《十三》榛色の瞳の娘 後
頭巾の女や男たちは連れて行かれ、異教寺の門前は静かになった。あーあ、と三郎は伸びをする。
「さて、私は今宵は紅珠のところに転がり込むよ。近いから、緑珠と夜珠を送っていこう。四郎は途中で降りればいい。」
新婚の妻のところには帰らなくていいのかと思うが、どうやら兄の正妻は心が広いらしい。
夜珠はなんとか馬車まで歩いたが、緑珠にもたれてまた眠ってしまった。もしやこのまま目を開けないかも、というぐらい寝入っている。薬のせいだし、解毒の応急処置に炭粉も飲ませたが、少々心配になる。
知り合ったばかりとはいえ。
「そういうわけにも。俺が最後でいいですよ。夜珠はまだ眠ってますし。」
本来の居所に先に降ろされても困る。
緑珠も夜珠も自分の正体を知らない。
「ふうん?」
三郎はからかうように四郎を見たが無視する。
そもそも緑珠だけでは夜珠を降ろせないだろう。
「随分気に入ったみたいだね。」
「何がですか。…そういうことではありませんよ。」
まず、三郎を降ろし、明月楼の寮に夜珠と緑珠を送る。
夜珠の寮の部屋は書寓として使っている明月楼の部屋と違い何もない。小さな鏡、香炉、いくつかの家具ぐらいだ。
普段使っている部屋ではないのかもしれない。
緑珠に薬を煎じることを頼み、四郎は夜珠を奥につれていく。
若い娘の臥室に男がずかずか入るのもどうかと思うが緊急事態だ。しかたがない。
披風を脱がせたほうがいいのかと思ったが、衣装の腹の紗部分がちらりと目に入ったのでやめておいた。臥台に連れていき、そのまま転がそうとして、夜珠が目を開けていることに気づいた。
「うわ。」
四郎はぎょっとした。
いや、やましく思うことはないのだが。
榛色の瞳がじろりと四郎を睨んでいる。
「…起きたのか?気分は。」
「…。」
夜珠は大丈夫だというように頷いたが、まだぼんやりしている。
緑珠が薬を盆に乗せて戻ってきた。
「書寓、お目覚めですか。ここまで四郎さまが連れて帰ってくださったのですよ。」
夜珠はまた、ゆっくり頷いた。
「解毒薬を飲め。」
背中を四郎が支え、緑珠が薬湯の匙を口に運ぶ。夜珠はされるがままで、口のはたから薬湯が少しこぼれていった。
四郎は手巾を出して拭いてやる。夜珠はまた目を閉じてしまった。
身体を横たえ、軽く寝具をかけてやる。
そういえば寝づらいかと、と、緑珠は装身具類を外していく。
「…緑珠。」
はい、と返答がある。
「医者の言った通りだ。お前も疲れているのだろうが側にいてやれ。」
「四郎さまは。」
「悪いが、ねぐらに帰る。」
「隣の棟に部屋がございますよ。すぐ用意できますが。」
緑珠は不安なのだろう、そう提案をした。
四郎は少し考えてみたが、ここにいても自分にできることがない。やはり帰ることにした。
「…帰ってこの事を上に伝えないとならない。三兄は外妾のところに行ってしまったし、夜珠はこうだし。」
そうですね、と緑珠は頷いた。
「…明日また辰の正刻ぐらいに来る。」
冷たいと思うかもしれないが。
「そうですか。…では明朝お待ちしています。お気をつけて。」
「戸締まりに気をつけろ。女たちは捕縛したが残党がいるかもしれない。外に護衛を二人残していく。何かあれば彼らに言ってくれ。」
翌朝。
側近が来て言うには、女三人はそれぞれ夜のうちに口に含んだ毒で自害してしまったらしい。
消された可能性もある。
一つだけ、奇妙なことが確認された。
少し良い身なりの一人は手袋をしていたが、その指は何かでことごとく潰されていた。もう一人は足の骨に古傷があるようで、もう一人は顔に火傷があった。
だが、身元がわかるようなものは誰も所持していなかったようだ。
男たちは尋問中だがこちらも大したことは出てきそうにない。分かったのは鏢局の男たちとは別に、頭巾の女たちに集められたということだけだ。
他の件の事は知らない、寄せ集めだったから互いの身元は分からない、ということだった。
では。
何のために榛色の瞳の女をさらうのか。これまでにさらわれた女たちはどこへ行ったのか。
何も分からず迷宮入りだ。なかなかの大失態だと側近は忌々しそうに言っていた。
支度を終え、紅珠の家に兄を迎えに行く。紅紅も朝早く呼び出してあったようだが、肝心の三郎はどうやら起きたばかりだったようだ。本当に、気ままなものだ。
兄と二人にしてくれるよう言い、昨日の顛末を報告したが、聞いているのかいないのか。
色々見えすぎるからあえてそういう生き方をしているのだろう。
