《十五》銀簪と手合わせ
季瑕は虫眼鏡を置き、目を擦った。
その手には銀簪がある。
当初一見しただけでは、それほどのものではないように見えたが、彫刻が気になった。燻しの加工がされているが、よくよく見れば純度の高い銀、彫刻も荒削りに見えて良い出来だと思ったのだ。
肉眼では見えにくいが、裏の文様に紛れ極々小さな四爪の青龍紋、そして古代文字の彫刻が入っている。
衍が外出から帰ってきた。待っていた返書が差し出される。
開いてみると、それは力強い筆跡で綴られている。
前置きはそこそこに、自分はここ二三日の授業後ならいつでもよい、その他に、得物はどうするのかと書いてある。
道場の模造刀を使うことになると思うが、それぞれ慣れた形の刀を使うということでいかがだろうか。自分は普段鍛錬に環首刀を使っているので直刀で、と思っている。大刀※の相手であれば自分向きでないので、出来れば勘弁してもらいたい、せめて槍にして欲しい。
と、ろくな時候の挨拶もなしの用件だけの簡潔過ぎる内容だった。
「何だか面白いやつだよな。」
「変わってますね。何かもう少し美辞麗句ぐらい、書いていても良さそうですが。」
文を見せると、衍も小さく笑う。
「では明後日、授業後、申の刻に。」
「お伝えしましょう。」
「頼んだ。」
承知いたしました、と衍は礼を取る。
「…その簪。」
書卓の上の、銀簪を見て衍は目を細める。
「ぱっと見、燻されてそう高価に見えませんが、青龍の紋が入ってますね。すごく分かりにくいですが。」
四神※の意匠は人気でどこででも扱われているが これには姓を表す古代の文字が入っている。四神とその組み合わせは四国公家しか使えない。
「衍も気づいたか。…傍流の、しかも姓の違う者に与えるものかな。」
「…そういう事もあるのかもしれません。何かの褒美ですとか?」
「なるほど。」
隅にある、恐らく銀楼※の刻印だろうそれを衍は指さす。
「製作した銀楼を当たってみましょうか。」
頼んだ、と季瑕は頷く。
「随分、薛どのの事が気になってるんですね?」
「…父上からの頼まれ事をどうしたらいいか悩んでてな。」
「彼にそれを?」
季瑕は考えてみたが、無理だな、と答える。
「難しいだろう、後宮の件だ。去勢させるわけにもいかんし。」
「…。必要とあらば私が。」
季瑕は衍を見る。
「衍。お前の忠心はありがたいが、その気はない。単独で後宮に近づくな。」
「…ではどうされますか。」
季瑕はうーんと唸って腕組みをする。
何人か心当たりがなくもないが、果たして女官がつとまるものか測りかねていた。
―――――
夕刻、指定された時間にあの中庭に行くと、季瑕はすでに来ていた。
先日茶に招ばれた時には互いに官給の制服だったが、今日は二人とも小手と皮長靴に動きやすい私服を着ている。
「来たか。」
「お待たせし申し訳ございません。」
この男を何と呼べばいいんだろう。
『季』が姓なのか兄弟の順を表す排行※なのか。
後者の気がするが何事も確認が必要だ。
そういえば、と季姓の三品以上の家を脳内で探してみたが興味がないので、何も出てこなかった。
興味がないことは覚えられないし、覚えられても出てこない。
「あの。何とお呼びすれば…?」
「?季瑕と。」
妙なことを聞く、という態度だ。
「…。では、季瑕、さま。よろしくお願いします。」
季瑕は衍を振り返り声をかける。
「衍。刀を。」
衍は手にした模造刀を二人にそれぞれ渡してくれる。
季瑕は曲刀、慧は直刀をそれぞれ手にとる。
玻璃の窓からお互いの顔に夕照が降り注いで、瞳に斜めに落ちている。
だから表情はよくわからない。
これは試される場で、どうせすでに武術ができない風を装ったことは知られている。
二度と手合わせなどと言われないくらい、見せつければいい、そう思っていた。
「私が勝ったら、あの簪を返してくださいますね?」
「…三本全部取るつもりか。見くびられたものだ。」
最初に動いたのは慧だった。
正眼に構えた直刀で懐に飛び込み突きを繰り出す。到達する寸前で曲刀に絡め取られて払われる。
その勢いを活かして横に飛び退りざま、足元を狙う。
