前ときたら、夜珠の時もわざと男と誤認されかねない仕込みをしてただろうが。喉元を覆った衣装なり、かたい生地の衣装や男がよく使うような香を混ぜるなり…。」

「はあ。」

「さっき触っ…いや、さっきまで、正直どっちか、分かってなかったわ!」


 四郎はともかく、季瑕はいつも冷静な様子でいるだけに、触っ…のところで手を見かけて狼狽(うろた)えているのが笑えてきた。

だがそんなことはおくびにも出さず冷たい視線を投げ、あえての心理的な攻撃をしかけておく。


「…。おい。疑いの目を向けるのはやめろ。事故だ!」


 確信を持って男だ女だと言われないほうが、夜珠にしろ監生の慧にしろ、都合が良かったのだが。

 色々と面倒だが腹を括るしかない。


露見し(バレ)て確信なさったのなら仕方ないですね。季瑕さまがご指摘の通り嘘をつけない性格ですので、色々と仕掛けは必要です。身を守るための武装と思っていただければ。」

「お前…本当にその身で国子監に。なんて事を。」


 驚きのあまりかさっきからお前呼ばわりだ。慧は鼻で笑う。


「規則には女が入っては駄目なんて()()()()書いてはいませんからね?」

「…ま、そりゃそうだ。誰も女が入監してくるとは現時点では思っていない。男しかいないと思い込んでいるからな。現にお前の戸籍は男だ。」


 季瑕の切り替えが早くてこちらが驚く。が、言うべきことは言っておかねば。

 慧はするりと季瑕の間合いに入り込んでその瞳を見上げる。


「口外は無用でお願いいたしますよ。お互いの為に。」


 囁くように言って季瑕の唇を指さす。

 どちらにとっても得ではないはず。


「…ひとまず今は誰の耳にもいれないでおく。」


 季瑕はしばらく瞳を(しばた)いていたが、やっとそう言った。


「おい。それよりこんな暗い中、用心もせず男と歩くな。」


 それより、で切り出したのがそれか。

 一応国の威信にも関わることだが。

 さっきまでたいして疑問も持って無かったくせに。


「それ、ご自分が危険物って言ってるのと同じですけど。」

「う。君子たるものそんなことは…ないぞ。」


 目を逸らして何やらゴニョゴニョ言っている。


「は。そう言えばお前。寮はどこなんだ。」

「はあ、算学の寮です。」

「湯浴みとかどうしてるんだ。着替えは。まさか相部屋じゃないだろうな。」


 立て続けに質問が来る。


「部屋でたらいに薬鑵(やかん)のお湯を溜めてか、明月楼で。今年は算学に人が少なくて個室なので着替えはそこで。女の格好では出入りしてませんよ。」


 なぜかほっとされているようだ。


「それなら良かった。…寮まで送る。」


 部屋のある建屋まで来ると慧は軽く礼をとる。


「わざわざお送りくださりありがとうございました。」

「いいか、すぐ部屋に入れよ。」

「ご心配なく。」

「じゃあ、また明日。」


 そうだった。明日は落籍祝いの宴で、少しだけでも顔をだそうと季瑕は言っていた。


「ええ、お越しをお待ちしております。」


 慧はふざけて夜珠のように優雅に拱手をしてみせた。

 入口でなんとなく振り返ると、季瑕はまだそこにいて手を挙げてくれた。


※博士

国子監での教授役の官吏


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