明月楼の寮の建物は大きいが、楼内と比べれば客廳は質素だ。清潔感はあるが寒々しい。
入り口脇の部屋から老婆が顔を覗かせた。頭はすっかり白髪の、日に焼けた顔をほころばせている。
「おはよう。夜珠と緑珠はいるかい?俺は四郎というが。」
「ああ、若さま、夜珠の部屋に来ていただきたいと申しておりました。婆がご案内いたしましょう。」
婆はl曲がりくねった回廊を先導し、やがて昨日夜珠を運び込んだ部屋の前に出た。
「夜珠、緑珠、お客さまだよ。」
「お婆。」
婆が中に呼びかけると、扉が開いて緑珠が顔をのぞかせ皆を招き入れる。
彼女はさすがに疲れた顔をしている。
「書寓は、特にかわりなく先ほどまで眠っていました。…もうすぐ参ります。」
「緑珠、私が夜珠を見てるから、本館でお風呂もらってきて少し休みなさい。」
紅紅は見かねて声をかける。今日は派手ではなく普通の服装をしている。
「ありがとう、紅紅姐姐。じゃあ頼みます。お婆も書寓をお願いね。」
緑珠はそう言って出ていった。
お婆は茶器や茶壺を持ってきて茶の用意をしている。
「ああ、お構いなく…。」
四郎は遠慮したがお婆はそれこそ構わず支度をする。
茶が茶杯に注がれると、三郎は早速飲む。どうやら少し湯ざましが足されて、自分と同じく猫舌の兄にも適温らしい。自分は外で出された飲食物に基本的には手を付けない。目を剥いてると兄が笑った。
夜珠がやってきた。化粧を落としたのか幾分幼く見える。服装も町娘のようにこざっぱりした服装だ。
彼女は三郎と四郎に拱手すると、椅子に腰を下ろした。
お婆は夜珠を気遣っているのか綿入れを肩にかけてやっている。
「薬は抜けたようだな。」
「ええ。昨夜は世話をおかけしたようで…ありがとうございました。」
「昨日の医者を呼んである。あとで診てもらうといい。」
夜珠は素直に頷き、そういえば、と話しだす。
「近頃、康大人の令嬢で康嬪の妹君と朝貢国、月黎の太子とのご縁談がまとまったとか。妹君は庶子で、側室に迎えられる、ということだそうですね。」
四郎は頷く。
「月黎国は朝貢国だが、長年小競合っている瀚黎国と同じ朔月族だ。康家はもともと西域に根ざしていた一族だからしがらみは強いのだろうが。」
三郎は茶のおかわりをお婆に所望している。
朝報告してあるから、より聞く気がなさそうに見える。
「月黎国は瀚黎とも縁戚関係にあるのですよね。」
「まあ当然そうだろう。あの辺りは西域の入口にあたる要衝だ。地域の平穏につながればよいが、どうだろうな。」
四郎は言って、ふと、喉が渇いたな、と思う。
月黎の太子の正室は亮の皇帝の妹、寿安長公主だったが、すでに故人で継室※は瀚黎の王族の娘である。
亮と瀚黎の政治的な均衡を取るためであり、長公主※が忘れられない太子が亮の女性を希望したそうだが。
「それから康夫人。」
四郎は見たことをそのまま伝える。
「来客に挨拶に出てる時と、舞いの前後に広間で誰かと話していたな。いずれも中原※――亮の者らしくない男だった。…短髪で、後ろの髪を編んで長く垂らしている――北方人らしいと感じた。」
この国の者にとって髪を切ることは、父母に対する不孝として冒すことのできない禁忌である。
前髪や毛先を整える程度なら揃えたりするが、全体を断髪にすることはない。
「この縁談についてはあの方もお喜びだ、と言っていて後は聞き取れなかった。」
康大理寺卿の妻は後妻でかなり若く、末娘以外の他の子女と血縁はない。
「奥方さまも朔月族にゆかりのある方だそうです。この度、婚姻の決まった令嬢は嫁ぐのを嫌がっているとか。」
わかったことは、すでに上がつかんでいるだろうことばかりだった。北西方面の国々との縁戚関係、あったかもしれない供述書の操作、屋敷で起きかけた西域関係者によると思われる拐かし。つながりそうでつながらない。
これといった情報はなかったが、北方人らしき者と康夫人のつながりが見えたのは収穫だった。
その北方人らしき男と、大理寺卿には人をつけておいた。西方面はあの鏢局の男を使い探らせよう。
あとは手掛かりが上がってくるのを待つしかない。
※継室
最初の正室との死別や離婚を受けての当主の正式な再婚により迎えられた後妻を指す。
『wiki』
※長公主
皇帝の姉妹
※中原
天下の中央の地。辺境や蛮国に対していう語。中国。天下。〔唐詩選国字解(1791)〕 〔春秋左伝‐僖公二三年〕『コトバンク』
…というわけでこの物語では亮の地のこと。