跳躍して避けられ、上から斬撃が来た。
直刀で受け止めるがやはり体重と力の差がある。
じわじわ体重のかけ方を変え、払ったところに
風を切った二刃が薙いで来る。
金属と金属が激しくぶつかり合う音があたりに響く。
斬り結ぶとき、間近にその顔を見る。
琥珀色の瞳はひた、と慧の瞳を覗き込んでいて感情は読み取れない。
季瑕はかなり手強かった。
自分は早さで優位に持ち込むことが多いが、大柄なはずの季瑕の動きは自分と遜色ないほど敏捷だ。
実際戦ってみるとよくわかる。
斬り結べば力が強い。
いつもより手こずっていることに焦りが生まれる。
何か確かめているような手数の多さもある。
力が強く背の高さ手足の長さのぶん、自分の上位互換のようなやりにくさ、そして多分怖さを感じていた。
結局はじめに季瑕、次に慧が一本取った。
三度目でお互いの喉元に刃を突きつけたのはほとんど同時だった。
「やめ!」
衍から声が掛かる。
すぐには姿勢を立て直せない。
汗が流れ、珍しく息が切れるほどだ。
対して季瑕はほとんど息を乱していない。
庭の花磚には来た時より赤みを増して傾いた光が落ちていた。
「見事な腕だな。…あちらで茶と菓子を。」
季瑕は露台を指し示す。
用が済んだなら帰りたいが、前回すっかり餌付けされてるので従うことにする。
衍が運んできた今日の菓子は、桂花糕、蓮の実餡饅頭、胡桃餅、柑橘蜜餞、干し葡萄ののった黒糖蒸糕だ。
時間が遅いから菓子だけだ。
ちなみに今日の茶器はこれまた光を通すほど薄い、白磁。白玉とも称される高価な器で、慧は呆れる。
大きめの茶杯に紅茶が注がれる。
茶を一口いただく。
華やかな香りが鼻に抜けていく。
「…季瑕さまこそお見事です。一本しか取れませんでした。手合わせ頂き、これほど光栄なことはございません。」
めちゃくちゃ悔しいが、強いのは認める。ただし、秩序があるところではだ。
蓮の実餡饅頭を取って食べる。
上品な甘さだ。蓮の実は夏に採って冬の滋養のためによく使われる。
咀嚼しながら、何でもありの実戦の場なら、と思ったところで季瑕は見透かしたように笑う。
「実戦なら、おそらく私は勝てないだろうな。」
「そのような…。滅相もない。」
自分の力量を正しく測るというのは難しいものである。ましてや、全てを見せているわけではないだろうに。
慧はかえってこの男が空恐ろしくなった。
が、それと菓子とは別であるから、微笑み返して桂花糕を取る。
桂花の蜂蜜漬けが使われているようで香りがとても良い。
季瑕はしばらくその様子を見ていたが、同じように一つ、桂花糕を取って食べた。
前回に引き続きお互い腹の探り合いだが今は黙々と食べているのが、何やら可笑しい気がした。
「薛どの。今日は有意義だった。また頼む。あと二本、君が勝てば簪を返そう。」
自分の思い違いで単に腕比べをしたいだけなのか?
何が狙いかは分からないが菓子はくれるし二回勝てば簪を返してくれるのだから、悪い話ではないかも、と慧は思った。
この時は。
「…ええ。光栄です。」
ざあっと風が吹いて周りの竹林がざわめいた。
その風は花磚の上に梅の花びらを転がし、慧の髪も巻き上げていく。
季瑕は夕日に透けているだろう慧の目をじっと見て頷くと、やがて背を向けた。
衍は慧に菓子の残りを持たせると付き従っていく。
※大刀
唐より用いられる中国のポールウェポンの一種。
長い柄に幅広の片刃の刀身を付けた武器で、刀身の重量をもって「たたき斬る」のを目的とする。『wiki』
※四神
中国の神話、天の四方の方角を司る霊獣である。東の青龍・南の朱雀・西の白虎・北の玄武である。五行説に照らし合わせて中央に麒麟や黄竜を加え数を合わせた上で取り入れられている。麒麟や黄龍を入れた場合は五神(ごしん、ごじん)あるいは五獣と呼ぶ。『wiki』
※銀楼
宝飾店
※排行
中華圏における人名の呼び方の一種で、兄弟の長幼の順序に従ってつけられた番号を名前がわりに用いることをいう。古代においては長幼の順に「伯(孟)・仲・叔・季・幼・稚」をつけて呼ぶ。『wiki』




